「グリコ・森永事件」の恐怖はコロナ禍に接続する。『罪の声』『レディ・ジョーカー』『突破者』…事件とメディアの激闘史

2020.11.11


警察と市民の離反を計った

映画『レディ・ジョーカー』を観ていたら、グリコ・森永事件を下敷きにした犯行が、実際の事件以上に陰惨さが際立って感じられた。実はこれこそが事件の本質なのだろう。しかし、一連の事件当時、そのことに気づいた人は被害者や捜査関係者以外にはほとんどいなかったはずだ。それというのも、犯人はマスコミを巧みに利用して自分たちのイメージをコントロールしてきたからだ。

表には現れないにもかかわらず、あれほど饒舌だった犯罪者も前代未聞だろう。マスコミ各社に相次いで送られた挑戦状では、関西弁を用いて警察を揶揄し、反権力・反大企業のヒーローを気取った。時には、警察の標語や歌謡曲の歌詞をもじったり、川柳やかるたを詠んだりする余裕さえ見せた。そんな犯人に、どこかシンパシーを抱いた人は知識人を含めて少なくなかった。

「劇場型犯罪」とも呼ばれたとおり、犯人たちは観客を意識し、計算ずくで警察と市民の離反を計ったのだと、事件当時読売新聞の大阪府警捜査一課の担当記者だった加藤譲は指摘する。その上で加藤は、次のように事件へのマスコミの責任に言及した。

《問題なのは、犯人らの真の姿。マスコミでその都度公開された挑戦状の文面と違って、後に入手してはっきりしたことだが、裏取引を迫る脅迫状では、悪らつな言葉をストレートに吐き、凶暴性をむき出しにしていた。恐喝のプロを思わせる狡猾な手口。表は虚、裏が実の顔だ。陰湿で卑劣な本性。しょせんワル。大した連中ではないのに、陽性の挑戦状から受ける印象が悪を希薄化させ、その像を過大評価させてしまったのではないか。マスコミが虚像を作り上げたといえる。挑戦状を大きく採り上げ過ぎたのではないか、膨らませ過ぎたのではないか、と思う》(関西マスコミ倫理懇談会50年誌企画委員会編『阪神大震災・グリコ森永vsジャーナリスト 権力と市民の間で何をしたか』日本評論社)

『阪神大震災・グリコ森永vsジャーナリスト』関西地区マスコミ倫理懇談会50周年記念誌企画委員会/日本評論社
『阪神大震災・グリコ森永VSジャーナリスト』関西マスコミ倫理懇談会50周年記念誌企画委員会/日本評論社

後年公開されたグリコ社長宛ての脅迫状では、犯人はいきなり書き出しから「おまえは そんなに 死にたいか/死にたければ 死なせてやる 塩さん[引用者注:塩酸]の ふろ よおいした」と、確かに凶暴性をむき出しにしていた。

警察の捜査についてもさまざまな反省が、当時の捜査員などから出ている。たとえば、捜査の現場で異常なまでに秘密の保持が徹底され、捜査員・班の間で情報共有がなされず、中にはマスコミが報道した内容をもとに捜査することすらあったという。また、もともと各府県警は互いに縄張り意識が強く、連携しての捜査に消極的だったが、それではだめだということを証明したのがグリコ・森永事件であったとの指摘もある(NHKスペシャル取材班『未解決事件 グリコ・森永事件 捜査員300人の証言』新潮文庫)。なお、犯罪の主たる現場や被害企業は大阪にあったため、捜査の主力は大阪府警が担当したとはいえ、本件は広域重要事件だから主導権を握っていたのは警察庁であった。

『未解決事件 グリコ・森永事件 捜査員300人の証言』NHKスペシャル取材班/新潮社
『未解決事件 グリコ・森永事件 捜査員300人の証言』NHKスペシャル取材班/新潮社

だが、事件は広範なエリアで起きたように見えて、全体をゆっくりと見回してみると、実は犯行は大阪の北摂、京都の伏見と狭いエリアに集中している……と書いたのは、事件当時、読売新聞大阪社会部の記者だったジャーナリストの大谷昭宏だ。大谷に言わせると、犯人は確たる土地勘を持つがゆえ、これら地域を使う必然性があった。《ところが警察庁主導による捜査は、すべてを台無しにしてしまった。集中していたエリアの意味が、広域捜査によって曖昧になってしまった。膨大な証拠品と、一見分散して見える事件発生地。捜査当局はまんまと目くらましされてしまったのだ》という(宮崎学・大谷昭宏『グリコ・森永事件 最重要参考人M』幻冬舎アウトロー文庫)。

『グリコ・森永事件 最重要参考人M』宮崎学、大谷昭宏/幻冬舎
『グリコ・森永事件 最重要参考人M』宮崎学、大谷昭宏/幻冬舎

「大阪都構想」へと帰結

大阪(府警)が中央(警察庁)に主導権を握られたことで、地域性が見失われたという構図が、私にはどうも大阪が80年代以降辿った道を暗示していたように思われてならない。グリコ・森永事件で犯人が鳴りを潜めた1985年といえば、阪神タイガースが21年ぶりのリーグ優勝、初の日本シリーズ制覇を果たした年として記憶される。吉本興業のタレントの東京進出が盛んになり始めたのもこのころだ。

従来の大阪には、船場や河内など地域ごとに色合いの異なる文化が併存していた。それが、80年代を境に、タイガースと吉本に象徴されるコテコテなイメージ一色へと塗り替えられていった。それは東京から見る大阪のイメージがそうだったからだろうし、大阪の側からしても、このほうが全国に向けて商売をしやすかったためでもあるのだろう。同時期にはバブル景気による地上げや再開発によって、大阪だけでなく全国の地方から地域性が奪われていく。他方、財政再建の一環としての公営企業の民営化の動きは、80年代の中曽根政権によって端緒につき、その後、バブル崩壊も相まって地方自治体にも拡大する。これら80年代における変化の帰結が、先日の住民投票で否決された、いわゆる「大阪都構想」だったともいえるのではないか。

キツネ目の男に擬せられた宮崎学は、この事件は関西でなければ起こらなかったとして、その理由を《関西は東京と違って、いい意味でも悪い意味でも、人間のつながりが濃密である。いいときも濃密であるし、逆に恨みツラミも長年引きずっていく》地域性に求めた(『グリコ・森永事件 最重要参考人M』)。ただ、あれから35年が経ち、事件の舞台となった各地の風景も、今ではすっかり様変わりしているに違いない。もし、まだ犯人がこの地域に暮らしているとして、今目の前に広がる風景は、果たしてあなたたちがあのころ望んだものなのかどうか、訊いてみたい気がする。


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近藤正高

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近藤正高

(こんどう・まさたか)1976年、愛知県生まれ。ライター。高校卒業後の1995年から2年間、創刊間もない『QJ』で編集アシスタントを務める。1997年よりフリー。現在は雑誌のほか『cakes』『エキレビ!』『文春オンライン』などWEB媒体で多数執筆している。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけ..

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