順行人と逆行人のアクションを映像化するという蛮勇
これら先行作と比べて、『TENET テネット』は本格SF志向。とりわけ“回転ドア”(ターンスタイル)のアイデアが独創的だ。一見、タイムトンネルやタイムゲート(据え置き型タイムマシン)のようだが、その役割は、別の時代に行くことではなく、時間の矢の向きを逆転させること。“回転ドア”をくぐり抜けた人物は、(私たちから見て)現在から過去に向かい、時間の流れを逆向きに生きるようになる。
しかも、回転ドアの機能は逆転させることだけなので、もう一度くぐればまた逆転して元に戻る。つまり、回転ドアを一度くぐって逆行人になったあと、逆向きの世界でしばらく過ごしてからまたドアをくぐれば、過去へのタイムトラベルが実現することになる。
さらにおもしろいのが、逆行するのは人間だけでなく、物質も含まれること。逆行銃弾は、命中した壁から飛んで戻ってピストルの銃口に吸い込まれ、壁は傷ひとつない状態に戻る。
のちに明かされるところでは、現在(順行人)と未来(逆行人)の間で時間戦争が戦われており、時間が逆向きに流れる銃弾や兵器はその戦争の遺物だという。
初めて『TENET テネット』を見たときに心の中でぎゃっと叫んだのは、まさにこのくだり。おお、これって、『時間衝突』じゃん!
映画パンフレットに寄せた文章でも触れたとおり、『時間衝突』は、英国SFの鬼才バリントン・J・ベイリーが1973年に発表した長編。物語の舞台は、“異星人”との戦争により、過去の遺産がことごとく失われた世界。異星人が遺した遺跡を調べていた主人公の考古学者のもとに、不可解な写真がもたらされる。300年前に撮影された遺跡だが、それは現在より遥かに古びた状態だった。この遺跡は年と共に新しくなっている!? 主人公は異星人の技術を用いて開発されたタイムマシンに搭乗し、調査に赴く……。
『TENET テネット』を観た人なら想像がつくとおり、『時間衝突』の“異星人”とは実は未来人(逆行人)のことで、問題の遺跡は彼らが残した時間逆行遺跡。遥か未来から過去に向かって進むもうひとつの時間(逆行世界)が存在し、それが主人公たちの世界とまもなく正面衝突する針路にある。両陣営は互いに相手の文明を滅ぼそうと時間戦争を始めるが……。
この『時間衝突』は、1989年に邦訳されると日本のSFファンの間で大人気を博し、翌年の星雲賞を受賞。以来、何度も版を重ねて長く読み継がれているが、英語圏ではほとんど知られていないので、ノーランがこれにインスパイアされた可能性は低い。とはいえ、『時間衝突』の翻訳者としては、あのアイデアがこんなかたちで映像化されるとは……と感慨深かったのも事実。
『時間衝突』の未来人は最初から逆向きに生きているが、『TENET テネット』の未来人は自ら逆行を選び、さらには宇宙全体の時間の逆転まで目論む。その理由は、地球の未来が(環境破壊によって)行き止まりになっているから。文明崩壊の解決策として、(文字どおりの)Uターンを選ぶという発想もおもしろい。
しかし『TENET テネット』の最大のポイントは、その逆行を絵で見せたことにある。『時間衝突』にも、タイムマシンで未来に行くと、未来人がみんな逆向きに動いているという描写はあるが、順行人と逆行人が直接絡む場面はない。おそらく、どう書いていいかわからないし、書いたとしてもよくわからないからだろう。ところがノーランは、膨大な予算を注ぎ込んでこの難事に果敢に挑む。
透明な壁を隔てて順行人と逆行人を併置するばかりか、順行人と逆行人に取っ組み合いの格闘アクションを演じさせ、果ては逆行車を投入したカーチェイスまで撮ってしまう。クライマックスの“挟撃”作戦に至っては、これを観客に初見で理解しろというのはほぼムリなのではというレベル。
小説でこれを書いても全然おもしろくなりそうにないので、まさに映画ならではの時間SFと言ってもいいだろう。世界のSF作家たちも、この蛮勇を見習うべきかもしれない。
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映画『TENET テネット』
2020年9月18日(金)全国ロードショー
監督・脚本・製作:クリストファー・ノーラン
製作:エマ・トーマス 製作総指揮:トーマス・ヘイスリップ
出演:ジョン・デイビッド・ワシントン、ロバート・パティンソン、エリザベス・デビッキ、ディンプル・カパディア、アーロン・テイラー=ジョンソン、クレマンス・ポエジー、マイケル・ケイン、ケネス・ブラナー
配給:ワーナー・ブラザース映画
(c)2020 Warner Bros Entertainment Inc. All Rights Reserved関連リンク
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