「今は防備の時」と30年前、色川武大(阿佐田哲也)は書いた。2020年の今は?「ドシーン」と何かが起こる前に

2020.9.30

荻原魚雷 半隠居遅報 第11回

文=荻原魚雷 編集=森山裕之


作家・色川武大は数多くの純文学の名作を残し、阿佐田哲也としては『麻雀放浪記』の著者であり、伝説の雀士でもあった。

彼は滅多に政治について書かなかったが、例外に、ある文章を残している。ときは中曽根康弘内閣、その後自民党政権に代わり細川護熙連立内閣が誕生する。

色川の言葉(予言)はまるで現在に当てはまるものであるように感じる。「身体の欲するところが、自分の欲する方角だ」。


トップが変われば、世の中は変わる。しかし前よりひどくなることもある

色川武大(阿佐田哲也)は政治発言をほとんどしない作家だった。ただし『街は気まぐれヘソまがり』(徳間書店/1987年)の「ババを握りしめないで」は例外である。『街は気まぐれヘソまがり』は『週刊アサヒ芸能』の1986年8月から1987年7月までの連載をまとめたものだ。なお、同エッセイは『いずれ我が身も』(中公文庫/2004年)にも収録されている。

「ババを握りしめないで」の「ババ」はトランプのババ抜きの「ババ」のことだ。色川武大はそのうち「ドシーン」と何かありそうだと心配する。

『街は気まぐれヘソまがり』色川武大/徳間書店/1987年

私には、今の政権争いは、勝負弱いばくち好きが、わざわざ悪いフダを引き当てようと騒いでいるように見えてしかたがない。

弱い奴が総理になるなんていうのは、大変おそろしいことだ。そいつが総理になったとたんに、すべてがつかなくなってしまって、国民はもちろん、彼自身も大苦しみの末に斃れるなんということにならなければいい。

色川武大「ババを握りしめないで」

この意見が正しいかどうかはどうでもいい。滅多に政治について語らない作家がそれを語ることの意味がある。またこういう放言がきっかけとなって、政治について考えることもある。

なお、このエッセイが書かれたときの総理は中曽根康弘だった。昨年11月、101歳で大往生を遂げた。かなりの強運の持ち主だったに違いない。中曽根の次が竹下登。それから宇野宗佑、海部俊樹、宮澤喜一とつづき、1993年8月、日本新党の細川護熙(ほそかわ・もりひろ)が総理になる。

政治が混乱しようがしまいが、景気がいいときはいいし、悪いときは悪い。トップが変われば、世の中は変わる。しかし前よりひどくなることもある……ということを私はこの時期に学んだ。

それはプロ野球やサッカーの監督などにも言える。

ファンの中にはチームが敗けるたびに「ヤメロ!」とヤジを飛ばす人もいるが、監督も選手も育つまでにはそれなりに時間がかかる。低迷の理由は監督のせいとは限らないのである。もともとの戦力が足りなかったら、どうにもならないのだ。政治の話ではなく、今年の東京ヤクルトスワローズの話だが。

色川武大が言う「ドシーン」はいつ来てもおかしくない


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