かっこよくなる薬
美容室の関係者の方々、直視派の方々。
ここからはミミズの戯れ言だと思って、寛大な目で見て頂けたら光栄だ。
初めて散髪屋さんに行ったのは小学校低学年くらいだろうか。
父ちゃんか母ちゃんに連れられて、何刈りにしたのかも覚えていないが、顔を剃る刃物みたいなのが凄く怖かったのを覚えている。
知らないおじさんに頸動脈を預けて、生きた心地がしなかった。
しかし、頸動脈を切って来ないいいおじさんだと分かると、僕はすすんで散髪屋さんにひとりで通い始めた。
髪を切った後、頸動脈じじいが頭に何か塗ってくれるのだ。
僕はそれがとても好きだった。
頸動脈じじいは、それを「かっこよくなる薬」と名付けていた。
家からチャリで2、3分くらいの散髪屋さんだったが、かっこよくなる薬を塗った後の僕はいつもわざと遠回りして帰る。
近所のおじちゃんおばちゃんが誉めてくれるからだ。
「ようちゃん、かっこよくなったねぇ」
「陽一!男前になったな!」
かっこよくなる薬の効き目は絶大だ。
もしかしたらあの頃の僕は、キラキラした目で鏡を直視していたかもしれない。
いつからだろうか。かっこよくなる薬は効かなくなった。
若い時に塗り過ぎた副作用かもしれない。
もしかしたら最初から効いていなかったのかもしれない。
とにかく散髪してもかっこいいと言われなくなったのだ。
中学、高校と進学した僕は、頸動脈じじいの店のせいにして、色んな店に通った。
その時期くらいからだ。
美容室に苦手意識を持ち出したのは。
苦手な理由はひとつではない。
単純に毎回知らない人と話すのに気を遣うのもあったし、きれいなお姉さんに切って貰う時は緊張して冬でも汗が出たし、そこまで顔にコンプレックスがあった訳でもなかったが、
(おいおいこいつひと筆描き出来る顔なのにベッカムみたいにしてくれって言ってきたよ……)
と思われるのも嫌だった。
そんな困難を乗り越えて切ったところで、あのころのように誉められる訳でもない。
結果、20歳を越えたくらいから僕は美容室に行かなくなった。
奴等は職業を探ってくる!
その時期が、365日パチンコ屋さんに通っていた時期だったのもあるだろう。
美容室が開いてる時間は必ずパチンコ屋さんが開いているのだ。
髪を切る時間があるなら1回転でも多く自分の台を回したいお年頃。
僕は美容室に行かず、夜中自分でバリカンで坊主にする生活を5年くらいつづけた。
もう一度美容室に通い始めたのは芸人になってからだと思う。
昔は苦手だったけど大人になったら大丈夫になってるかもしれないという、ピーマン・ブロッコリーパターンを期待して行ってみたが、やはりダメなもんはダメだった。
大人になって尚更、どこ見ていいか分からないし、かといって渡された本を読むのも、こいつこのページめっちゃ見てるわ。と思われるのが嫌で出来ない。
そんな文句言うんだったら昔みたいに自分で刈れよ!
仰有る通りだ。
しかし、僕はこうなってしまうのだ。
軽犯罪顔を嘗めないで欲しい。
パチンコ屋さんに通ってた時代ならいいが、こんな僕も人前に出るお仕事の端くれ。
これはダメなのは分かる。
だったら残された道は美容師さんと喋る事なのだが、これはこれで厄介なのである。
奴等は必ず何となく職業を探ってくるのだ。
これは僕の予想だが、奴等はマニュアルか何かで直接職業を聞く事を禁止されている。
僕は毎回違う美容室に行っていたが、直接聞いて来た人はいない。
「今日はお仕事はお休みですか?」
「お仕事はこの辺なんですか?」
おそらく「無職です!」を恐れてのマニュアルだと思うのだが、何かパチンコ屋さんが換金所の場所を教えてくれないのに似たもどかしさを感じる。
何となくこちらから言うのを待っているのだ。
ふるんだったらふって!
こっちからふらせるなんて卑怯よ!
最初は素直に芸人をやってると言っていたが、言って良かった試しがない。
今でもそうだが、昔なんて尚更だ。
「えー!ごめんなさい!私あんまりテレビ観れてなくて!」
「いやいや、観ても出てないんですよ!」
「……」
美容室の自虐程ウケない事はない。
気を遣わせてしまうのだ。
このパターンもある。
「芸人さんですか!」
「いやいや、全く売れてないのでお恥ずかしい……」
「いや、僕の友達も芸人やっててですね!ライブとか結構出てて!」
「えー!なんてコンビですか!?」
「アホガラスって知ってます?」
「…、あ、アホガラスさん……」
「いや、僕も一回見に行ったんですけど面白くて……」
この後、全く知らないアホガラスさんの話を30分聞く事になる。
勿論、美容師さんも必死に共通点を見つけてくれようとして、喋ってくれてるのも分かるので尚更申し訳ない。
あと、芸人と言った時の、他のお客さんがさりげなく一度見て来る感じも申し訳ない。
一度見て、誰でもない事を確認して、また御自身を直視する。
僕の話どういう気持ちで聞いてたんですか?
売れてない事は罪だ。
美容室程そう思える所はない。
そういう事もあり、僕はいつからかネジ工場の作業員を名乗るようになった。
放送作家、AD、鳶職……。
色んな職業を経て行き着いたのだ。
奴等は、自分の知らない業界だと色々聞いてきたりするのだが、ネジ工場の作業員と告げるとあんまり深く入って来ない事に気付いたのだ。
作業員として美容室に潜入する事が板についてきた5回目くらいだろうか。
阿佐ヶ谷の美容室だったのは覚えている。
いつものように架空の勤務形態を話し終え、プラスのネジのベルトコンベアーの方は不思議とマイナス思考の人が多い。という架空のエピソードを話していた時だった。
「あの、ほんとすみません。芸人さんですよね?」
背筋がぞっとした。
「やっぱりそうですよね!先週夜中テレビで見たんですよ!」
「あ、ありがとうございます!あ、ずっと僕の話どういう気持ちで聞いてたんですか?」
「ずっと何言ってんだろうって(笑)」
「ですよね(笑)」
「借金あるのに何でヘッドスパしようとしてるんだろうって(笑)」
「やめてー!」
その日、僕はネジ工場に辞表を出した。
美容師さんとの攻防は続く
これが2、3年前の出来事。
当時よりは少しだけテレビに出して頂けるようになったが、まだこの現状は変わらない。
今は髪を切ってる間は寝てしまう奇病にかかった人という設定でやらせて貰っているが、これもこれで無理があるのは分かっている。
僕の美容師さんとの戦いはまだまだ続きそうだ。
美容師さん、コロナが落ち着いたら思い切って巨人の三軍の選手として行きますので、その時はいっぱいしゃべりましょう。
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