どんな生き方も、尊重し肯定すべき
進退窮まる状況にある永田と、彼を支えようと必死になるうち自分を見失っていく沙希。ふたりの間には次第に歪(ひず)みが生じ、彼らは別々の道を歩んでいくこととなる。自分には才能があるはずだと思いつづけたい永田は東京に留まり、理想とする自分と現実の自分との差に耐え切れなくなった沙希は故郷へと帰るのだ。
しかしこれは、彼らどちらかだけの生き方を肯定するものではない。彼らと同じように、苦しみ、涙を飲んでいる者たちは数多くいる。物語が永田の一人称で進んでいくがために、作品の構造上そのまま誘導され、思わずこの傲慢な男に肩入れしてしまう人がいるかもしれない。あるいは永田に対して反感の気持ちがあれば、この映画そのものが受け入れがたいものとなることも、またあり得るだろう。
実際、筆者の場合は永田の一挙一動を目にするにつけ、不愉快な思いを超えて吐き気すら催してしまったくらいだ。終止、動悸も止まらなかった。彼の言動は、どこか身に覚えがあったからである。
だが、「生き方」に関する映画だと視点を転換してみる。すると、同じ夢を共有していたひと組の男女が、数年の時を共にし、やがてそれぞれの道へと一歩を踏み出す物語だと読み取ることができるだろう。いつかの筆者も永田のように、東京という場にしがみついていた気がするが、沙希のように「わたし、もう東京ダメかもしれない」と思ったことだって何度もある。それは私だけではなく、多くの方がそうなのではないだろうか。
理想と現実。それぞれの生活と性格。そしてこれから。これらの間で揺れ、同じような問いを繰り返して私たちは日々を過ごしている。沙希の生き方は永田の生き方と同様に、尊重し肯定すべきなのである。
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