クローゼットから覗く、是枝監督の観察記録 【前編】『万引き家族』が生まれた無秩序な部屋

2020.1.22

文=砂田麻美


『万引き家族』『真実』などで知られる、映画監督の是枝裕和。彼の仕事部屋のウォークインクローゼットを作業場とする人物がいる。

砂田麻美。
大学卒業後、映画監督の道を切り拓くため、是枝に弟子志願の手紙をしたためた。その後、『エンディングノート』(2011)、『夢と狂気の王国』(2013)と2本の監督作を発表し、国内外で高い評価を得る。

師弟関係となってから十数年。
砂田が、クローゼットの扉一枚隔てた空間から、師匠と自身の関係を見つめた観察記録の前編。

※本記事は、2018年4月24日に発売された『クイック・ジャパン』vol.137掲載のコラムを転載したものです。


扉の向こう

昨年、私の所属先である映画監督の是枝裕和氏の会社「分福」のオフィスが広くなった。既に借りていたマンションのワンフロアに、さらにもうワンフロアが加わったからである。そしてこのフロア拡張に伴い、私に個室を与えてあげようじゃないか、というありがたい話が社内で持ち上がり、私の耳へ届けられた。

その個室とは、事務所の中にあるウォークインクローゼットのことであった。クローゼットと言っても2畳半くらいの広々したものだし、天井も高く申し分ない。窓がないのが玉に瑕(きず)だが、贅沢は言えないだろう。むしろ、滅多に会社に来ないのに個室をいただいてもいいのだろうかと不安になった私は、会社のスタッフにあちこちお伺いを立ててまわったが、皆開口一番「構わない」と言う。最初は何かしらの遠慮があるのかと思っていたが、次第にそうでもないのかもしれない、と感じ入るようになった。おそらくのところ、皆はわずかに奇妙だと思っているのだ。毎日会社に来て「あの」中にいるのは。

というのも、そのウォークインクローゼットは、是枝監督の書斎の「中」にあった。だからコピーを取りに行くにも、お茶を飲みに行くのも、急なお手洗いのときだって、ドアを開ければ目の前に是枝監督がいる。そういうのはちょっと、なんていうか、ねぇ、どうなんだろう? という暗黙の了解が、そこにはあるようだった。

監督が映画に向かう、大きな渦の一端

しかしながら、社内におけるウォークインクローゼットの個室は、何も突然始まった風習ではないのだ。既に西川美和監督は、ひとつ下のフロアの同じくウォークインクローゼットを個室として使用し、『永い言い訳』をはじめとする映画を完成させていたから、「ああ、ついに私も……」という、妙に考え深いものがそこにはあった。新たなクローゼットが是枝監督の部屋の「中」にあるというのはいささか想定外だったが、それはそれでおもしろそうじゃないか。そう思った私は、意気揚々とそのウォークインクローゼットの住人になったのである。

扉を一枚隔てて向こう側に是枝監督がいるという日常が始まると、監督と知り合って10年以上が経つ私にとっても、いくつかの驚きと発見があった。この部屋にいると、細かなことはわからなくても、監督の気配を感じる。監督が新たな映画に向かう、大きな渦の一端を垣間見ることができる。だからそれを、私は密かに日記にしたためた。

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砂田麻美

(すなだ・まみ)1978年東京都生まれ。映画監督。ガン宣告を受けた自身の父親の最期に迫ったドキュメンタリー映画『エンディングノート』(2011年)で初監督。監督業と並行して執筆活動もおこない、著作に小説『一瞬の雲の切れ間に』(ポプラ社)など。

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