『新世紀エヴァンゲリオン』のキャラクターデザインを担当している貞本義行に憧れ、東京藝術大学で油画を専攻。その後、「画力がゼロに戻ってしまった」という期間を経て、イラストレーターとして独立。そして現在は、ふたつの肩書でアート業界の未来を見据える。
現代美術家「廣瀬祥子」とイラストレーター「ひろせ」。
アートとポップカルチャー、ふたつの世界を軽やかに往復する彼女は、「有名になってお世話になった方々に恩返しがしたい」と語る。その言葉の裏にある、表現者としての切実な願いを聞いた。
藝大に入学するも「画力がゼロに戻ってしまった」2年間
──現代美術家/イラストレーターとして活動されている廣瀬さんですが、絵を描くのはいつごろからお好きだったのでしょう?
廣瀬 アニメが好きだったこともあって、3歳くらいのころから絵はよく描いていました。私が生まれたころは『新世紀エヴァンゲリオン』のような、大人向けのアニメが夕方の時間帯に放送されていたんです。当時はトレース台の存在を知らなかったので、テレビの画面を一時停止して、テレビを直接なぞってアニメの絵を模写したりしていました。
──では、アートやイラストを仕事にしようと志したのも早かったのでしょうか。
廣瀬 中学で仲よくなった友達の影響で漫画研究部に入ったことをきっかけに、私も徐々にオリジナルのマンガを描いたりするようになって、当時は漫画家を目指していました。ただもう少し成長するにつれて、自分には魅力的なストーリーを作るのが難しいと気づきまして。それなら漫画家ではなく、絵だけで世界観を伝えられるイラストレーターになりたいと、いつしか思うようになりました。
そのころ『新世紀エヴァンゲリオン』のキャラクターデザインを担当されている貞本義行先生が、油絵を描く専攻を出られているというのを何かの記事で読んだんです。もともと『エヴァ』が好きだったことに加えて、リアルタッチな表現ができるようになりたいという思いがあったので、藝大(東京藝術大学)に進学して油画を専攻しました。

──藝大時代はどのように過ごされていましたか?
廣瀬 実は当時、学外のコミュニティですごく嫌なことがあって、精神的に参ってしまって。藝大に入ってから2年ほど、まったく絵が描けなくなってしまったんです。画力もゼロに戻ってしまって、ただボーッとすることしかできないような日々が続きました。
そんななかでも、藝大の友人たちには本当に助けられました。友達に海外旅行に連れて行ってもらったりしているうちに、徐々に創作に向き合う活力が戻ってきて。特に印象に残っているのが文化祭の屋台に参加したことです。有志で「ハンニバル精肉店」という、映画『ハンニバル』を模した食品の屋台を出店したんです。モツのミンチ丼を出したりして、リアルすぎたせいか売り上げはあまりよくなかったんですが(笑)、ものづくりに対する友人たちのこだわりも垣間見ることができて有意義な時間でした。
少し元気になってからは、好きなイラストレーターの米山舞先生やLM7先生のイラストを見て研究したり、自分でもデジタルでイラストを描く練習をしたりしていました。卒業制作も油絵ではなくパソコンで描いたのですが、うれしいことにその絵をギャラリーの方が気に入ってくださり、展示会に誘ってもらえて。美術家としての現在のお仕事につながるきっかけになりました。
──そのあとはゲーム会社に就職し、2022年に独立されたと伺っています。独立されたのは、イラストレーターになりたいという夢を叶えるためでしょうか?
廣瀬 そうですね。藝大時代に停滞していた時期もあったので、技術を取り戻す意味でもまずは就職すべきだと思ってゲーム会社に入ったんです。けれどいざ就職してみたら、社内にイラストを描く仕事がほぼなかったんですよ。イラストは外注することが多いようで、上司にも「イラストを描きたいならフリーランスになったほうがいい」と言われまして。それからは独立を目指してXに絵を投稿するようになり、少しずつイラストのお仕事をいただけるようになって、今に至ります。

廣瀬祥子
(ひろせ・しょうこ)2018年、東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。アートとイラスト、ふたつの領域を横断した活動を行っている。「デジタルと物質の境界が曖味な現実社会だからこそ可能な絵画へのアプローチ」をコンセプトに、 デジタル環境で描いた作品を一度出力し、その上に描画材を用いて手を加える手法やそのほかさまざまな技法を用いた絵画作品を制作、発表。「ひろせ」名義でイラストレーターとしても多岐にわたる作品を手がけて、国内外のゲームやライトノベル、「初音ミク」などの人気作品にイラストを提供するなど、イラストシーンを牽引する作家のひとりとしても注目されている
公式X:@hrs10011
公式Instagram:@hrs_s_10011
アートとイラストの最も大きな違いは「線」
──今振り返って、イラストレーター「ひろせ」名義でのお仕事のターニングポイントになったと思われる作品はありますか?
廣瀬 今もXのトップに固定しているイラスト『初音ミク×イセタン』は2年前に描いたものなんですが、この作品には思い入れがあります。実はXにイラストを載せ始めたばかりのころは、独立を目指して必死になっていたこともあって、とにかく「いいね」をたくさんもらいたいと思っていたんです。なので「いいね」が多いイラストの構図を研究したり、そのとき流行っているゲームのキャラクターや季節に合わせたイラストを描いたりして、結果としてコンスタントに数万いいねがもらえるようになりました。
でもその描き方を続けているうちに、自分で自分のイラストを好きだと思えなくなっていることに気づきました。やっぱり自分が本当に見たい絵を描こう、と思い直して描いたイラストがこの作品なんです。昔からダークファンタジーや退廃的な雰囲気のある作品に惹かれるので、そういった世界観を表現してみました。これまでと比べて「いいね」数はけっして多くない作品なのですが、自分ではこの絵がとても好きです。


──現代美術家「廣瀬祥子」名義でも作品を発表されていますが、イラストレーターとして作品を発表するときと比べると、ご自身のスタンスに違いはありますか?
廣瀬 イラストのお仕事はやはりクライアントさんからのご依頼ありきなので、その作品の世界観の中でキャラクターが持っている感情を存分に表現したいと思いながら描いています。自分自身がいわゆる「オタク」なこともあって、細かいところにそのキャラクターらしい小道具を忍ばせるなど、ファンの方が喜んでくれそうな仕掛けを考えることも多いです。
一方で、廣瀬祥子名義でアートを描くときは、反対に描く人物の感情を抑えて描いている感覚があります。人物にあまり強い感情や意味を持たせたくないので、鼻や口はさほど描き込まず、フラットな状態で仕上げることが多いです。アートは鑑賞者の方に飾っていただくものなので、感情をあまり押し出しすぎると、見ていて疲れてしまうんじゃないかと思うんですよね。鑑賞者の方の自由な視点で作品を見てほしいと思っているので、そういった描き方をしています。


──技法の面でも、アートとイラストとでは意識して描き分けされていますか?
廣瀬 一番大きく描き分けているのは線です。イラストの場合は生き生きとした線を意識していて、キャラクターが静止しているときも「動いていない」という動きが存在することを考えながら抑揚をつけて線を描いています。逆に「廣瀬祥子」名義でアートを描くときは、静かな線を意識しています。
それから、アートの場合は作品として現物を見ていただくという前提があるので、「これならパソコンの画像でいいじゃん」と思われないように工夫しています。私自身、マンガが好きなのでよく複製原画展などにも足を運ぶんですが、複製を見て満足してしまうことが多くて……。それもあって、ただ画像を印刷しただけではなく、実物を見た意味があったと感じてもらえる作品にしたいなと思っています。
──今回の「廣瀬祥子」名義の新作『Never-ending Pilgrimage and Faith』も、実際に拝見すると複数のレイヤーが重なって奥行きが生まれていて、非常に引き込まれました。
廣瀬 この作品はアクリル板が4枚の層になっていて、一番うしろの面が鏡になっているんです。鏡に現実が映り込むことによって、鑑賞者の方に現実の世界と絵の中の世界の狭間をさまよってほしいという思いがあります。
──お話を伺っていると、現代美術家/イラストレーターとしてスタンスや技法は違えど、鑑賞者に楽しんで作品を見てほしいという思いは一貫されているのだなと感じます。
廣瀬 そうですね。趣味で描くときはただ自分が見たいものを描けばいいけれど、お仕事の場合は鑑賞者がいてこそなので。私の作品を見たり購入したりしてくださった方に喜んでいただきたい、と常に思いながら描いています。



作品を多くの方に見てもらい、お世話になった方々に恩返しをしたい
──現代美術家とイラストレーターというふたつの顔を持っていることは廣瀬さんの大きな強みだと思いますが、ご自身ではその点をどう捉えていますか?
廣瀬 やはりどちらかひとつの仕事だけをしていると行き詰まってしまうこともあるので、もうひとつの仕事が逃げ道になってくれている感覚があります。アートとイラストで特に創作の期間を分けず、どちらも並行して描くようにしているので、片方で行き詰まっても、もうひとつの作品に向き合っているうちに自ずと解決方法が見つかることが多いんです。
イラストの世界のトレンドをアートに取り入れられるなど、ふたつの世界を行き来しているからこその発見やメリットもあるので、どちらも続けていることが自分にとって大切なのだと思っています。
──最後に、現代美術家として、そしてイラストレーターとしての今後の目標を教えてください。
廣瀬 イラストレーターとしては、まだ自分にとっての代表作と呼べるような作品がないので、代表作になるようなお仕事をいただけるようになりたいと思っています。それから、にじさんじの小柳ロウさんや雪城眞尋さんのイラストをこれまでにも描かせていただいたのですが、私自身VTuberが好きなこともあって、VTuberのママ(キャラクターデザイン担当)になりたいなと思っています。特に、これまではかっこいい男子を描く機会があまりなかったので、ぜひお仕事でイケメンを描いてみたいです(笑)。
美術家としては、まずは若手の登竜門である銀座蔦屋書店での個展を開催できるようになりたいですね。そしてゆくゆくは、「現代美術家/イラストレーターといえば廣瀬祥子」と一般の方にも認知していただけるような存在になりたいです。……私、有名になってハイブランドとコラボしたりして、お世話になった方々に恩返しをしたいという気持ちが強いんです。自分を知ってもらうことで多くの人に私の作品を見てもらいたいんです。
藝大時代、教授に「売れて有名になりたいです」と正直に言ったら「売れるなんて考えずに自分の表現を突き詰めろ」と怒られまして。もちろん自分の表現は常に追求していますが。
私は以前から、アートの世界が閉鎖的であることや、いい作品を作り続けていても作品を見てもらえない作家が多いことに問題意識を感じています。それもあって、私をきっかけにしてアートの世界を知ってもらえるような存在になりたいなと思うんです。予備校時代の恩師や藝大時代の友達など、アートの世界でさまざまな方にお世話になったからこそ今の自分がいると思っているので、そういった人たちに少しでも恩返しがしたいという気持ちがあります。
私を入口に好きなアーティストを見つけてもらえたら、アートの世界が活性化して、何かが変わる気がするんです。そのためにも自分は有名になりたいですし、なにより自分の作品を見ていただきたいと思っています(笑)。





