気恥ずかしがってる場合じゃない『アイの歌声を聴かせて』と『EUREKA』を言葉にするなら、やはり「愛」である (藤津亮太)
公開中の映画『アイの歌声を聴かせて』と『EUREKA/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』を観て、「これは、愛を描いた作品だ!」と心打たれたアニメ評論家・藤津亮太。アニメ映画を語るときに「愛」という言葉を使いたくないが、決して背を向けていい問題ではない! と2作品を繋ぐ「愛」について考察していく。
※この原稿は『アイの歌声を聴かせて』と『EUREKA/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』の重要な部分について触れています。
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言葉にするなら、やはり「愛」
「愛」という言葉は、気恥ずかしい以上に“取り扱い注意”である。なにしろ愛は圧倒的によいものとされているから、映画などの宣伝で、これ以上にないほど使われて、手垢がつきまくった言葉になってしまった。
さらにアニメ映画の宣伝となると、かつての『宇宙戦艦ヤマト』が、「テーマは愛である」と高らかに宣言(実際はもっとデリケートな事象の積み重ねだが、今回の本題ではないので、ざっくりこうまとめておく)してシリーズを重ねたこともあり、されあに「愛を謳うことの難しさ」を意識せざるを得なかったりもする。
だからあまりアニメ映画を語るときに「愛」という言葉を使いたくない。とはいえこの世の中に「愛」と呼ばれる感情はあるのも間違いない。例えば、自分の何かと引き換えであってもいいから、幼い子供が幸福であってほしいと願う、あのあまりに非対称な感情は、言葉にするなら、やはり「愛」しかないのではないかとも思う。
そんなことを思ったのも、このところ相次いで公開された『アイの歌声を聴かせて』と『EUREKA/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』は、どちらも「愛」としかいいようのない事象を描いた作品だったのだ。この2作を見ると、例え気恥ずかしかったり“取り扱い注意”であるからといって、「愛」を茶化したり背を向けたりするのもまた違うのだよな……と思わされたのだった。
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