【ネタバレあり】『TENET テネット』が未体験の時間SFな理由は「ノーランの蛮勇」。大森望が徹底解説
クリストファー・ノーランによる3年ぶりの最新作『TENET テネット』が、2020年9月18日に公開された。
『インセプション』『インターステラー』でSFを手がけてきたノーランが、本作で描くのは“時間の逆行”。SF小説の中には、同様の題材を扱った作品がいくつか存在する。
SFを知り尽くす書評家、翻訳家の大森望が、“時間の逆行”というSFジャンルの歴史を紐解き、『TENET テネット』の魅力を解き明かす。ネタバレを含むため、映画を未見の方は鑑賞後の閲覧をおすすめする。
ディックやフィッツジェラルドも描いてきた時間逆行SFの歴史
『インターステラー』で正面から宇宙を描いたクリストファー・ノーランが、今回テーマに選んだのは“時間”。『インターステラー』でも、重力による “時間の遅れ”や“時を超える通信”が扱われていたが、『TENET テネット』では正面から“時間”に挑み、いまだかつてない時間SFを作り上げた。
最大の特徴は、時間旅行でもタイムスリップでも時間ループでも“時を超える通信”でもなく、時間の“逆行”を映画の中心に据えたこと。
個人レベルで時間が逆行する(老人で生まれて、だんだん若返っていく)話なら、デヴィッド・フィンチャーが映画化した『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(原作は、スコット・フィッツジェラルドが1922年に発表した短編)をはじめとしていくつか先例があるが、これはファンタジーの部類。SF小説の長編で時間逆行を扱ったものは数えるほどしかない。
その中で一番有名なのは、フィリップ・K・ディックが1967年に発表した『逆まわりの世界』だろう。
アイデアの核になるのは“ホバート位相”と呼ばれる時間逆流現象。死者が墓地から甦り、生者は若返って、やがて子宮に戻ってゆく。1986年にこの現象が発生して以来、世界は一変した……。
物語は、墓地の地中から「外に出たいの」と声がする場面で始まる。主人公セバスチャンの仕事は、こういう甦った“老生者”の発掘・支援・売却。その彼が、黒人解放家にして新興宗教の開祖を掘り出したことから、世界を揺るがす三つ巴の戦いに巻き込まれる。
同じディックの代表作『ユービック』には、まわりのものがどんどん古くなる“時間退行現象”が登場する。最新型のテレビは木製キャビネット入りの古ぼけたAMラジオに変わり、オーディオシステムは蓄音機になり、自動車は1929年のA型フォードに……という具合。
ただし、どちらの作品も、時間が逆行する現象の具体的な原理(科学的な裏づけ)に関しては放置されているし、設定の細部がきっちり詰められているとは言い難い。
2016年の松本清張賞を受賞した蜂須賀敬明のデビュー作『待ってよ』は、この『逆まわりの世界』的な設定を現代日本の田舎町に移植する。主人公は、この町に招かれたマジシャン。迎えにきてくれた女性が、真夜中、「産まれそうなの」と言うので助力を申し出たら、墓を暴いて老婆を掘り出す作業を手伝う羽目に。だが、驚いたことに、老婆は生きていた。この町では、人間は墓場から老人の姿で誕生し、だんだん若返って赤ん坊になり、最後は娘の腹の中に還ってゆくのだという……。逆行してゆく相手とのしみじみしたラブストーリーが切ない。
この“時間を逆行する相手との恋”を描いて大成功を収めたSF長編が、七月隆文『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』。時間の矢が逆向きになっているふたつの並行宇宙の男女が運命的に出会い、奇跡的な40日間(映画では30日間)をそれぞれ逆向きに体験する。
ただし、リアルタイムで逆向き同士だとそもそもデートが成立しないので、逆行は1日単位(“ぼく”にとっての明日が、“きみ”にとっては昨日になる)という設定になっている。この小説は160万部を超えるベストセラーになり、福士蒼汰と小松菜奈の主演で映画化されている。
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