偽悪に慣れた岸本に見る村井への信頼
このように書き出してみると、人間の価値とは一見した印象では規定できないということが全員に共通して造形されていることがわかる。松本良夫死刑囚(片岡正二郎)や木村卓弁護士(六角精児)もそうだ。そして、それは、全員怪しい考察ドラマの要素にも成り得るというコペルニクス的転回がある……という冗談はさておき、サブタイトルにもなった、「善玉」「悪玉」は人間の体内にどちらも存在するものでバランスよく保たれることが大事だと、美容院で語られているのを浅川は耳にする。それは、この世界をこの上なく言い表している。『エルピス—善玉、あるいは悪玉—』でもよかったくらいであろう。
善と悪との葛藤のなかで、やっぱり強烈な印象を残すのが、村井である。第1話のハラスメント以外は、終始一貫して芯のある人物(佐伯の言う「あるべきもの」を持っている)として視聴者に支持されてきた。こういう人物こそ、大どんでん返し要員になり得るわけだが、第9話では
「野心と欲望のバブル世代だからよ、お前らが振りかざすようなペラペラした偽善とか薄ら寒いと思ってるわけ。世直しのために汚職政治家を倒したいとか1ミリもないわけ」
9話より
と岸本に言い出す。これまでの彼の行動原理は極私的満足だったのだろうか。それが、彼のこのドラマにおける2度目のどんでん返し(裏切り)のように一瞬思わせて、すぐさま自分のスクープを岸本に託すのだ(どんでん返しのさらにどんでん返し)。
この場面でおもしろいのは岸本が「はあ」と聞いている顔である。たぶん、村井の偽悪的な言動にもはや慣れていて、言っているだけだと感じているのではないだろうか。いつの間にかできている「信頼」。冒頭に書いた最終回の予告の浅川の言葉はここにもかかっているように見える。霧がかかって先が見えない、隣にいる人の顔すらよくわからない状況。かすかに感じる相手の気配に、一緒に進んでいける人であることを、感覚でわかっていく瞬間は、大門亨が岸本に伝えた
「真っ暗闇のなかにひと筋、細い光が差したような気持ちです」
9話より
という言葉がふさわしい。村井、大門亨……岸本はけっして孤独ではない。こういう話は、いい感じのセリフによって作り上げることは可能だけれど、『エルピス』はこの場面のなかに、画面に映らない朝露に光るかすかな細い蚕の糸のようなものを浮き上がらせる。作家の刻んだ言葉から糸が生まれ、その細い絹糸が物語を紡いでいく。こんなにも純粋なテレビドラマがこれまでにあっただろうか。
第6話で『贈る言葉』をカラオケで歌ったのは……
大門亨の死因が病死か自殺か他殺かわからないなかで、村井は取材記者の録った大門副総理の談話のテレコを壊し、『ニュース8』のセットもぶち壊す。青いぞ、村井。ここに中島みゆき「世情」がかかったら似合いそうだ。「世情」は『3年B組金八先生』第2シリーズの名作回「卒業式前の暴力2」で生徒が放送室に立てこもり、警察が突入して捕まってしまったときに流れ、このシーンは伝説として語り継がれている。第6話で、浅川と岸本が金八先生の主題歌『贈る言葉』をカラオケで歌ったのは伏線だったのか。いや、村井の場面に「世情」は流れていない。村井は尾崎豊の「卒業」を歌っていた。……話が逸れてしまったが、野心と欲望のバブル世代でも、汚職政治家への義憤が芽生えた瞬間は、浅川の心も動かす。岸本の懸命さが人を動かしている。パタパタと連鎖して倒れていくドミノのように不正が倒れたらいいのにと願う。そんなとき、佐伯の
「権力ってのは瞬殺しかないんだよ。いかに一撃で倒すかだ」
9話より
は至言。いろいろ考え迷っていると巨大な権力はすぐに手を打ってくる。小さく弱い者は溜めに溜め、虎視眈々とその瞬間を狙うしかない。
余談だが、大門亨と岸本が村井に紹介された場所は、大根仁らしい喫茶ルノアール(かつて『去年ルノアールで』という番組を監督していた)。いまどきのカフェとは一線を画す、実に飾り気のない、いや、むしろ独特の美意識を感じる喫茶店。ドラマの設定である2019年時点ではまだ喫煙可能だったはずだ。ここもまた魂の場所なのである。『エルピス』は作り手の純粋さの極地である。
『エルピス ―希望、あるいは災い―』
毎週月曜22時から放送中
出演:長澤まさみ、眞栄田郷敦、三浦透子、岡部たかし、筒井真理子、鈴木亮平 ほか
脚本:渡辺あや
演出:大根仁、下田彦太、二宮孝平、北野隆
音楽:大友良英
プロデューサー:佐野亜裕美、稲垣護
写真提供=カンテレ
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