m-floと宗教と曲作り「大切なのは<違ったもの>をいかに取り入れるか」

2020.1.15

「宗教」ってタブーですからね、日本は。

―――話がちょっとずれますけど、僕はこの連載(※1)を始めてから気がついてきたことや思い出してきたことがあるんです。今までは割とだらだら生きてたんだけど、自分のやりたいこと、人生のテーマみたいなのが見つかった時に、それまでは自分ひとりで生きてるって思ってたのが、親とか先祖とか友人とか、ああ、大事なもんだなあって。その中で俺は生きてるんだなあっていうのを実感してるんですよ。今まで親とかあんまり大事にしてなかったとこもあるんで、なんか、「放蕩息子がやっと家に戻れる」みたいな。まあ、実家は遠いんですけど、気持ち的にね。

TAKU 分かるな。最近、音楽やっていくことになってから、もっと親とかに優しくできるようになったかな。

VERBAL 僕、昔、大学行ってた時は、「あなたは法学部に入んなきゃだめよ」って言われてて、そんなことしたくないんだけど、一応、法学部のテストとか受けて、「これはもう、絶対違うよ」っていうのは確信してて。音楽やり始めた時にもお母さんは「あんた、牧師の資格を取ろうとしてる上に音楽なんて。それこそお金にならないわよ」って。まさしく放蕩息子っていうか。でも、だんだんやってるうちにお母さんも「息子は自分に似たんだな」っていうのに気づいてきてくれたみたいで。お母さんは昔バレエやってたりして、自分がやってることに筋が通ってるから。

みんな、ひとつ筋が通ってるところがあれば、言いたいことは、音楽であろうが、牧師を通してだろうが、家で主婦してようが、メッセージはひとつだから。だから今も、「俺のやってることは筋が通ってるかな」って、毎日自分に言ってますね。人間って、真実を求めて生きてるつもりでもいろんな解釈があるから。

―――あのー、なんか不思議ですけど、今日インタビューする前に資料を読んでて、VERBALさんがクリスチャンだって書いてあるのをボーッと見てた時に、“prodigal son(放蕩息子)”っていう聖書の言葉がハッと浮かんだんですよ。

VERBAL 実は持ってきちゃったんですよ。(席を離れてバッグから紙を取り出す)日本語の聖書から「放蕩息子」の話をコピーして持ってきたんで。

―――えっ?

VERBAL これなんで。いいところなんで。

―――うわー。あるんだよなー、こういうこと。僕、聖書持ってないから、読みたかったんですよ。これ。

VERBAL 僕、これ読んで、自分が放蕩息子だなあと思って、その時にクリスチャンになったんですけど。

―――うわー、うれしいなあ。

TAKU なんか、「宗教」ってタブーですからね。日本は。

―――そうそう。そこなんですよー。俺、自分の音楽の原体験っていうのがあって、実家は浄土真宗なんですけど、「念仏会」っていうのがあって、近所のばあちゃんが集まって何時間も念仏をやってるんです。「和賛」っていうスタイルで、プリミティブなメロディのお経を延々やってるんですよ。「子供は退屈だからいなくてもいいよ」って言われたんだけど、なんかそれが妙に好きで、いつもそこにいて。それが原点にあるんで、音楽を聴く時もクラブに遊びに行く時も、どうしても祝祭的な空気を求めちゃうんですよ。

TAKU 俺、基本的に宗教の教えっていうのは好きなのが多いんですけど、宗教団体が嫌いなんですよ。

―――僕もそうですね。人に説教するのは嫌いだし、説教されるのも嫌い。人の上にも下にも立ちたくない。

TAKU 一応僕は、神様は信じますが無宗教なんです。基本的に、ヒップ・ホップでも宗教でも派閥が嫌いで。仏教にもいい教えは見つけられるし、キリスト教にもいい教えは見つけられる。

―――キリストにしてもブッダにしても、最初に悟ったことって同じだと思うんですよ。だから、僕はすべての宗教の根源は一緒だと思う。宗教は人間が悟るもの、人間が造るものだから、最終的には「人は信じる」っていうことだと思うんですよ。

TAKU 僕もそういう考えだけど、人によっていろんな解釈がありますよね。だからね、押しつけがましいのは嫌ですね。でも、飛行機に乗るたびに、落ちないようにお祈りしてます。困った時の神頼み(笑)。一応、着いたら感謝もしときます。

哲学は「<違ったもの>をいかに取り入れるか」

※1:このインタビューは、春日正信氏による「ロックと差別」という短期連載の第3回として掲載された。

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