1985年の厚生年金会館
石野 毎回出てくるけど、メリーノイズ(※9)っていう僕が高校生のころにやってたアマチュアバンドでこのアルバム(『Speak & Spell』)の曲もやってたね。
瀧 やってたやってた。
石野 「New Life」とかね。あと、「Photographic」だ。これ、YouTubeで聴けるよ。懐かしいね。
瀧 この辺のやつ、楽しそうにやってたよね。デペッシュ・モードのステージ、演奏してる姿って、ギターとかもいなくて「シンセ、シンセ、シンセ、ボーカル」っていうのがスタイルだったんですよね。で、当時卓球くんがやってたメリーノイズも、シンセと君のボーカルだけだったっていうのがあって。やっぱ観てるこっち側としたら、「それでバンドなんだ!?」っていう。
石野 今や、もっと形変わってるよね(笑)。
瀧 そうね(笑)。シンセすら、危ういところだもんね。
石野 で、非常にこのアルバムに感銘を受けて、大好きなんですよね。
瀧 うん。名曲ぞろいですよ。
石野 これはブートレッグなんだけど、デペッシュ・モードがファーストアルバムを出す前にやったライブのライブ盤(※10)。ブリッジハウスっていう、ちっちゃなライブハウスでやってるやつなんだけど。このころにもう、ファーストアルバムに入ってる曲の原型みたいなのとか、あとファーストアルバムには入ってない曲とかもあったりとかね。で、ここでライブをやったときにファド・ガジェット(※11)が前座かなんかでライブをやったんだけど、そのファド・ガジェットと一緒に来てたダニエル・ミラーがここで見つけて、スカウトしたっていうね。
瀧 あっ、そうなんだ! 「君ら、いいね」ってなって。
石野 「YOU!」って。
瀧 「YOU、入っちゃいなよ」っつって(笑)。
石野 「YOUは何しに?」って(笑)。それで、このあとも『A Broken Frame』(1982年)ってこの(瀧が着ているTシャツの)セカンドアルバムとか、サードアルバムとか──。
瀧 『Construction Time Again』(1983年)。
石野 とかを出すんですけど。『A Broken Frame』のときに初来日してるんですよ(※12)。83年の4月にデペッシュ・モードは日本に来てて。それがね、83年の4月2日、ピテカントロプス・エレクトス(※13)、ピテカンね。翌日の4月3日が、東京・赤坂ニューラテンクォーター(※14)。
瀧 どんなハコ?
石野 これはね、ホテルオークラみたいなとこ。来日するのは知ってたけど、深夜の公演だったり、とてもじゃないけど、田舎の高校生にはハードルが高すぎて。
瀧 敷居を跨いでいいのかって。
石野 裸足だったし。静岡で靴履いてる人、まだ市長さんしかいなかったから。
瀧 主食が芋虫だった時代ですもん。
石野 芋虫が食えたらいいほうだった(笑)。で、83年に来日するんだけど、全然観れなくて。
瀧 この初来日のときのやつは、FMで流したりとか、そういうのもなし?
石野 ないない。ぜんぜん情報がない。写真も見たことない。
瀧 じゃあ、音源すらないってこと?
石野 俺は聴いたことないね。たぶんこれ、ちゃんとしたツアーじゃないでしょ。きっと、ちょっとプロモーションで組んだやつのついでにやったみたいな感じで。だからこれ、ほとんど記録に残ってないんだけど。で、「観たいな〜」と思ってて。そのあと、ついに来るんですよ。そのときに、ついに観に行きます(※15)。そのときのパンフレットがこれ。
瀧 お〜!
石野 1985年の、4月7日の厚生年金会館に行ったんだよね。パンフレットがあるっていうのがまた、あれじゃない。今、ないでしょ。
瀧 あとパンフレット、きれいに残ってんな〜!
石野 でしょ。大事にしてたもん。これはもうメンバーが代わってて、アラン・ワイルダーってさらにハンサムが入ったあとなんだけど。
※9 メリーノイズ:前回「【『Roots of 電気グルーヴ ~俺っちの音故郷~(仮)』#3:Daniel MillerとMute Records】ミュートにハズレなし」を参照。
※10 Bridgehouse:1988年の非公式プロモ盤。1975年から1982年までイギリスのイースト・エンド・オブ・ロンドンにあったベニュー、ブリッジハウスで、デペッシュ・モードが1980年に行ったライブが収められている。
※11 ファド・ガジェット:前回「【『Roots of 電気グルーヴ ~俺っちの音故郷~(仮)』#3:Daniel MillerとMute Records】ミュートにハズレなし」を参照。
※12 ア・ブロークン・フレイム・ツアー(A Broken Frame Tour):セカンドアルバム『A Broken Frame』のリリースに伴うツアー。アラン・ワイルダーが参加した4人で1982~1983年にイギリス、ヨーロッパ、日本、中国などを回った。全49公演。
※13 ピテカントロプス・エレクトス:1982年、桑原茂一と中西俊夫(プラスチックス/メロン)が東京・原宿のVILLA BIANCAにオープンしたクラブ。通称「ピテカン」。日本初のクラブとされる。1984年に閉店。
※14 ニューラテンクォーター:1959年、東京・赤坂のホテルニュージャパンにオープンしたナイトクラブ。ルイ・アームストロング、ナット・キング・コール、ダイアナ・ロスら海外の大物ミュージシャンや国内のアーティストが出演。1982年にホテルニュージャパンが火災事件を起こして営業停止処分になったが、ニューラテンクォーターはその後も営業をつづけた、1989年に閉店。
※15 サム・グレート・リウォード・ツアー(Some Great Reward Tour):1984年のアルバム『Some Great Reward』のリリースに伴うツアー。1984~1985年にアイルランド、UK、ヨーロッパ、アメリカ、日本などを回った。全81公演。日本での公演は、1985年4月7日の東京厚生年金会館、4月8日の中野サンプラザ、4月9日の大阪厚生年金会館、4月12日の中野サンプラザにて。
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