この人生相談連載「赤信号を渡ってしまう夜に」では、価値観が流動化し対話が難しくなった現代に「こんな時代だからこそ、もっと話したほうがいい」と語る俳優・東出昌大がお悩みを読者から募集し、応答していく。
今回は3本立て。「好きという感情がわからない」や「愛犬との別れがつらい」という相談には、東出の考える愛や、愛の伝え方を明かす。
また「結婚願望がない」という相談には、悩みの内容を整理しながら、その根底にある問題について紐解いた。
#1:「大人ってちょっとずつ、建前のルールを破る」
#2:「仲よくなりたい相手には、利益を与える必要がある」
#3:“推し活”に思うこと「でも、好きになっちゃったらしょうがない」
#4:濱口竜介監督に伝えた「僕、この気持ちはわかりません」──映画に“正しさ”を求めるべきか?
#5:東出昌大のタバコ論と“意識低い系”でいたい理由
#6:東出昌大が考える“夫婦間のセックスレス”問題
#7:東出昌大「この先、生きていけなくね?」──そんなとき“救い”になった2冊とその理由
「性欲と執着」がなくとも“愛しい”と感じることはある
Letter No.15
人を好きになるという感覚がよくわかりません。好いてもらって男性とお付き合いしたことはありますが、自分がのめり込めないので温度差が生まれてしまい、そこに罪悪感を抱いて結局長く続かず別れてしまいます。いいな、くらいに思う人はいても、それはあくまで私が望むべき条件に当てはまっていたからで、本能的に惹かれたわけではないこともわかります。好きって気持ちは性欲と執着の塊なのかなと考えることもありますが、そういう欲を抱かない相手とは一緒にいてもな、とも感じます。
とある対談で、東出さんが「恋は落雷みたいなもの」と仰っていたのがとても印象に残っていて。人を好きになる感覚、ってどのような気持ちなのでしょうか。また、東出さんは恋や愛の違いはどのように考えていますか。
この方とは、もう少しやりとりを続けてみたいなと思いました。
「好きって気持ちは、性欲と執着の塊なのかなと考えることはあります」。これなんですが、たとえば僕は、今まで飼ってきた犬たちのことも、ものすごく愛おしく感じていました。種族は違うし、そこには「性欲と執着」はないけれど、大好きという気持ちがあった。この相談者さんはそういう気持ちも今までになかったんだろうか。
「好き」という気持ちはなにも、恋愛だけじゃない。友人に対しても、ペットに対しても、家族に対してだって湧き起こるはず。だけど、相談者の方がこういった「好き」も含めて身に覚えがあるのか、ないのか。そこが気になりました。
「恋は落雷みたいなもの」についてはいかがですか。
その言葉は、有働由美子さんとの対談記事に書かれたものだと思いますが、「恋は落雷みたいなものらしいので」というつもりで言ったんです。「僕もまだ落ちたことない」という感じで。
そうだったんですね。
僕には恋はよくわからん。が、大人に対しても子供に対しても「うわ、愛しい」と思ってきたし、それは動物に対しても湧き起こる感情なんです。その「愛しい」っていう感情を、どうやら世間は「好き」とか「愛」だと定義しているらしいと、漠然と思っている感じですね。
僕が勝手ながら思ったのは、この相談者さんは「好きがわからない」ことで、どうやって生きていったらいいのかわからないところまで思い悩んでらっしゃるのかなと。だからもう少し話を続けてみたい。なので、今回の僕の話を踏まえて思ったことをまた送ってもらえたらと思います。言葉にするのはなかなか大変かもしれませんが。
愛するがゆえの恐怖に、どう打ち勝てるか
Letter No.16
愛犬がいます。ゴールデンレトリバー3歳の女子です。いつか別れが訪れると考えると本当に気が沈みます。東出さんもこんなこと考えたりはしませんか? 同じような感覚に陥ったことがあればどのように克服したのか、または経験がなかったとしてどのように克服するべきか、ぜひアドバイスをください!
先ほどの相談とは違って、今度は愛はわかっているけれど、その対象を失うのが怖いという相談です。
以前もこれに似た質問がありましたね。「推しとの別れが怖い」って。そのときに言ったこととも重なりますが、こればっかりは、なんとか受け入れるしかない。
僕もいろいろな動物を飼ってきて、みんな我が子だと思ってきたので、別れは辛かったです。人間の場合、親より先に子が死ぬことを「逆縁」とか「逆さ別れ」って言いますけど、ペットとの付き合いは、基本「逆縁」なんですよね。ペットを飼うとき、我々はあらかじめ先立たれることを覚悟している。
それは寂しいことだけれど、でもやっぱり、その子たちがいなかった生活よりも、いた生活のほうが絶対によかったことは間違いない。愛にあふれた時間を一緒に過ごしたことは喜ばしいことじゃないですか。そのことに感謝してあげればいいんですよ。
日常生活は忙しくてかまってあげられないときもあるかもしれない。でもふとした瞬間に、「この子もいつかいなくなっちゃうんだ」と思ったら、ぎゅっと抱きしめる。そうやって行為や言葉によって日常的に愛を表現すれば、愛犬も幸せなんじゃないかな。
多くの人がスマホを眺めて画面に多くの時間を取られている時代に、そういう幸せな時間をたくさん持てていることは幸せですから、別れもきっと乗り越えられるはずです。
愛情表現を照れてしまうのは“防衛本能”?
今の話を聞いていて、ペットとの付き合いって、そうやってシンプルに愛を与えられるのが素敵なんだと思いました。家族や恋人、友人に対して、ふとした瞬間に愛情を表現するのは照れくさいけど、ペットにならできる。それが心地いいのかなって。
僕は人間に対してもやりますよ(笑)。なんで照れくさいんですか?
うーん、なんでだろう……。冗談めかしてなら「好きだよ」とか「愛してるよ」とか言えるけれど、日常的に愛情表現をするのは照れます。
普通に伝えたらいいと思いますよ。僕は人間も動物も差異はないです。
東出さんは照れないですか?
もちろん他人に伝えるときは照れます。あと、仕事関係の付き合いだと、誰かに好意を伝えると、別のキャストやスタッフに意図しないメッセージを伝えることになってしまうから、言わないようにするとか。でも家族だったら全然いいんじゃないかなぁ。
いやぁ、照れくさいってなんでしょうね、ちょっと話ズレちゃいますけど、食事している姿を見られるのが恥ずかしい人って意外と多いんですよ。でもこれって本能的に仕方のないことだと僕は思ってて。食事中って隙だらけだから、動物は隠れてものを食べる。食べている姿を見られたくないのも、その名残なんじゃないかと思うんです。
そこから広げて考えてみると、誰かに好意を伝えることも、自分の心が囚われている状態であることを明らかにすること。だからきっと野生を生きる上では、危なっかしいことなのかもしれない。そこで働く防衛本能が「照れ」っていう感情として表れ、ストッパーになっているんじゃないかな。まぁ、安直な考えですけどね(笑)。
「マジメに考えたから正解」という落とし穴
Letter No.17
私には結婚願望がありません。子供も苦手なので産み育てるつもりもありません。この先どれだけ愛する人ができても、愛する人の遺伝子は残したいと思えても、自分の遺伝子を残したくないのです。
今まで付き合ってきた人たちにも結婚出産願望がないことについて話はしてきているけど、年齢を重ねるにつれて、そんな予定(こちらの都合で)で付き合い続けるのも相手に失礼じゃないかと思えてきます。
東出さんはもし生涯共にしたいと思った相手が子供は産みたくないと告白されたら、それでもその人と共にいることを選びたいと思いますか。そこから派生をして、相手が自分の一番の望みを叶えられないとわかったとき(体調などのやむを得ない理由でなく、相手側の意思でNOと言われたとき)東出さんはどうしますか。考えをお聞きしたいです。
この相談文は少し混乱している印象を受けたので、問題をちょっと分解してもいいですか。
まず、「相手に失礼じゃないかと思えてくる」っていうのは、あくまでも相談者さんの気持ちです。お相手が「失礼だ」と思うかどうかは、相手次第としかいいようがない。だからこのネガティブな思い込みは排除したほうが、思考がシンプルになると思います。
次に、僕への質問ですね。「もし生涯を共にしたいと思った相手が、子供を産みたくないと告白されたら、それでもその人と共にいることを選びたいと思いますか」。これは、もし僕がその人と一緒にいることを優先するほどの相手だったら、そう思うでしょう。
そして「相手が自分の一番の望みを叶えられないとわかったとき、どうしますか」。これも僕の一番の望みが、その相手と一緒にいることで叶わないのなら別れるでしょう。
ここまで分解してわかるのは、この相談者さんが言いたいのは「子供とかどうでもいいから、あなたと添い遂げたい」と思ってくれる人と出会いたいってことなのかなと。僕はそう推測しました。そして、そういう人は当然います。
でもここで重要なのは、人間は変化するということ。出会ったときは「子供なんかいらない、ふたりで暮らせれば幸せ」と言っていた相手が、時間が経つにつれて「あなたと子育てしてみたい」と言うようになるかもしれない。それはお相手だけじゃなくて、もしかしたら相談者さんも「この人となら子育てしてみてもいいかも」と思うようになるかもしれない。先のことは誰にもわからないんですよね。それだけ心の片隅にとどめておけばいいのかな。
個人的には「結婚願望がない」ことと、「子供を産み育てるつもりがない」ことが、なぜか接続されているのが気になりました。「誰かと一緒に生きていくこと」と「結婚」と「出産・育児」はそれぞれ別のことなのに、相談者のなかでは強固に結びついている。
そうですね。近代以降の日本では「結婚は生涯のうちに、一度はするもの」っていう固定観念があって、その認識はなんだかんだいって今も根深い。
僕が最近読んだ『ひとりみの日本史』(大塚ひかり/左右社)は、結婚という制度は、それほど伝統的なものではない、ということを日本史を振り返って丹念に書いていました。かつては女性ひとりに対して男性が複数人という形態があったこと、子育ては集落単位で行っていたこと、生涯独身の女性が当たり前にいたこと。私たちの先祖は、「結婚」なんて言葉とは無縁に、種をつないで生きてきたんです。
日本から目を移せば、フランスには「PACS」というパートナーシップ制度がありますよね。結婚よりもライトなパートナーシップを法的に認め、さまざまな法的権利を保障している。時代や場所が変われば、価値観もまったく異なる。こうやって視野を広げていくと、息苦しさが少しずつ和らぐかもしれません。
そうですね。
相談者の方は、すごくマジメでいらっしゃるんだと思います。でも人間って、ともすると 「マジメに考えたのだから、この結論は正解だ」って思ってしまいがち。そこは誰もが気をつけたいですね。人間が考えることは、正解にはほど遠い。自分には正解は導き出せないという前提に立てば、いかに世の中が不確かなものなのかもわかるし、理想を高く掲げて苦しむことも減るんじゃないかな。
本連載では、読者の皆様から引き続き人生相談を募集中! 東出さんに相談したいお悩みがある方は、どうぞ下のボタンをクリックしてお寄せください(※お答えできない場合もございます。あらかじめご了承ください)
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