沈黙の時代を打ち破るエネルギー
『映画 太陽の子』では、終戦間近の京都で、原爆開発に挑む研究者に扮している。戦争に勝利するためではなく、戦争を終わらせるために、その研究は行われていた。万策尽きたあとの、一縷(いちる)の望みとして、開発は死に物狂いで進められていた。
こう書くと、あたかも戦争の若き犠牲者というような悲劇性ばかりが浮き彫りになるかもしれないが、そうではない。いつだって柳楽優弥は、あらすじ紹介の類にはすんなり収まらない人物表現をつづけてきた。物語や設定を記述することに、さほど意味はない。人間とは、そもそも、そうしたものからはみ出している存在だ。逆に言えば、はみ出していない者など、つまらない。そんな奴が、映画の主人公など担えるはずはないのだ。
柳楽優弥がここで見せているのは、形容しがたいうしろめたさであり、また、言葉にはしかねるほどの没入ぶりである。彼は、研究に夢中になっている。しかし、それは、お国のために、という大義名分に我を忘れているからではない。彼は言ってみれば、逃避のために、研究に没頭している。
目の前には、精神が傷みつつある、束の間の帰還兵たる弟がいる。実直に、現実的に、未来を見据える幼なじみがいる。すべてを心配する母親がいる。この、戦時下の日常という世界線から、パラレルワールドに亡命するかのように、主人公は研究に向き合う。
対峙するのではない。脳内を、それでいっぱいにするのだ。そのことによって、己を解放し、生かしていることが体感できるように柳楽優弥は、演技を構築している。
マッチ棒で、時計を組み立てるような、想像を絶する緻密さで。
狂気は漂わない。いや、狂気は抹消されている。むしろ健全だ、どこまでも健やかに、汗をかいている。だからこそ、その本気に、私たちは震撼する。
おそらく彼は、なぜ、そこまで本気になれるか、自分のまわりの大切な人たちにも説明はできない。言語化はできない。思考というより、もはや本能だからだ。
そうしたすべてを、柳楽優弥は、物言わぬ佇まいで、まるごと表現して見せる。
その演技の肌触りは、中心、もっと言えば、核を感じさせる。人間の中心。本能の核。そこで、凄まじい爆発が起こり、爆風が立ち上がり、炎上し、ものが焼け落ち、焦げつき、干からびた焼け跡から、魂が立ち上がるまでを、あらゆることを含有した沈黙によって、伝える。
圧倒的な、あまりに圧倒的な沈黙は、しかし、私たちが生きるしかない沈黙の時代を打ち破るエネルギーに満ちている。もう、黙っているわけにはいかない。沈黙が、沈黙を突破する。今が、その時だ。
日本映画の爆心地。
柳楽優弥。
『映画 太陽の子』から、第3期は始まった。
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映画『映画 太陽の子』
2021年8月6日(金)全国公開
監督・脚本:黒崎博
音楽:ニコ・ミューリー
主題歌:「彼方で」福山雅治
出演:柳楽優弥、有村架純、三浦春馬、田中裕子、國村隼、イッセー尾形、山本晋也、ピーター・ストーメア
配給:イオンエンターテイメント
(c)2021 ELEVEN ARTS STUDIOS / 「太陽の子」フィルムパートナーズ関連リンク
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