笑顔とは一面的なものではない
人懐っこそうな笑顔ではある。屈託がない、と受け取ることも可能かもしれない。笑いたいから笑っている、そんなふうにも思える。しかし、労(いたわ)りが存在している。相手に対する労りが。つまり、その笑顔は、コミュニケーションであり、もっと言えばコラボレーションでもある。
投げかけであり、誘いであり、問いかけであり、和みの共有であり、こんにちはであり、はじめましてであるような、くしゃっとした笑顔。
ねえ、どうする?
そんな働きかけに、労りを感じる。
心を開け。と言われて、心を開く者はいない。それより、心を開いている自分を見せたほうがいい。強要するのではなく、自らリラックスの意思を示したほうがいい。
手を下ろすこと。
ガードしないこと。
丸腰であることを当たり前にすること。
三浦春馬のあの笑顔は、そのような笑顔である。しかし、彼は、その笑顔に依存してはいない。『映画 太陽の子』を観ると、そのことがよくわかる。なぜなら、ここには、それとは違うベクトルの笑顔が、多様に展開されているからである。
逆に言えば、あのような笑顔はない。
それは、彼が演じる束の間の帰還兵が接するのが、ほぼ家族(同然の存在も含む)に限られた物語であることと無縁ではない。手を下ろした笑顔は、主に血縁のない他者(あるいは世間)になされるものだから。
家族であれば、あらかじめ手は下ろされてあるのだから、わざわざ笑顔でその意思表示をする必要もない。そうして、彼は前述したとおり、慮る笑顔、快活な笑顔、シンプルな笑顔を、相手に差し出す。
私たちは、その笑顔を、この人物の人柄の反映と見るだろう。しかし、その反映は、ダイレクトなものではない。
彼は、相手に対して、その笑顔を提供してはいるが、実は、その笑顔はカムフラージュでもある。束の間の帰還兵である彼の魂は混迷の淵にあり、それを相手に悟られないようにするために、それらの笑顔はあった。ある意味、仮面としての笑顔。しかし、このペルソナこそが人柄の反映なのだ。三浦春馬の表現は、そのような精度に到達している。
ペルソナにキャラクターを託すこと。
本音に、人間の本質が宿るわけではない。たとえ建前であっても、生命の核心は見出すことができる。そのような発見をもたらすのが、『映画 太陽の子』における笑顔たちである。
笑顔とは、一面的なものではない。
無限の拡がりがあるし、他者への働きかけである一方、自身の防衛でもある。人間は、ホームだけで暮らしているわけではない。時には、アウェーに長く滞在することもある。相手によって、環境によって、シチュエーションによって、笑顔もまた変わる。自然に変化する。
ただひとつの笑顔があるのではなく、無数の、数え切れないほどの笑顔が、一体の人間には埋まっていることを、三浦春馬は伝える。
あの、チャーミングな笑顔は、むしろ、そのことを気づかせる、ささやかで大切なスパイスなのである。
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映画『映画 太陽の子』
2021年8月6日(金)全国公開
監督・脚本:黒崎博
音楽:ニコ・ミューリー
主題歌:「彼方で」福山雅治
出演:柳楽優弥、有村架純、三浦春馬、田中裕子、國村隼、イッセー尾形、山本晋也、ピーター・ストーメア
配給:イオンエンターテイメント
(c)2021 ELEVEN ARTS STUDIOS / 「太陽の子」フィルムパートナーズ関連リンク
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