ビジネスレベルでは時代遅れ?ポスト資本主義におけるオリンピックの存在意義とは

2021.2.12

『ポセイドン・アドベンチャー』発言と“We’ll meet again”

去年の3月、コロナ禍で東京オリンピックの開催が延期になったとき、森氏は、「神は私と東京五輪にどれほどの試練を与えるのか……『ポセイドン・アドベンチャー』(※編集部注:豪華客船ポセイドン号の転覆から乗客の脱出を描いた1973年日本公開の映画)のスコット牧師の心境ですよ」と言ったが、私は、これを聞いて、おいおい、そんなバブリーでリスキーな「豪華客船」なら、(2020年2月、新型コロナウイルスの集団感染が起こった)「ダイヤモンド・プリンセス号」だけでもうたくさんだと思った。オリンピックはそんな犠牲を払ってまで遂行するものなのか、と。が、この発言は、今回の女性差別発言のような批判は受けなかった。

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それで思い出したが、英国のエリザベス女王は昨年の4月、BBC放送を通じて、コロナ渦の進行する状況下の「国民を励まし」、その最後を“We’ll meet again”(また会いましょう)で結んだ。当時の国内外の報道では、これは、第二次世界大戦中の英国の苦しい状況になぞらえ、戦中にリバイバルしたヴェラ・リンの同名のソングを引用したのだと解釈された。

‘We will meet again’ - The Queen’s Coronavirus broadcast | BBC
Vera Lynn - We’ll Meet Again (1943)

しかし、この放送をYouTubeで聴いた私は、まったく違う解釈をした。え?! 英国女王が“We’ll meet again”と言うってことは、これでヨーロッパも終わりということなのかな、と。それは、おそらく私の思い過ごしであろうが、私には、ヴェラ・リンのこの歌は、第二次大戦よりも、スタンリー・キューブリックの映画『博士の異常な愛情』(1964年)の最終シーンを思い出させたからである。

Dr. Strangelove (1964) Trailer #1 | Movieclips Classic Trailers

エリザベス女王が、核爆弾で世界が終末に陥るこの映画の最終シーンを意識していたかどうかはわからない。が、いずれにせよ、女王の“We’ll meet again”というこの言葉は、まったく批判を受けなかった。たとえ意識していたとしても、英国のコロナ状況はすでに尋常ではなくなりつつあり、90歳を越した女王の「励まし」だけでありがたいと思ったからかもしれない。

ヴェラ・リンが兵士たちの前で歌っていた時点では、彼らは「また会えるだろう」と信じていたかもしれないが、戦争が終わってみると、その観客の多数がけっして再会できないところへ行ってしまっていた。だから、戦後この歌を聴く者には、「また会いましょう」ではなくて、「もう会えないのね」という悲しい諦めの響きになる。キューブリックも、そうした屈折を重ね合わせてこの歌唱を使ったのである。

“オリンピック”というビジネスの運用をめぐる意見の相違

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