子供に向かない学校に通わせたのは間違いだった
母 小学6年生のときに先生に「(秀人君は)受験するんですか?」って言われたんですね。クラスで「中学受験する人?」って聞いたらすごい勢いで「はい!!」って手を挙げたらしくて。本人も「○○君が受けるから僕も受ける」って、そういうもんじゃないでしょって(笑)。でもどうしても受けるって言うので私が勉強を見て、それで堅い私立に受かっちゃったんです。
本人も「行ってみる」って言うし、私もせっかく受かったんだから行かせてみようかなって思っちゃった。それは間違いだったと思いますね。今でも後悔してます。ルールが厳しいところに向かない子だってよくわかってたのに。
──中学に入ったころの秀人さんの人間関係をどう見ていましたか?
母 やっぱり学校がすごく厳しくて、髪の毛が耳にかかったら坊主(丸刈り)にしなきゃいけないっていうルールなんかがありました。「明日坊主にして来なかったら学校に来るなって先生が言った」って。それで本当に坊主にしたり、本人は居心地が悪かったと思うんですね。校則が厳しいから、服装なんかもまるできちんとした子みたいでしたけど、でも本来のかたちとは違うなとは思ってました。ニコニコしてちょこちょこ悪いことをやってる子が、あんまりしゃべらなくなって無表情になっていったから。それまでいっぱい遊びに来てた友達もほとんど呼ばなくなって、学校の話もあんまりしなくなりました。
自分の居場所がなくなってたんじゃないかっていうか。人間関係で今まで無頓着だったことにも、ものすごく敏感になったような気がします。その揺り戻しがすごく大きくて、急に人が怖くなったんじゃないですかね? 計り知れないものが見つかってしまったというか。
──その当時は特にお母さんにも相談とかはなかったですか?
母 秀人は私にすごく話したんですよ。でも私は「中学1年生くらいの男の子がそういう話を親にしかできない」っていうことが変だと思ったんです。
自分の経験だけど、私は人生観とか死生観を親と話したことはほとんどなくて、林間学校や部活の帰りとかに友達とものすごく話した。親に聞かれても「別に何も考えてないよ〜」とか言ってるけど、子供同士ではいろいろ話してるっていうのが普通だと思うんです。
でも、秀人には「本当にわかんないことをどう思うか」って話をできるような、信頼してる人がいないんだなと思って。すごくショックでした。同年代の思春期の子供と話してないなって。「どうして人間はどうせ死ぬのに生まれてくるんだ」とかいう話を、親の私に聞いたので……これは大丈夫か?と思いましたね。
──その息子のために何かやらなくちゃ、と思いましたか?
母 そこから心配なことがものすごく多くなっていきました。なんか(秀人が)息をしてないなあと思いました。気をつけて見てはいましたけど、叱ろうとかはあんまり思わなかった、心配だけしてた感じでした。「どうするのがいいかな」って上の子供たちと話をしたり、「なるべくどこか行くときに誘ってやってね」とは言いました。
──秀人さんが隠し事をしている、お母さんにも言えないことがあるんじゃないかと考えたことはありますか?
母 学校に行ったフリをして庭の隅に隠れてたりはしてましたけど。バレないように隠したりはなかなかできない人だとは思うので(笑)。
──以前秀人さんから、「母は、自分がフラフラしてしまうことをとやかく言わないで、待ってくれていた」という話を聞いたんですが、実際のところどうだったのでしょう?
母 私まで言うと大変なんですよ。うちはお父さんが「こうであるべき!」っていうのを強く言いますから。だからこうするべきという話を私はあまりしなかったんです。それに、子供が思ってる「(環境と自分の)合わなさ」というのも、わからなくはないんですよね。秀人は私立の高校に行ってから都立の高校に行ったんですけど、どちらの先生もすごく理不尽なことを言ったので、私のほうが腹が立ったぐらいで。私でも辞めてるだろうなと。
──理不尽なことというのは具体的にどのようなことだったんですか?
母 私たち両親を呼び出して、秀人に「お母さんお父さんのいるここで、明日からちゃんと休まずに学校に来るっていう約束をしなさい」って。それで来られるんだったらとっくに来てるのになって思いました。転校するときも、「クラスにさよならを言うときに新しく入った高校の制服を着て来させてください」とかね。
新しい高校でも、何日か学校を休んでた秀人が「定期試験はがんばって受けてくる」と言って勉強して受けに行ったら、「出席日数が足りないから試験を受けても点数はつけないからな」と先生が言ったそうで。
秀人がすごく怒って帰って来たのを覚えてます。私も怒りたかったので(笑)、後日、ちゃんと話を聞きに行ったんです。すると帰り際に「お母さんが出てきて話をされたからといって明日から容赦するわけじゃありません」と言われて。生徒と先生の関係性ってなんなんだろうと思いました。だから、本人にこうすべきだって言わなかったというより、言えなかったですね。
逆に、私はそのくらいの年頃で、学校で上からものを言われたことはなかったし、細かい校則もなかった。そんな思いを全然しないまま生きてこられたのが、すごく恵まれてたんだなって、親に感謝しちゃって。私は(親として)足りてないなあと思っちゃいました。
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