色川武大が言う「ドシーン」はいつ来てもおかしくない
色川武大の「ババを握りしめないで」には次のような文章もある。
土地だけじゃない。企業がそうだ。企業なんてものはまず第一にイメージ戦争なのだ。株価はイメージによる思惑にすぎない。ここでもババ抜きゲームがおこなわれている。
色川武大「ババを握りしめないで」
繰り返すが、このエッセイは1987年の話である。
土地や株などが、ある日突然、ババになり、それを握りしめたまま、置き去りにされてしまう人々が続出するのではないか。4年後、色川武大の予想はその通りになった。
天災であれ、経済変動であれ、どうやって身を処したらいいかわからないが、とにかく、私に投票させれば、今は防備の時、という方に賭けるだろう。
色川武大「ババを握りしめないで」
ギャンブラーの感覚で「今は防備の時」と唱えた色川武大は1989年3月に岩手県一関市に引っ越し、翌月の4月10日に亡くなる。享年60。一関に移住したのは最近映画にもなったジャズ喫茶ベイシーがあったからと言われている。本人は50歳前後から、自らの死期は60歳前後だと予期するようなことを何度となく書いていた。
色川武大が亡くなって三十余年。
かつて栄えていたと思われる全国各地の商店街がシャッター街化している。地方に行くと、横断歩道が消えかかっていたり、舗装がガタガタになっていたりする道はいくらでもある。ローカル線もどんどん廃線になり、病院が潰れ、日常の買物すらままならない地域も珍しくない。高度経済成長期に林立した団地やバブル期に建てられたリゾートマンションも徐々に廃墟化している。
電気、ガス、水道などのインフラの老朽化もこの先の政治の大きな課題だろう。
株価や不動産価格だって、どうなるかわからない状況にある。
色川武大が言うところの「ドシーン」はいつ来てもおかしくない。日本だけでなく、アメリカや中国も危うい状況にある。
『ばれてもともと』(文藝春秋/1989年)に「年を忘れたカナリアの唄」というエッセイがある(『いずれ我が身も』にも収録)。色川武大は「これがいいとかわるいとかの判断」を身体にまかせるのが常だった。
まず身体を動かしていく。運次第のようなところもあるけれど、身体の欲するところが、自分の欲する方角だと思う。失敗したらそれまでだ。
色川武大「年を忘れたカナリアの唄」
初出は『新潮45』(新潮社)1989年2月号。最晩年の原稿である。
おそらく「自分の欲する方角」を決めるのは理屈ではない。わたしも「身体の欲するところ」に従う傾向がある。足の向くままに散歩し、疲れたら休む。何もしたくないときはひたすらゴロゴロして過ごす。ガマンすると勘が鈍る。忍耐強くなるにつれ、自分にとってイヤなことがわからなくなる。それが怖い。というのは、怠けるための言い訳か。
30年以上前に色川武大は「今は防備の時」と言ったが、わたしも2020年秋の今そんな気がしている。
■荻原魚雷「半隠居遅報」は毎月1回更新予定です。
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