東出昌大、山での“とある”経験と後悔。「僕が失敗しなければ、あの子は苦しまずに済んだ」

2023.11.11

文=安里和哲 撮影=西村 満 編集=菅原史稀


東出昌大、35歳。数々の映画やドラマに出演し、現代を代表する映画監督たちの作品にも多数出演してきた。

そんな彼は今、東京を離れ、山に暮らしている。猟師免許を持つ彼は、野生動物を撃ち、自ら捌き、それを食らう。完全な自給自足を目指して生活しながら、役者としても精力的に活動を続けている。

そんな東出が、出演する映画『コーポ・ア・コーポ』の宣伝のため山を降りてインタビューを受けてくれた。本作は大阪の安アパートに暮らす訳ありな住人たちの群像劇だ。それぞれの事情を抱えた住人たちは、それでも前を向いて生きている。一度しくじった東出にとって、この作品に対して思うところがあるのではないか。

そんな東出に、山での人間関係、狩りの厳しさ、都市生活の息苦しさなど、さまざまな話を聞いた。

東出昌大
(ひがしで・まさひろ)1988年、埼玉県出身。モデルとして活躍し、2012年、映画『桐島、部活やめるってよ』で役者デビュー。以降、黒沢清や濱口竜介、瀬々敬久、沖田修一、吉田恵輔など数々の名映画監督に起用されてきた。2021年2月に所属事務所を退所し、とある山奥で生活しながら、フリーランスの役者として活躍している。

山里で味わう、ナマの多様性

──アウトドアな格好ですが、今日も山から直接来られたんですか?

東出 いや、東京には昨日のうちに来てて。今日は埼玉の実家から来ました。犬を飼い始めたので実家で預かってもらって。

──2021年から山暮らしを始め、自給自足の生活を目指しているそうですね。なぜ、あのタイミングで東京を離れて移り住んだんですか。

東出 当時は選択肢がそれしかなかったです。東京で家を借りたら、なぜか週刊誌にすぐ住所がバレますし。張り込まれたら、あることないこと書かれる。コロナ禍にもし友人が家を訪ねてくれても「コロナなのにどんちゃん騒ぎ」と書かれるだろうなとか。

──自由がない状態だった。

東出 東京はもう住めないなと思ったときに、以前から知り合いだった山に住む方に「ここなら誰も騒がねぇから来ていいよ」と言ってもらって。こうやって仕事のときだけ山を下りればいいし、リモートで打ち合わせもできるようになったし、意外と問題なかったですね。

──誘いがあったんですね。じゃあ生活は孤独ではない?

東出 全然っ! 僕のところはありがたいことに、いろんな人が訪ねに来てくれるんです。僕の家のリビングが半分屋外みたいなところなので、本当にいろんな人が勝手に来る(笑)。

ブラジルのヤノマミ族も、シェルターみたいなところに住んでて、そこは共同生活なんですよね。で、排泄やセックスなど、プライベートなことをするときは森の中に入るらしくて。だから僕もひとりになりたいときはむしろ林に出てます。

──山暮らしというと「仙人」や「隠居」を勝手にイメージしますが、人との交流はむしろ濃密なんですね。

東出 本当、みんなよく顔を出しに来てくれますよ。骨休めに来てくれたり、釣りの帰りに魚を分けてくれたり。獣やきのこを置いていく人もいる。マスコミの友達も遊びに来てくれます。

──その出入り自由な感じは、まさに『コーポ・ア・コーポ』のようですね。

東出 そうですね。今回の映画では、いびつな人生を歩んできた人たちが、それでも孤独にならず、ボロアパートでゆるやかな人間関係を紡いでいます。

田舎に住むようになって、今までとは違う人とのつながりに恵まれて思ったことがあって。みんな仲よくなればなるほど、人っていびつなんだなと気づかされるんですよ。それはけっしてネガティブなことじゃない。本当は誰もがいびつなのに、都会ではみんな「ちゃんとした人」のように振る舞うじゃないですか。人のいびつさに気づけないくらい表面的な関わりしかなくて、人間関係が漂白された都市部は、逆にみんな生きづらいんじゃないかなと。

──感覚的にはわかります。

東出 「多様性」といわれるようになって久しいけれど、いまだに抽象的で、思想的な範囲に留まっているように思います。人と人が出会って関係する、そういうナマの多様性はむしろ薄まっている。だからこそ『コーポ・ア・コーポ』のように、事情を抱えた人たちが互いに踏み込みすぎず、でも気にし合っている関係性はやはりいいですよね。

単独猟、後悔の一発

──山での一日はどう過ごしてるんですか?

東出 狩りや薪割り、料理……まぁ生活ですよね。今、牡鹿の繁殖期で、「フィーヨー」という鳴き声が山に響くんです。「俺はこの山にいるぞ」と存在を誇示する声なんですが、先日はその声で飛び起きて、鉄砲を担いで探しに出ました。

──鳴き声を頼りに鹿を探す?

東出 いや、鹿笛を吹いておびき寄せるんです。「俺の縄張りで何してるんだ」と、寄ってきたところを待ち伏せて、狙い撃つ。これを「コール猟」と言います。

鹿笛におびき寄せられた牡鹿を視界に捉えるため開けたところに出ると、すでにメスが2匹いたので、狙いをその牝鹿たちに切り替えました。

距離80(メートル)、僕に気づかず草を食(は)んでいる2匹に気づかれないよう、10、20、30と静かに距離を詰める。距離50で、スコープが鹿の上半身を捉えた。片膝を立ててしゃがむ「膝射」の構えで、右の牝鹿をバーンと撃つ。しかし、どちらも逃げてしまった。

──弾が外れた?

東出 いや、確実に当たったんです。その証拠に右の子は撃たれた瞬間、ぴょんと跳ねて視界から消えた。一方、左の子は銃声が聞こえてから動き出したために、逃げるのがワンテンポ遅れていたんです。もし右の子に弾が当たっていなかったら……。

──2頭とも同時に逃げ出していた。

東出 そうです。だから絶対に右の子は撃たれている。鹿たちの背後は崖で、その谷底に落ちて倒れているだろうと思い、駆け下りて探しました。でも見つからない。しかもそこの足場が悪くて、転けて頭を打ったんです。脳しんとうになってフラつきましたが、早く鹿を見つけて血抜きしないと肉がまずくなると思い、探しつづけました。そういうときってアドレナリンが出て頭の痛みも感じないんですよね。

5分くらい探したところで、ふと、谷底から見上げたら、草原のところに白いお尻が見えた。僕が騒がしく探し回っても、そこにいるということはきっと手負いの鹿だなと思い、再び撃つとようやく倒れた。腹を捌いたら、1発目が肝臓と胃をかすめていたのがわかりました。弾はバイタル、つまり心臓から外れていた。後悔しましたね。

──後悔、ですか。

東出 僕がちゃんと当てていれば、あの子は即死できたんです。僕のミスのせいで撃たれてから5分間も苦しませてしまった。「距離50のとき、スコープの倍率を4倍から8倍にすればよかった」「首を狙えばよかった」「そもそも右と左、どっちの鹿を撃つか迷いがあった」そんな考えが巡りました。僕が失敗しなければ、あの子は苦しまずに済んだ。そう思うとやりきれないですよね。

都市では生を実感できない

──東出さんの脳しんとうは大丈夫でしたか。

東出 それからしばらくは頭痛がひどかったですね、今もまだたんこぶがあります。

──危険と隣り合わせの生活と、役者業の両立は大変じゃないですか。

東出 幸いまだ大きなケガはしたことがないんですけど、たしかにそうですね。実際、来年大きな仕事が決まったので、狩猟はちょっと控えようかなと迷っています。ただ、セーブして何もしなくなるのは違うなとも思ってて。

──葛藤があるんですね。

東出 映画やドラマの制作は、責任があるのでまっとうしなくちゃいけない。でも責任が負担となり、生活が不自由になるのは違うと思うんです。山に来る前、仕事が忙しかったときは、本当にいろいろな制約がありました。いろんなことを制限される不自由な暮らしの中で、「生きるってなんだ」「自分はいったいなんなんだ」と、ぐるぐる考えていました。でも今、山で過ごしている時間は本当に充実している。「俺は今、生きている」と思えるんです。

──自然の中で過ごす時間に、東出さんは生を実感できる。

東出 そうですね。夕方に獲った動物は、日が暮れる前に山から下ろさなくちゃいけない。そうやって必死になってるときには特に生きてるなと思います。息も絶え絶えで、全身の血が沸騰して、心臓が爆発しそうになる。あの瞬間にしか味わえない満足感があるんですよ。

都市の生活はたしかに便利で安心安全です。でも、その快適さを守るためのしがらみや約束事が多くて。それにがんじがらめになると、生きてるって思えないんです。

──山暮らしを通して都市の生きづらさがより鮮明に見えてきた。

東出 生きやすいと感じるためには、取り決めから解放されなくちゃいけない。普通は人間関係でもルールが多いですよね。たとえば、誰かが家に訪ねてきたときは、ちゃんともてなさなくちゃいけない。逆に訪ねたときも、人の家では気を遣わなくちゃいけない。でも、山だったら互いに気兼ねなく過ごしていいんです。僕の家で勝手に休んでくれていいし、僕が作っておいたご飯を勝手に食器によそって食べてくれてもいい。寝たければ寝てもいいし。そういうのって、普通は「わがまま」とか言われるけど、山では「自由」と呼ばれるんです。

──なるほど。

東出 街には決まり事がすごく多いですよね。公園なのにボール遊びもできないなんて意味がわからないんだけど、みんなの安心安全を求めるとそうなってしまう。でも、山には決まり事が一切なくて、好きに過ごしていいんです。そういう自由な場所でしか、人は生きている実感を得られないんじゃないかな。

東出昌大インタビュー後編「“SNSの炎上”との正しい向き合い方」

11月12日(日)公開予定。お楽しみに!

映画『コーポ・ア・コーポ』

11月17日よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー

岩浪れんじによるマンガ『コーポ・ア・コーポ』を実写映画化し、安アパートの訳あり住人たちと彼らを取り巻く人間模様を綴った群像劇。

大阪の下町にある安アパート「コーポ」には、家族のしがらみから逃げてきたフリーターの辰巳ユリ、複雑な過去を背負い女性に貢がせて生計を立てている中条紘、女性への愛情表現が不器用な日雇い労働者の石田鉄平、人当たりはよいが部屋で怪しげな商売を営んでいる初老の宮地友三ら、さまざまな事情を抱える人たちが暮らしている。ある日、同じくコーポの住人である山口が首を吊って死んでいるのを宮地が発見する。似たような境遇で暮らす人間の死を目の当たりにした住人たちは、それぞれの人生を思い返していく。

主人公ユリを馬場ふみか、中条を東出昌大、石田を倉悠貴、宮地を笹野高史が演じる。

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安里和哲

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安里和哲

(あさと・かずあき)ライター。1990年、沖縄県生まれ。ブログ『ひとつ恋でもしてみようか』(https://massarassa.hatenablog.com/)に日記や感想文を書く。趣味範囲は、映画、音楽、寄席演芸、お笑い、ラジオなど。執筆経験『クイック・ジャパン』『週刊SPA!』『Maybe!』..

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