まとまらない言葉を、そのまま伝える──田島列島『水は海に向かって流れる』『子供はわかってあげない』

2021.12.18

文=羽佐田瑶子 撮影=小野奈那子 編集=山本大樹


マンガの小さなひとコマに、さりげないひと言に、救われることがある。視界が開けることがある。わかり合えない私たちがそれでも手を取って生きていくために、あのマンガを読み解こう。ライターの羽佐田瑶子による、コミュニケーションやジェンダーを考えるためのマンガレビュー・エッセイ。

怒りや悲しみや気遣いを、うまく言葉にできないことがある。空気を乱すことを恐れて、口をつぐんでしまうことがある。田島列島の『水は海に向かって流れる』『子供はわかってあげない』の両作に登場する少年少女たちは、そんなまとまらない感情を、まとまらないまま素直に伝え合う。気の利いた言葉が見つからなくても、たとえ「わがまま」だと思われても、名前のつけられない感情と素直に向き合う方法はきっとある。

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うまい言葉が出てこなくても、器用に生きることができなくても

「怒りたい」という願望がある。
どうしたって、怒れない。怒りたくても、怒れない。怒りの感情が一瞬湧いたとしても、「こう思う人もいれば、ああ思う人もいるしな」とあらゆる可能性を考えて、納得する方向に自分で自分をなだめている気がする。

怒る、というのは自信がないと難しいと私は思う。自分の気持ちを信じて、これは「違う」と断定して、その気持ちを表す的確な言葉を吐き出さなければいけない。私は、気持ちを断定できないのだと思う。常に、「こう思う人もいるし、ああ思う人もいるしな」という喜怒哀楽のグラデーションを行ったり来たりして、自分の複雑な感情を消化し切れず、まとまらないまま宙に浮いている。 

いいふうに捉えれば、あらゆる考えを肯定したいという意思なのだけれど、考え過ぎて、どんどん自分がなくなっていくときもある。この複雑な感情をうまく言葉にすることが難しいから、どうせ空気を乱すなら言わないでおこうと口をつぐんでしまう。モヤモヤと、相手に何も伝えないまま夜道を歩いて帰ることなんてしょっちゅうだ。

選ぶ言葉を間違えたら、私は、相手は、傷つくのだろうか。私は、誰の目を、何を恐れているのだろうか。YouTubeで何度も観ている、大好きなアイドルのグループへの加入が決まって涙する動画を観ながら、記憶をぼんやり上書きしていく。

田島列島さんの作品を読んだとき、「…」の多さに驚いた。いわゆるマンガの主人公たちは、コミュニケーションの魔術師のように、カッコいい言葉をタイミングよく発するイメージだったけれど、田島さんの作品の登場人物たちはしどろもどろしている。言葉をつぐんでしまうし、うまいこと言えなかったら無理やり話題をすり替えるし、問いかけに対して「…」で終わらせてしまう場面もよくある。まとまらない感情が、まとまらないまま「…」で存在しているのだ。その間合いが、私はどうしようもなく好きだった。ああ、こういう世界で生きてもいいんだと、思った。

「…明日気をつけて」
「うん」
「………」

(『子どもはわかってあげない(上)』より)

田島列島さんの長編デビュー作、『子供はわかってあげない』。「マンガ大賞2015」で2位にランクインし、今夏、沖田修一監督によって映画化された。主人公は、高校2年生の水泳部・美波と書道部・もじくん。素直で活発な美波だが、幼いころに両親が離婚し、父親との縁が途切れてしまったことをモヤモヤと抱えていた。美波はもじくんに探偵の兄を紹介してもらい、夏休みに父親探しを始める。

この会話は、美波が父親に会いに行く前日のこと。あまり暗い表情を表に出さず、そんな空気になればおどけてみたりするような彼女に、もじくんはひと言「…明日気をつけて」と言う。考えて、考えて、考え抜いた先のひと言。主人公なら、もっとかっこいい言葉を投げかけたかったかもしれないし、美波も不安な気持ちを吐露したいかもしれないし、もじくんは彼女の気持ちを受け止めたかっただろう。

だけど、そんな気持ちよく、素直に、会話は進まない。いろんな感情が自分の中に巡り、お互いに最低限の言葉を交わすことで精いっぱいだし、それでいいんだと思えた。無理させてしまうのは、一番違うから。うまいこと言えなくても、ひと声かけただけでじゅうぶん。数年ぶりに父親と会う緊張と心配と喜びを抱えた複雑な美波に対して、一番優しい態度なんだと思う。

「また来てもいいかな」と、目をそらしながら父に問いかける美波の視線。美波ともじくんが「今話したいな」と思えるまで、距離を少しずつ近づけていく速度。行ったり来たり、迷いながら、複雑な気持ちをまとまらないまま伝える。その遠回りなやりとりの愛おしさに包まれて、器用に生きなくてもいいんだってホッとした。

自分にも他人にも、わがままになっていい

俺はやだ そーゆうのやだ もう知らないフリはしたくない
けど わがままを言ったら捨てられる…
捨てられるって誰に?
わがまますら言えないコドモのままじゃ
目の前のこの人が背負うものを半分持つことも出来ない
「俺はそーゆうのやです!」

(『水は海に向かって流れる』1巻より)

第24回手塚治虫文化賞新生賞を受賞した、『水は海に向かって流れる』。高校への進学を機に、叔父の家に居候することになった直達。叔父の家には、女装の占い師、ひげメガネの大学教授、どこか影のあるOL榊さんと、奇妙な関係性の男女5人が共同生活をしていた。しかし、直達は自分自身と榊さんの間に因縁の関係があることを知ってしまう。

榊さんは、私みたいだと思った。怒ることを恐れ、「怒ってもどうしょもないことばっかりじゃないの」と言う。大人っぽくて、冷静なわけじゃない。蒸し返してもしょうがない過去が私たちにはたくさんあって、それをどうにかしようとするのはわずらわしいし、悩みが増えるだけ。なんとなく流してしまえば、ちょっと苦しいくらいで気楽だから、怒らないほうを選ぶ。だけど、「どうしようもない」と気持ちに蓋をしてばかりいると、その癖がついてしまって、誰かに道を譲りながら波風立たないほうばかりに歩みを進めてしまう。そこに自分の意思はないし、後悔が積み重なるばかりだ。

間違ったら傷つくかもしれないし、誰かを傷つけるかもしれない。それでも「わがまま」を大事にして口を開かないと、誰かを助けることも、自分が救われることもないんだとふたりのやりとりから知る。「…例の件は私から言うから、直達くんは何も知らなかったことにしときんしゃい」と榊さんに言われ、了承しようとした直達。うつむきながら、考えて、考えて、「そーゆうのやです!」とはっきり意思表示する。うまく説明できてなくても、直達の思いはまっすぐ榊さんに届く。直達と榊さんは、後悔ばかりしてちゃいけない。もっと自分にも他人にもわがままになっていいんだ。

「どうしようもない」ことなんて、きっとない

「怒るつもりはなかった 私が怒ったら 負けだってわかってたのに…」
「……怒ったのは…ちゃんと向き合おうとしたからじゃないですか 榊さんみてると 俺はちゃんと向き合ってない気がする」
俺の聞きわけの良さは 自分からも相手からも逃げてるだけなんだ

(『水は海に向かって流れる』3巻より)

榊さんはずっと残っていたわだかまりを、怒ってぶつけた。理想的な状況で終えられず、逃げるように海に飛び込むふたり。榊さんは自分の感情をコントロールできなかったことに悔やむけれど、直達も私も、「怒ることができた」榊さんを見て自分を省みた。「怒る」のは簡単なことのようだけど、そこに辿り着くまであまりにも遠い。だけど、後悔も幾度もある。大事なときに怒れるように、まとまってなくても口をつぐんでばっかりじゃダメだ。私が自分の気持ちを大事にしたら、どんな道が開けるのだろう。

今でもずっと心に残っている、怒れなかった出来事がある。半年だけ付き合った人と、別れることになった。好きな人ができたわけでも、嫌いになられたわけでもなく、ただ、別れたいと言われた。相手の気持ちは「どうしようもない」から、自分の気持ちには蓋をして、とりあえず承諾した。忙しい日々に追われれば、すぐに忘れて次に切り替えられると思った。

だけど、悔しいのか悲しいのか怒っているのか呆れているのか、全然まとめられない想いは日増しに大きくなり、ぶつけようと思ったところで彼はもう目の前にいなかった。私は、その出来事から、まだ前に進めていない気がする。「どうしようもない」ことなんて、きっとない。その瞬間の怒りも苦しみも確かに私の気持ちなのだから、怒っていいんだ。うまく説明できなくても、この「名前のつかない想い」を大切にして、ぶつける勇気を少しもらえた気がする。

ライターの羽佐田瑶子による、コミュニケーションやジェンダーを考えるためのマンガレビュー・エッセイ。月1回程度更新です。


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