生涯かけて恨んでいた父を自分で演じた
さいたまゴールド・シアターとジュヌビリエの公演の間に、ハイバイで『て』と『夫婦』の再演も行っている。2作共に僕の家族をモチーフにした演劇だが、この中の『夫婦』で僕は演出をしつつ、生涯かけて恨んでいた父を自分で演じた。これも奇妙で、タフな作業だった。自分が許せない者を、許せないまま演じる。許せない部分を特に深く強く演じる。嫌でも「あいつ(父)の血が流れているんだな」ということが体で理解できてしまう体験で、成立すればするほどつらくなっていくような仕事だった。誰かの書いた台本を、ただ俳優として演じるのとはまったく違う体験で、これまた精神的に負荷が大きい体験だったと思う。「我ながら何やってんだろう?」と何度も思った。
こうしたことを回復を待たずにつづけたことで、2018年の終わりにはすでにかなり精神力を使い果たしていた。が、最後の最後に大物が待ち構えていた。
松尾スズキさん、松たか子さん、瑛太(永山瑛太)さんらが出演し、前野健太さんが音楽を担当した舞台、パルコ・プロデュースの『世界は一人』である。キャスティングから台本、演出に至るまでを自分で手がけたのは幸せな経験だったが、商業演劇というこれまでとは違った重たいプレッシャーが乗っかっていた。
『世界は一人』の稽古の最中から、「この公演のあとすぐに、まったく社会と関わらない時間を持たないと、潰れる」と感じていた。本番が始まれば、あとは俳優のものでもあるし、地方公演の途中からは社会のことはほとんど考えず、ひきこもってから何をしようか、その計画をずっと立てていた。
そうして4月に公演が終わり、晴れてひきこもりになるわけだ。
一度落ちたら、浮き上がるのを待つしかない
ひきこもってからはずっとゲームをしていた。20代のときに夢中になった『ディアブロII』というPCゲームがあって、その改造データによる続編『メディアン』を毎日プレイしていた。
『ディアブロⅡ』も『メディアン』も、基本的に英語だからストーリーはまったくわからない。たぶん、ディアブロなる悪魔が世界を滅ぼそうとしているから、倒す、っていうことだと思うが、とにかくダークファンタジーの世界観が心地いいのだ。
目の前に出てきた敵をとにかく殺しつづけていいというシンプルな設定は、「目の前の人を傷つけずに誘導する」という演出の主な仕事で精神をすり減らしたタイミングでは、「救い」に近いものになる。ひきこもりがゲームをやる理由としても、小さな成功体験が積み重ねられ、それが再び社会に向かうための「救い」のようなものになっているのだと思う。
というようなことを言い訳にしつつ、その期間は日夜ゲームをやりつづけた。ある程度社会性を使い切ったらボーンと落ちるところまで落ちて、補充されるまでは時間が過ぎるのを待つしかない。だからゲームという一番社会性を使わなくていい作業に没頭して、その時が来るのを待っていた。