VTuberとは「人形浄瑠璃」あるいは「枯山水」である説

2020.5.4

生身のアイドル、アニメキャラとは別物

生身のアイドルやタレントとの違いは、なんらかの設定(生い立ち、背景)のあるアバターを持っていることだ。人間本人の姿と個性を持って人前に出るタレント業に対し、VTuberは人間本人の姿を一切見せずアバターを活用してさまざまな表現をする。

花譜 #09 「心臓と絡繰」 【オリジナルMV】

バーチャルシンガーの花譜は、スカウトされたのが13歳のとき。両親が娘の顔出しに強い抵抗感があったため、バーチャルアバターをまとった歌手になることをスタッフが提案したそうだ(以下のTwitter発言より)。

花譜の姿は、おそらく本人の姿そのものではないし、おそらく本名でもない。まったく新たな一個人「花譜」を表現しながら、ボーカリストとして歌を発表しつづけている。

VTuberはフィクションであるアニメキャラとも別物だ。一定のシナリオを声優が演じる場合、声優とアニメキャラは切り離された別物で、キャラクターに声優の考えを乗せることは許されない。それに対しVTuberは「中の人(魂と呼ぶことが多い)」の性質や才能が、アバターを通じてそのまま表現される。

VTuberの発言や行動はどこからが本当でどこまでが嘘なのか、見極めることができない。そもそもVTuberの発言に「正解」を見つけようとする行為自体がナンセンス。VTuberは境界線のない仮想の姿を、本物と仮定して楽しむエンタテインメントだからだ。

人形浄瑠璃と枯山水

民俗学者の畑中章宏など、VTuberのあり方を「文楽・人形浄瑠璃」でたとえる人は多い。文楽は人形を操って物語を表現する伝統芸能。人形を操っているのは人形遣い・黒子に当たる人物だ。技術を身につけて表現しているのは間違いなく人形遣いなのだが、観客は彼らの姿を見ることはない。見るべきは人形の動きが作る物語のほうだ。

人形をアバター、人形遣いをアクター・魂に置き換えると、そのままVTuberの活動になる。操るための糸や棒に当たるのが、コンピューターを使った動きや表情のキャプチャ技術だ。
NHKの番組『ねほりんぱほりん』に出演したVTuberバーチャル美少女ねむは、観客の精神性を「枯山水」の味わい方にたとえていた。

枯山水では水がない石庭に溝を引いて流れを描くことで、水があることを表現する。石の橋を置くことで、その下に川があると認識させる。実物のない抽象化した光景を見てイメージすることで、本物よりも豊かな景色が想像できる。

VTuberの動画の中では抽象化されたアバターやイラスト、3Dモデルが用いられる。実写があまり入らない映像を見て、視聴者は何が表現されているかの見立てを行い、脳内で補完する。たとえば現在人気の「にじさんじ」や「ホロライブ」の2Dモデルは、立ち絵の首から上を動かし、顔の動きを再現できる。ただし全身可動の設定はないため、実写のゲーム実況者に比べると表現の幅自体はどうしても狭くなる。しかし視聴者はライバーのトークと表情からリアルな息遣いを各々が想像することで、現実以上にのびのびとしたVTuberの実在感を楽しむことができる。

表現者側に一番都合のいい形を


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