正統派スタイルながら、独特な切り口を持った漫才で注目を集めるエバース。そのネタ作りを担当する佐々木隆史は、野球一筋の学生時代を過ごしてきた。現在は漫才一本で強豪たちと戦う佐々木が、あのころの自分と重ねながら日々を綴る新連載「ここで1球チェンジアップ」。
初回は理不尽なルールが正義だった高校野球部の思い出から、お笑い芸人になるまでを回想する。
自分を正当化するため目指した甲子園
どうもエバース佐々木です。吉本興業所属、芸歴9年目のしがない漫才師。ありがたいことに初めてコラム連載の話をいただき未熟者ながら筆を執った次第です。
最初に言っておきたいのですが、僕は文章を書くのが苦手です。普段の漫才のネタも台本に書き起こさずに相方の町田(和樹)には全部口で説明します。とにかく自分の言葉を文字にするという行為がものすごく苦手なのです。
じゃあなぜ苦手なのか? それは子供のころから野球しかやってこなかったからでしょうね。野球以外のことは本当に何もしてないです。僕の人生は野球をしてるだけで勝手に進んでいきました。
宮城県の片田舎に生まれ、兄の影響で小2で野球を始めた僕は一切勉強をせずに野球一本で大学まで進学しました。この国では小2から22歳まで、毎日小っちゃいボールを細い棒で打って全力でダッシュしてるだけで大卒になれるんです。
怖いですね。まわりの同級生は就職して立派な社会人になっているのに、自分は大人になっても小2のころとまったく同じことをしているのですから。
高校時代の野球部はひとつ下にプロに入った選手がいたり、県内ではそこそこ強い野球部で、僕はそこでキャプテンをしていました。
甲子園に行くことが小学生から野球しかやってこなかった自分を正当化できる唯一の方法だったので、レギュラーになれるくらいのそこそこ強い高校に入るのがベストでした。
経験者はわかると思いますが、高校野球は練習が死ぬほどつらいです。頭がおかしいです。
レフトとライトのポール間を何十本も走り、気持ち悪くなってトイレまで走り、トイレで吐いたあと急いで走って戻り、またポール間を走る。
なのに試合中はほとんど座ってる意味不明なスポーツです。
そんなうちの野球部にはあるひとつのルールがありました。
それは自分の打席で凡退したときや、守備でエラーしたあと、ベンチに帰ってきたときに大きな声で
「わりぃ!!!!」
と、チーム全員に謝ること。
そして、その選手をチーム全員で
「今のはねぇーぞ!!」「ちょっとは頭使えや!!」
などと責めなければいけないというルールです。ミスした選手をちゃんと全員で責めないと、今度は監督に全員が怒られます。
それを美徳とする歪んだ閉鎖的空間で僕は高校3年間を過ごしました。
何も悪くない「わりぃ!!!!」
ある日の練習試合の話です。その日の監督は特に機嫌が悪く、試合中何度も説教タイムが発動していました。
そして終盤、満塁の場面で代打で出た同級生の千葉が甘い球を見逃し、簡単にツーストライクに追い込まれてしまいます。
すると監督は
「あーあ、せっかくのチャンスが最悪だ。もうこんなやつ打てるわけねぇよ! こういう場面で〜……」
と、ベンチにいる僕ら全員に説教タイムをスタート。
帽子を取って監督のほうを向くチーム全員が説教タイムが始まったと思った矢先、
「カキーン!」
千葉が打った打球は快音を残し、ライトスタンドに突き刺さりました。
逆転満塁ホームランです。
ただ、説教中なので誰もホームランには反応せず、帽子を取ったまま監督を見ます。
こんなやつ打てるわけねぇよと言った手前、監督も
「こんなん意味ねぇよ。たまたまだ!」
とブチ切れ、機嫌は悪いまま。
そんなことも知らずにホームインし、帰ってきた千葉はおかしなことに気づきます。
ホームランを打ったのに誰も祝福してくれない。全員帽子を取って監督のほうを見ている。ブチ切れてる監督。
そんなベンチの空気を察してか、千葉は大きな声でひと言、
「わりぃ!!!!」
それに対して責めなければいけない僕らは、
「今のはねぇーぞ!!」
もう全員何が正義なのかわかっていません。
結局、最後の夏はあっけなく予選敗退しました。
高校に入学して、目隠ししながらこっちの方向に甲子園があると信じて歩き続け、3年経っておそるおそる目隠しを外したら一歩も移動してなかった、そんな感覚でした。
そうして野球しかやってこなかった僕は大学も野球で入り、野球をしてただけなのに気づいたらまわりの時間が一気に進んでみんな大人になっていて。竜宮城から帰ってきた浦島太郎状態だった22歳の僕は、大学4年間で芸人のラジオにどっぷりハマっていたのもあり、普通に就活するのもダルくて、新たな次の竜宮城「よしもとお笑い養成所NSC(吉本総合芸能学院)」へと入学するのでした。