「Uber Eats」の配達員に嫌味なツイートをした糸井重里に、韓国文学の傑作を読んでほしい(書評家・豊崎由美)

2021.9.6

どうしてこんな嫌味なツイートをしたのか

で、今回のツイートに至るわけです。

「ウーバーイーツ?って頼んだことないんだけど、配達してくれる人の服装の清潔感とかサンダル履き禁止とか自転車の汚れ方とかについてのルールはないみたいだね。」(2021年8月31日)

新型コロナウイルス禍による影響で、収入が減ったり失職してしまった人たちが多いとも言われている「Uber Eats」の配達員。「誰のことも責めないで、じぶんのことをしている」人たちといってもいいでしょう。1件あたりおよそ500円~1000円と言われている配達をたくさんこなそうとすれば、夏場ということもあり、着ているものは汗で濡れましょうし、サンダル履きで少しでも涼を取ろうとするのもやむを得ないですし、毎日自転車を洗う気力が湧かないというのも、ちょっと想像すればわかることです。なのに、糸井重里はどうしてこんな嫌味なツイートをしたんでしょうか。

すでにネット上では「上級国民のつもりなのだろう」「いまだにバブルのころの感覚から抜けられないのだろう」「目線が自分と同じ金持ちにしか向いていない」「いつまでも〈おいしい生活〉のつもりでいる」などなど、さまざまな批判が渦巻いており、そのほとんどにうなずく自分がいます。

世界一のクリスマスツリー企画の時、新型コロナウイルスの混乱時、そして今回のツイートを分析すると、糸井重里が自分たちは素敵なことを考え下々の者にそれを提供する側の人間であり、そんな自分たちの言動に疑義をはさむ低いところにいる者どもは、高いところにいる自分たちを引きずり降ろそうと躍起になっていると潜在意識で思っているのではないかということです。もちろん、自分たちが考える素敵な提案が素敵であることに疑いは持っていませんし、自分たちの価値観を押しつけているとも思っていません。

韓国の傑作『こびとが打ち上げた小さなボール』をおすすめする

そんな殿上人と化した糸井重里さんにおすすめしたい小説が、韓国を代表する現代作家のひとりチョ・セヒが1978年に発表した連作短篇集(のスタイルを取った長篇小説ともいえる)『こびとが打ち上げた小さなボール』(河出書房新社)です。この小説、言葉の自主規制はなはだしい日本では翻訳困難な単語がバンバン放たれる内容になっていますが、法政大学在学中に学生運動に身を投じ、5回も逮捕された経験を持つ糸井さんがかつての自分を蘇らせるよすがになるのではないかとオススメする次第なんであります。

『こびとが打ち上げた小さなボール』チョ・セヒ著、斎藤真理子訳/河出書房新社
『こびとが打ち上げた小さなボール』チョ・セヒ 著/斎藤真理子 訳/河出書房新社

が、しかし、内容は過激です。なんせ冒頭の1篇が、〈せむし〉と〈いざり〉が自分たちの家を取り壊しておいて、相場より低い額の保証金しか払わなかった業者の男を襲う話。で、最後に置かれた1篇も、同じコンビが、自分たちを置き去りにした見世物で人寄せする移動薬売りを、殺意をもって追いかける話。この、グロテスクな詩情を湛え、かつシニカルな笑いを呼ぶ寓話のようなふたつの物語と、間に挟まれたリアリズム寄りの10篇の舞台になっているのは、朴正煕(パク・チョンヒ)による軍事独裁政権下、知識人が次々と連行され、資本家によって労働者が搾取される一方だった1970年代の韓国なのです。

スムーズに水も出てこない家に住み、世の中の不公平さに苛立ちを覚えている中産階級の専業主婦シネが、〈こびと〉に水道を修理してもらい、自分もまた彼の仲間なのだということに思い当たる「やいば」。
学生運動に身を投じ、精神を失調させたシネの弟の物語「陸橋の上で」。
特権階級の父親に敷かれたレールに反発を覚える受験生が、自分でものを考え、曇りのない目で社会を見ることを学んでいく「軌道回転」と「機械都市」。
巨大企業グループ一族に属する青年の目を通し、持てる者の残酷さを活写する「トゲウオが僕の網にやってくる」。

当時、北朝鮮よりも貧しかった韓国の、経済成長を第一義にかかげた朴正煕政権による急激な都市開発によって、生を蹂躙されていくスラムの住人たちをはじめ、さまざまな立場にある人物を登場させることで、民衆苦難の時代を立体化させるこの小説の中心にいるのが、スラムの住人代表といえる〈こびと〉一家です。

長男ヨンス、次男ヨンホ、長女ヨンヒそれぞれの視点から、家族のために懸命に働いてきた愛情豊かで辛抱強い〈こびと〉の、報われなかった一生を描く表題作。
資本家から人間として扱われない理不尽な状況下、勉強会を開き、組合を結成したヨンスが、静かに怒りを内に育てていく過程を描いた「ウンガン労働者家族の生計費」と「過ちは神にもある」。

描かれていることのほとんどは、読んでいてギョッとするほど苛烈で過激で過酷です。でも、イメージ喚起力の高い、時に詩的とすらいってもいい文章が、この小説を貫く悲しみに繊細な表情と普遍性を与え、日本人のわたしからも深いレベルにおける共感を引き出す。つまり、韓国文学を超えて世界文学になっている作品なのです。

作中で重要なエピソードとして語られる「こびとが打ち上げた小さなボール」にまつわる出来事。〈小さなボール〉とは一体何を意味するのか。わたしは、〈こびと〉がわが子や祖国に託す未来ではないかと受け取る者ですが、解釈は読者一人ひとりに任されています。糸井さんはどう解釈しますか? 糸井さんにとっての〈小さなボール〉は何ですか? 「トゲウオが僕の網にやってくる」に出てくる金持ちの冷酷お坊ちゃまと、「軌道回転」「機械都市」に出てくる世界の矛盾から目をそらさない受験生のどちらが、自分に近い存在だと思いますか? この小説の中で描かれている貧困や圧政に押し潰されそうになりながらも、「悪い連中を悪いと責め、同時にじぶんのすべきことから逃げない」人々に、「責めるな。じぶんのことをしろ。」と、都心の高級マンションの一室から言えますか?

この小説が本国でベストセラーになり、ロングセラーとして読まれつづけているのは、今もなお〈小さなボール〉に心を寄り添わせる人たちがいるということの証左です。そんな韓国の読書界を、わたしはリスペクトします。


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