1990年代後半から錚々たる監督たちの重要作に出演しつづけ、名実共に日本を代表する俳優のひとりとして今も第一線で活躍している西島秀俊。村上春樹の小説を濱口竜介が監督した『ドライブ・マイ・カー』での主演も記憶に新しい彼の最新出演作の劇場版『きのう何食べた?』が、2021年11月3日に封切られた。
ライターの相田冬二は、「この作品における西島秀俊の笑顔にこそ、この俳優の資質はあるのではないか」と劇場版『きのう何食べた?』の西島秀俊の演技を評している。
俳優の奥底にある魅力に迫る連載「告白的男優論」の第15回、西島秀俊論をお届けする。
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日本映画への献身
ある意味、今年を代表する一本になるかもしれぬ濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』での主演を引き合いに出すのがむしろ憚られるほど、西島秀俊の日本映画への貢献は計り知れない。
いや、貢献というより献身という表現がふさわしいかもしれない。
1997年の諏訪敦彦監督『2/デュオ』あたりを皮切りに、瀬々敬久『冷血の罠』(1998年 ※以下、すべて公開年)、黒沢清『ニンゲン合格』(1999年)、佐藤真『SELF AND OTHERS』(2001年)、北野武『Dolls』(2002年)、中田秀夫『ラストシーン』(2002年)、斎藤久志『いたいふたり』(2002年)、井口奈己『犬猫』(2004年)、市川準『トニー滝谷』(2005年)、塩田明彦『カナリア』(2005年)、古厩智之『さよならみどりちゃん』(2005年)、犬童一心『メゾン・ド・ヒミコ』(2005年)、唯野未歩子『三年身籠る』(2006年)と、初期の10年を見渡すだけでも、錚々たる監督たちの重要作に主演もしくはキーパーソンとして登場している。
ここにアミール・ナデリ『CUT』(2011年)、伊勢谷友介『セイジ-陸の魚-』(2012年)、そして宮崎駿『風立ちぬ』(2013年)を加えるなら、西島秀俊がいかに特権的な俳優でありつづけているかが完全に証明されるだろう。
貢献にも献身にも二重の意味があり、それは演技の純度は言わずもがな、おそらく彼が出演することによって映画の製作が決定することもけっして少なくはないだろう。日本インディーズ映画にとっては、救世主でもある。
ここに列挙した作品群がなければ、今の映画界は存在していない。断言できる。だからこその貢献であり献身なのだ。
通底する“硬質なオーラ”
西島秀俊がシネフィルであることはよく知られている。
映画と映画作家に対する深い理解が、前述した貢献や献身に結びついていることは明白だ。しかし、彼は、監督の要求や理念をそつなく受け入れ、ほどよくスクリーンになじむように体現する優等生的な表現者ではない、と私は考える。
逆に言えば、どんな要求にも、どんな理念にも、真っ向から向き合い、しっかりと対峙することで、命のひと雫を垂らすことが、彼の演技になっていると感じる。
寡黙な役が多い人だし、物腰はスマート。だから、西島秀俊という俳優はどちらかと言えば繊細なイメージで捉えられがちだが、逆なのではないか。時折見せてくれる活劇、そして、そこで剥き出しになる屈強な肉体。むしろ、そちらのほうに彼の真実はあるような気がする。
つまり、前に出る芝居。
受動態ではなく、能動態。物静かな役のときほど、ぐいっと迫ってくる存在感がある。そこであからさまになる骨太な男性性は常に一定で、変わらないたくましさが強く印象に残る。
語らずとも、押してくる、エナジー。
食材で言うなら、魚より、噛み締めるべき肉。
ワインで言うなら、白ではなく、圧倒的に赤。
そのような比喩が成り立つ。
涼しげな役もある。
優しい役もある。
だが、そのすべてに通底するものがある。
硬質なオーラ。
かつて、高倉健がそうであったように、西島秀俊は、映画スタアなのである。
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