【高校卒業】18歳・奥森皐月が「大学に行かない」と決めた最大の理由

2023.3.30

文=奥森皐月 編集=高橋千里


今年の3月に、高校を卒業した奥森皐月。3歳から芸能事務所に所属し、学業と芸能活動を長年両立してきた彼女が、高校時代の思い出を振り返る。また、高校卒業後「大学に進学しない」と決めた理由とは?


高校生としての思い出は「ない」

高校を卒業した。高校生という肩書で3年間これでもかと活動をしてきたが、それも今月でおしまい。名残惜しさも未練も一切ない。ただ時間が過ぎただけ。たまたま高校生というトンネルを通っていただけ。むしろ外に出られて晴れやかな気持ちだ。

奥森皐月

すごく正直にいうと、高校生としての思い出はない。もっと正直にいうと、そもそも真っ当に高校に通っていない。だからよけいに、高校生が終わることに対して何も思っていないのだ。

プライバシーの問題もあって、これまで学校について一切明言したことがないので、今回初めて学生生活について発表する。誰も楽しみにしていないだろうけれど。少し複雑なのだが振り返らせてほしい。

「芸能活動ができなくなる可能性」を知った小学生時代

大前提として、私は芸能活動をして働いている、それも3歳から。芸能事務所と契約をして、仕事をして、ギャラをいただいて、税金を納める。

もちろん当初は親の意思でスタートしたわけだが、物心ついたときにはこの仕事を楽しいと思っていた。友達と公園で遊ぶのも、Wiiでゲームをするのも確かに楽しかったが、仕事が何よりも楽しかった。いつまでもこの“仕事”をしていたいと、小学校に入学したころにはすでに心に決めていた。

奥森皐月

子役の活動をしながら小学校に通うのは、特に何も問題なかった。幸いにも勉強が好きだったので、仕事で何日も学校に行けなくても成績は優秀だった。学習活動が楽しくて、学校の宿題以外にもテキストを買ってもらって取り組んでいたのを覚えている。

高学年になると、まわりは受験勉強に勤しんでいて、私も負けじと芸能の仕事をがんばった。ところがこのとき、自分にもいずれ高校受験をする日が来ること、そしてそのときは仕事をセーブしなければならない可能性があることを知らされ、愕然とする。芸能活動だけをしているわけにはいかないのだと。

そこで、小学6年生の冬という遅過ぎる時期から勉強を始めて、公立の中高一貫校を受験することにした。当時は舞台の稽古で1カ月ほど学校に行かないこともあったし、グループ活動でのイベントや収録もあったので、塾に行けなかった。そもそもスタートが遅いので、どこの塾も受け入れていなかったらしい。

志望校の過去問を書店で買い、母に助けてもらいながら家で必死に勉強した。0からのスタートはあまりにも厳しく、毎日泣きながら机に向かっていた。

家族から「つらいなら無理に今受験しなくてもいいんだよ」と1000回くらい言ってもらったのだが、元の頑固な性格と芸能活動で強化されたムキムキの負けず嫌い筋肉がそれを拒んだ。

そして、センスと筋肉で志望校には合格した。志望と脂肪でかけているように見えるが、そうだとして別にうまくない。

“おはガール”で活躍、友達がいなかった中学生時代

進学が決まったときの私はこう思っていた。これで6年間全力で芸能活動をがんばれる、受験に仕事をジャマされることを回避した、と。

しかし現実はまったくの別物。私が入学したのは、簡単にいうと「いい大学に行けるように6年間死ぬ気で勉強しようね」という方針の学校だった。芸能活動をしている子なんてひとりもいない。世にいう「芸能校」の正反対。逆芸能校。思いのほか険しい道だった。

奥森皐月

義務教育の間は単位取得のルールがなく、毎日休んでいても留年などのシステムはない。そのため、中学の期間は『おはスタ』(テレビ東京)でおはガールとして活発に働かせていただいた。

多いときは週3くらいでロケに行っていたし、毎週金曜日は早朝の3時に起きて7時からの生放送に出演して、おはガールの衣装から学校の制服に着替え、そのまま電車でテレビ東京から通学していた。

あのころの金曜日は5時間目以降ほとんど意識がなかった。しかし、仕事の時間がどの時間より楽しいと思う気持ちは変わっていなかったので、それすらも幸せだった。

一方で、学校という集団の中で生活することは大の苦手。立ち居振る舞いがいつまでもわからず、友達が全然いなかった。芸能活動をしていて、さらに学校でも目立つ存在だと目の敵にされるだろうという考えがあったのもある。

単純にひとりは楽だし。面倒事が避けられる。だから基本ひとりでいた。誰かと教室移動をしたことは何回あっただろうか。教室の隅で前日に聴いたラジオのことを思い出すのが楽しみだったような。記憶が薄い。

高校進級後に新型コロナ流行、そして転校

ちょうど中学3年生が終わるとき、新型コロナウイルスが流行し始める。高校に進級したタイミングで緊急事態宣言が発令。いきなり授業がリモートで始まった。

救いだったのは、クラスメイトが中学からの同級生だったこと。私と同い年の世代は高校入学後すぐリモートで、その後対面してからもマスク。会っても顔と名前が一致しないということが多かったらしい。

結局マスク姿は変わらぬまま、3年が経った。同窓会なんて開かれたときには、誰ひとり思い出と一致しないのではなかろうか。

リモート授業は数カ月で終わったが、高校1年生の間は学校行事もほとんど潰れた。毎日毎日学校に行って、授業を受けて、黙ってお弁当を食べて、授業を受けて、帰る。もともと学校が得意でなかったが、いよいよすべての楽しみが消えかけていた。

高校では、単位や出席日数の問題も出てくる。けっして芸能界で売れているとはいえないが、高校生になるとそれまでの教育番組の仕事に加え、お笑いやラジオ好きとしての仕事もいただけるようになった。

QJWebでの連載もスタートし、番組アンケートの提出など、それまで経験していなかった仕事も出てきた。それが何よりもうれしくて、仕事をがんばりたい気持ちはますます増大した。

ただ、学習活動に熱心な学校だったため、無理が生まれてきたのも事実。課題を終わらせようと机に向かって、そのまま朝を迎える毎日だった。1カ月ほど椅子で寝てしまっていた時期は、さすがに布団も泣いていたと思う。

奥森皐月

先生や同級生や家族の優しいサポートで、なんとか学校に通おうという気持ちは生き残っていた。しかしこのままいくと、来年は進級できなそうだし、元気に生きていられなそうだとわかり、自分のためにも高校2年生になるタイミングで転校した。

マネージャーに、せっかくいい学校に通っていたのにもったいないと言われたときは、少し胸が痛んだ。

年に100本以上お笑いライブを観た高校生活

転校先は、芸能活動に寛容な通信制高校。週に1回は登校があったが、それ以外は基本自由。以前の学校との大きな差に、しばらくは身体も心も慣れなかった。

しかし転校と同時に、テレ朝動画「logirl」にて初の冠番組『奥森皐月の公私混同』が開始。コツコツと仕事をがんばっていつか冠番組ができたらいいなとぼんやり夢見ていたが、まさかそれが16歳のときだとは思っていなかった。

通りすがりの人にいきなりビンタされるのと同等の驚き。夢みたいだけれど、現実なのだからおもしろい。孫ができたら「おばあちゃんは16歳のとき初冠番組を持ったよぉ」と昔話をしたい。それでウケたい。

一気に通学という負担が減ったので、より楽しく仕事ができるようになった。お笑いやラジオをはじめとした趣味に割く時間も圧倒的に増え、結果的にそれが仕事につながることも。時間があることが圧倒的強みになった。

数字としてそれを自分がおもしろがっていたので、週に30時間分ラジオを聴いたり、月に200本お笑いネタを、年に100本以上お笑いライブを観たりした。

高校時代にこの事実を自ら作れたことに対しては満足している。これから一生、学生時代に何をしていたのか聞かれたときにそう答えられるから。変だしおもしろいと思う。

ずっとひとりだった自分に、友達が増えた!

それから、信じられないくらい友達が増えた。信じられないくらい。

自分は友達があまりできない星の人間だと、生まれてから高校1年生まで信じて疑わなかった。だから学校では大人しくしていたし、休みの日もひとりでできる趣味に没頭していた。

けれど、時間と行動に余裕ができたら、それが奥森皐月とはまったく違う人だったと発覚。仕事で出会った人をはじめ、年齢も職業も境遇も異なる友人がたくさんできた。

奥森皐月

人と関わるのが最高に楽しい。今もひとりの時間は好きだが、同じくらい誰かといる時間も好き。学校でひと言もしゃべっていなかった人と同一人物とは思えないが、もともといわゆる「根暗」とかとも違ったのだろう。

それに加え、人との関わりで性格がより明るくなっているのもきっとある。元のポジティブさがより引き出されているというか。これは性格や環境や思想が複雑に絡んでいるので、レアケースだとなんとなく予想がつく。

アルバイトは「早く辞められるようになりたい」

高校2年生からはアルバイトもしている。今も芸能活動プラスふたつのバイトをしている。普通に週5くらいシフトが入っている。4月からはもうひとつバイトを増やそうかと思っているくらいだ。

物価もどんどん上がっているし。生きるのって大変。趣味が多いので出費が多い。可能な限り、お笑いや音楽やアートなどの文化にお金を払いたいので、お金はあるに越したことがない。

アルバイトの目的として、もちろん芸能界以外で社会経験をするということもあるのだが、シンプルに今は芸能一本で食えていないから。

好きなことをさせてもらえているので、お金がもらえるかどうかは重要ではない。ただ、芸歴も16年目に差しかかっているのでいい加減売れたい。

この仕事だけで生きられるようにするのが目下の目標だ。バイトを辞めたいという年齢ではないが、早く辞められるようになりたい。

高校卒業後「大学に進学しない」と決めた理由

さて、ここまで読んでくださった方はおわかりだろう。奥森皐月は4月以降、大学に進学しない。学校が好きではないし、今すぐに大学に通ってまで学びたいことがないというのが大きな理由だ。

また、働いて自分でお金を手にしてわかることだが、大学の学費が高過ぎる。買い物として考えたときに購入に踏み切れなかった。

そんなことより仕事がしたい。たくさん働きたい。同級生が大学入学共通テストをがんばっていたあの日、私は『AUN~コンビ大喜利王決定戦〜』のMCをしていた。「魚と性病の中間ぐらいの名前しりとり」を見守るお仕事をしていた。何度でも言う、働きたい。仕事が好き。

奥森皐月

進路について、この1年たくさんの大人からたくさんの意見をもらった。中には、勉強が好きなら大学に行くべきという声や、芸能で売れる確証はないのだから今のうちに大学に行っておくべきだという声もあった。

きっとそれは正しさのひとつなのだと思う。進学の道を選べば、それはそれでおもしろいことがあっただろう。

ただ、一番やりたいことは仕事だ。それに、これ以上保険をかけたくないと思った。全部を投げ打って芸能の仕事をがんばりたい。

ここまで16年つづけている。つらいことも数え切れぬほどあったが、何があっても諦めることがなかった。ようやく本気で正面から取り組めるようになった。仕事でご一緒するさまざまな人と同じように、“仕事”ができるようになった。本当に幸せ。ようやくスタートラインに立てたのかもしれない。

学生をしながら芸能活動をさせてくれたすべての人には、感謝をしてもし切れない。学校の先生やマネージャー、仕事で関わったたくさんの人、友達、そして家族。

かけ過ぎた迷惑のぶん、恩返しをしたい。私の原動力は怒りでも憎しみでも復讐心でもなく、たくさんの感謝と恩返しをしたい気持ちだ。今まで出会った全員を幸せにしたい、これから出会う人もみんな幸せにしたい。

奥森皐月

最後に。「高校生活どう?」や「大学はどうするの?」という質問を投げかけてくれたのに、微妙な返事をしてしまった皆さん、ごめんなさい。

転学して通信制に通って受験もしていません。ようやく今本当のことを言えてスッキリしています。そして、これからの日々へ闘志がみなぎっています。

死ぬまで死ぬ気で働かせてください。損はさせません。楽しませてみせます。高校を卒業した奥森皐月も引きつづきよろしくお願いします。これまで以上にご贔屓にお願いします。

奥森皐月

連載「奥森皐月は傍若無人」は、毎月1回の更新予定です。


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奥森皐月

(おくもり・さつき)女優・タレント。2004年生まれ、東京都出身。3歳で芸能界入り。『おはスタ』(テレビ東京)の「おはガール」、『りぼん』(集英社)の「りぼんガール」としても活動していた。現在は『にほんごであそぼ』(Eテレ)にレギュラー出演中。多彩な趣味の中でも特にお笑いを偏愛し、毎月150本のネタ..

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