「実験のために子供を作った」4児の父親が明かす“人生の研究期間”【#12前編/ぼくたち、親になる】

文=稲田豊史 イラスト=ヤギワタル 編集=高橋千里


子を持つ男親に、親になったことによる生活・自意識・人生観の変化を、匿名で赤裸々に独白してもらうルポルタージュ連載「ぼくたち、親になる」。聞き手は、離婚男性の匿名インタビュー集『ぼくたちの離婚』(角川新書)の著者であり、自身にも2歳の子供がいる稲田豊史氏。

第12回は、「ほぼ専業主夫」を自称する50歳男性。結婚してから4人の子供を作ったが、それにはワケがあった。

※以下、田野井さんの語り

「できない子って、なんでこんなにできないんだろう?」

妻の理菜とは、mixiのゆるい飲み会サークルで知り合いました。ふたりともコアな少女漫画好きだったのですぐに話が合い、交際を経て同棲がスタートしたんです。

僕も理菜も、結婚というものにそれほど意味を見出していなかったので10年ほど同棲を続けたんですが、30代も半ばに差しかかったころ、ふと「もし子供を作るなら、結婚は必須では?」という考えに至りました。

今だったら事実婚などいろいろと選択肢はあると思いますが、そこはまあ、古い倫理観といいますか。それで、僕からプロポーズして結婚しました。

ただ、昔から子供なんてむしろ嫌いでした。では、なぜ欲しくなったか。

僕は司法の道を目指していたので、東大法学部を卒業後は、塾講師の仕事で収入を得ながら司法試験の勉強を続けていました。ところが塾講師のほうがおもしろくなってしまい、勉強がどんどんおろそかになっていったんです。

何がおもしろかったかをひと言で言うなら、「できない子って、なんでこんなにできないんだろう?」です。僕は小さいころから、学校の勉強で苦労した覚えがありません。だから、すごく不思議だったんです。純粋に興味が湧きました。

最初は大学受験に挑む高校生を教えてたんですが、高校生だと、もうすでに「できる子」と「できない子」がはっきり分かれています。それで、「できる/できない」の分水嶺はどこにあるのかを求めて、中学生、小学生と、教える相手をどんどんさかのぼっていきました。

でも、小学生の段階ですでに圧倒的な差がついちゃってる。もう、どうにもなんないくらいに。

もっとさかのぼらなきゃ、その謎は解明できない。それで、思いついたんです。自分で子供を作って、最初からじっくり観察すればいいということに。

僕の子作りは、いわば「実験」なんです。

「実験」のために子供を4人作った

僕は子供が「好き」ではないけど、「実験対象」としてはものすごく興味が湧きました。

そのことを理菜に伝えると、特に驚くでも怒るでもなく、「あなたなら、そうだろうね」くらいの反応でした。というか、理菜もどちらかというと僕に近くて、「子供好き」というよりは「子供という存在に興味がある」人。それで、僕の提案に乗ってくれました。

では、何人作るか。これは「実験」ですから、ひとりでは足りません。同じ条件で育てて、その差分を観察する必要がある。対照実験ですね。であれば、同じ性別の子供がふた組、つまり男・男・女・女と4サンプルあるのが好ましい。

加えて、理菜からは「私は3人きょうだいの真ん中だったから、3人までは想像の範囲内」なんて言われたもんだから、変な闘志に火がついてしまい、じゃあ未知の領域である4人を狙おうということになりました。

※画像はイメージです

ただ、その時点で理菜は34歳でしたから、のんびりしてはいられません。さっそく妊活し、すぐひとり目、2年空けてふたり目を授かれました。

しかも幸運なことに、理菜が「私、出産が得意だ」と感じてくれたんです。つわりは激しくないし、出産はスムーズだし、産後の回復も早い。仕事も、超短期だけ休んですぐ復帰。理菜いわく、第三子、第四子と進むごとに出産が楽になっていったそうです。

2年にひとりのペースで4人、妻の出産年齢は37歳、39歳、41歳、43歳。4人目がふたり目の女児だったので、キリ良くそこで打ち止めました。

子供が4人もいればそれなりに財力は必要ですが、その点は高給取りである理菜の稼ぎを全面的に頼りましたし、彼女も最初から納得済みでした。

僕はひとり生まれるごとに仕事を減らしていき、家事と育児にリソースを割く。教室勤務だった塾講師の仕事は個別指導の家庭教師にシフトし、仕事量は激減しました。

仕事が減ったことについては、もちろん不本意ではありません。そもそも子供は「実験」、僕の探究心を満たすために作ったので。その欲求は完全に満たされました。

今は、いわば人生の研究期間なんです。

固有のエネルギー量は変えられない

サンプルが4もあると、実験場としてはめちゃくちゃおもしろくなります。同じように育てているのに、4人とも中身はまったく違って育つ。なぜなら、生まれつきの性質がまるで違うから。この性質は、育て方ではほとんど変わらない。

子供が生まれる前は、やり方次第で子供の性質を変えられるもんだと思ってましたけど、まあ無理ですね。変えられるなんて傲慢の極みでした。性質は変えられない。

※画像はイメージです

大事なのは、こちらのやり方をその子の性質に「合わせる」こと。塾講師時代から、子供たちの特性によって教え方を変える必要性は感じてしましたが、そのことをさらに強く、高い解像度で理解することができました。

だいたい、もともと持っている「エネルギー量」が、子供たちによってまるで違うんですよ。これはもう、絶望的に変えられません。

エネルギーを使う方向を、大人の誘導によって変えることなら可能です。たとえば、暴力的な子のパワーを別のことで発散させてあげる。趣味や部活に振り向けるパワーを受験勉強に転換する。頭にばかりエネルギーを使う子には外で遊ばせたり、体を動かしてばかりの子には本を読ませる。塾講師の経験からも、これらにはある程度メソッドがあります。

ADHD(注意欠如・多動症)の子もそうです。凸凹があって画一的なスタイルにフィットしないだけなので、あり余るエネルギーの「コントロールの仕方」を本人に教えてあげればいい。

それってクルマにたとえるなら、ガソリンは入っていて、エンジンも回っているけど、ハンドル操作がうまくいっていないだけの状態です。あるいはギアチェンジの仕方が下手なだけ。その場合、親や教師はその子に運転技術を教えてやればいい。

一方で、持っているエネルギー量が著しく少ない子がいます。エンジンがそもそも回っていない。ガソリンタンクが空なんです。だから動きたくないし、頭も回したくない。

こういう子は、どうにもなりません。0を1にはできない。エネルギーがない子を「ある」状態にはできないんです。

答えが出た

エネルギー量だけはどうにもならない。変えることができない。親にできるのは子供の改造ではなく、正確な見極め。このことは、4人の子を育てる中で強く確信しました。

エネルギーのない子に、勉強させる方法がないわけではありません。ただ、エネルギー量は学習意欲とか飲み込みの速さに直結するので、エネルギーがある子との差は、いかんともしがたい。

※画像はイメージです

極端なたとえをすると、どんな子も「ものすごく頑張れば」皆、東大に入れます。だけど、もともと持っているエネルギー量の多寡(たか)によって、合格するために費やさなきゃいけない努力の量は「桁」が違ってくる。悲しいかな、そこには生まれながらの格差がある。それを後天的に埋めることはできません。

親や社会に反抗したり、積極的に皆が行かない道を歩もうとしたりする子は、むしろエネルギーのある子です。そういう子は、エネルギーが別のところに向きさえすれば、勉強でも仕事でも、うまくドライブする。

一方、エネルギーのない子は往々にして、素直で、いい子で、従順です。親や社会に反抗するエネルギーもないので。うちの子供たちでいうと、4人のうちのひとりが、その典型でした。とにかく休んでいたい。頭も体も動かしたくない。これは厄介です。

「できない子って、なんでこんなにできないんだろう?」の答えは、これでした。

後編は7月24日(水)夜、公開予定

【連載「ぼくたち、親になる」】
子を持つ男親に、親になったことによる生活・自意識・人生観の変化を匿名で赤裸々に語ってもらう、独白形式のルポルタージュ。どんな語りも遮らず、価値判断を排し、傾聴に徹し、男親たちの言葉にとことん向き合うことでそのメンタリティを掘り下げ、分断の本質を探る。ここで明かされる「ものすごい本音」の数々は、けっして特別で極端な声ではない(かもしれない)。
本連載を通して描きたいこと:この匿名取材の果てには、何が待っているのか?

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稲田豊史

(いなだ・とよし)1974年愛知県生まれ。ライター・コラムニスト・編集者。映画配給会社、出版社を経て、2013年に独立。著書に『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ──コンテンツ消費の現在形』(光文社新書)、『ぼくたちの離婚』(角川新書)、『ポテトチップスと日本人 人生に寄り添う国民食の..

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