移ろうこと、それを知ること――『青のフラッグ』完結に寄せて

2020.6.4

4.太一と移ろうこと、それを知ること

最後に挙げる4つ目のエピードは最終回だ。

最終回直前の第53話では、太一と二葉が別れるまでの経緯を描かずに数年後へ時間が飛ぶ。そして最終話でもまた、太一とトーマが結末を迎えるまでの過程は描かれない。

別れるまでの過程を描かない作劇法に関しては『ジョゼと虎と魚たち』、逆に結ばれる場合には『ドラゴンボール』のベジータとブルマの例が挙げられる(過去のインタビューで鳥山明本人によって「あえて描かなかった」旨が明言されている)。

別れの過程を描かないことは、その渦中にいるときは永遠に思える関係があっさりと終りを迎える、(特に若年期の)恋愛の熱狂と儚さを演出する機能を持ち得る。

また、別れる場合にしろ結ばれる場合にしろ、読者それぞれに過程を想像で補完させることによって作品に広がりを持たせる作用を帯びるが、この”読者に想像で補完させる”という演出が本作ほど爆発的に有効な作品はそうそうないだろう。というのも、我々読者はこれまでの展開でさんざん価値観を覆され、新たな価値観を取り込まされ、想像力を働かせる訓練をしてきたからだ。

太一がトーマと結ばれるという展開は、大半の読者が予想だにしていなかっただろう。ただ、性的指向や性自認の揺らぎ・移ろいは誰しもにあり得ることで、特にアイデンティティ全体が不安定な思春期には起こりやすいとされている。

ゼロ年代に入ってからアカデミシャンの間で俎上に載せられる機会が増え(俎上に載せられるようになる以前には“存在しなかった”わけではない)、特に2010年代以降は言及が活発化した「セクシャル・フルイディティ」という性のあり方に触れておきたい。

これは、性的指向や性自認が固定されず、ときに男性愛者でありときに女性愛者であり、自認が男性であるときもあれば女性であるときもある、という性のあり方だ。移ろいはさまざまな要因によって生じ得る。朝起きたときの直感次第という人もいれば、加齢に合わせて変化する場合もある。お笑い芸人のカズレーザーは、夏は女性、冬は男性に惹かれることが多いと語っているが、こういったように季節と結びつくという人もいる。最もカズレーザー自身の公称は「バイセクシャル」であり、彼の属性をセクシャル・フルイディティと断ずるものではない。

また、真澄の配偶者・実透についても、詳細なセクシャリティは明言されていない。実透を選んだことで「自分はどこにも属せなくなった」という真澄の言葉を手がかりにするならば、レズビアンの自認であったものがヘテロセクシャルあるいはバイセクシャル、パンセクシャルに移ろった、あるいはレズビアンでありつづけながら性を越境したところで男性ジェンダーの人に惹かれるケースもあり得る。実透がインターセクシャルや中性・両性・無性・不定性の可能性もあるだろう。だが、太一の移ろいの過程同様、明示しないことこそがこの物語の本質であることを見誤らないよう注意したい。

長々書いておいてなんなんだという向きもあるだろうが、あえてセクシャル・フルイディティや真澄と配偶者の関係に言及した意図は、こういった移ろう性のあり方を知る(「許す」「受け入れる」というジャッジではなく、ただ存在を認識する)ことへの積極的なスタンスが徐々に広がりを見せてきているという前提の共有のため。

そしてその上で他者のセクシャリティやジェンダーを定義づけないこと、明らかにしようとしないこともまた重要性が叫ばれているようになってきているという時流を紹介するためだ。つまり「カミングアウトしやすい社会にしよう」という段階から「カミングアウトは必ずしもしなくてはならないのか?」「言う必要のないことは言わないでいられることがフェアな状況なのではないか」というところまで議論が進んでいるということだ。

また、最終話は終始一人称視点で進行し、“誰の”視点であるかが明示されず、最後の最後に明らかになる。その瞬間に、結婚式の受付で記入した「一ノ瀬」という名字の示すこと、また第53話終盤の時点でこの一人称視点が始まっていたことに気づかされる高度な仕掛けは、漫画表現の新たな可能性を提示しているように思う。

そして、最終話の余韻冷めやらぬなか、もう一度第1巻から読み直した人は、第1話の最初の最初の1ページの時点から伏線が張られていたことにもまた気づかされたはず。

『青のフラッグ』の結末は、社会の現状の何歩も先を行ってる。

この作品がより多くの人に知られ、映画化やドラマ化、海外進出など、より大きく展開されれば、社会のアップデートに今以上に大きく寄与するはず。作者がそれを望んでいるなら、という大前提がクリアされるのであれば、期待してそのときを待ちたい。

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