コーヒーをグッと飲み切ってしまうと、もうすることがない
私の住まいの最寄り駅の、いつも利用する改札を出て目の前に喫茶店がある。大阪に引っ越して6年近く同じ場所に暮らしているが、その喫茶店の前を何百回と歩き、たまに「珈琲 一茶」と書いた渋い看板に目がいくことはありながらも、これまで一度も入ったことがない。
ドアを開けると、テーブルを挟んでふたり座れる窓際の席が空いていて、そこに腰かけようとすると「よかったらこっちでどうぞ」と広い4人掛け席へ案内してくれた。
黒い革張りの椅子。濃い茶色の縁取りがされた黒いテーブル。どちらも年代ものなのだろうけど古ぼけた感じは全然なく、綺麗に手入れされている感じだ。クラシックが静かに流れていて、店内には私が座っているような4人掛け席が合計3つ、ふたり掛け席が合計ふたつあるようだ。小さなお店である。ホットコーヒーをいただく。
コーヒーの味はまったくわからないが、家で飲むインスタントコーヒーよりは確実にありがたい味がする。電車の音がして、窓の外、高架を走り出していくJRの電車が高い位置に見える。いつも乗っている電車は、この喫茶店のこの席からこんな角度で見えていたのか。
「そうか、この辺は確か小林一茶が生まれた町に近いんだ。この店の名前はそれにあやかって『一茶』なんだな。しかも喫茶店の店名が『一茶』って、なんてぴったりなんだ!」と、考えながら「あ、やばい。またやってる!」と思う。この辺りに生まれたのは同じ俳人でも与謝蕪村なのだ。小林一茶は今の長野県に生まれている。私はいつもこの店の看板をみるたびに、「そういえばこの辺りで小林一茶が生まれて……」と同じ勘違いをして、しばらく間違いに気づくのに時間がかかる。一度、勘違いしたまま人に話して、「え、違うよ。蕪村じゃない?」と言われてびっくりしたこともある。それでも間違いつづけてしまう。今日、ここで珈琲を飲みながらもまた同じ思考の流れをたどった。もう一生、この勘違いから逃れられないのかもしれない。小林一茶、大阪で生まれていてほしかったよ。
コーヒーをグッと飲み切ってしまうと、もうすることがない。本を持ってくればよかった。居酒屋ならもう1杯注文するところだけど、お会計を済ませて店を出る。
同じように近所にまだ何軒か、前を歩いては看板の文字を頭の中でたどり、そして通り過ぎるだけの喫茶店があった気がする。もう少し散歩してみることにする。