欅坂46から櫻坂46へ。解散じゃないけど淋しい。『推し、燃ゆ』の卓越した文章、推すことの「救いと絶望」を推す

2020.10.6


あたしのための言葉だと思った

語り手はアイドルグループ「まざま座」のメンバー上野真幸の活動を追うことに心血を注いでいる高校生の〈あたし〉ことあかり。彼女が初めて推しを認識したのは4歳のときで、当時12歳の推しがピーターパンを演じる舞台を観たことがあったのです。とはいえ、推し始めたのはずいぶんあとになってのことで、高校に上がったばかりのころ。5月の体育祭の予行練習を休んだ日、ベッドの下から出てきたピーターパンの舞台のDVDを観たのがきっかけでした。

真っ先に感じたのは痛みだった。めり込むような一瞬の鋭い痛みと、それから突き飛ばされたときに感じる衝撃にも似た痛み。窓枠に手をかけた少年が部屋に忍び込み、ショートブーツを履いた足先をぷらんと部屋のなかで泳がせたとき、彼の小さく尖った靴の先があたしの心臓に食い込んで、無造作に蹴り上げた。


一点の痛覚からぱっと放散するように肉体が感覚を取り戻してゆき、粗い映像に色と光がほとばしって世界が鮮明になる。
ピーターパンは劇中何度も、大人になんかなりたくない、と言う。(中略)あたしは何かを叩き割られるみたいに、それを自分の一番深い場所で聞いた。昔から何気なく耳でなぞっていた言葉の羅列が新しく組み替えられる。大人になんかなりたくないよ。ネバーランドに行こうよ。鼻の先に熱が集まった。あたしのための言葉だと思った。

『推し、燃ゆ』宇佐見りん/河出書房新社

そこから〈ガチ勢〉と化すまでは一直線。メンバーの人気を決める投票権がついていて、10枚買うごとに好きなメンバーと握手できる権利がもらえる2000円の新曲CDを15枚以上買って応援するだけではなく、それまでに推しが発した膨大な情報をできる限り集め、放送された番組はダビングして何度も観返し、推しの発言をすべて書き起こす。そんなあかりの〈スタンスは作品も人もまるごと解釈し続ける〉ことで、そうして解釈したことを文章化して公開したブログの閲覧は増え、まざま座のファンが交流する場になっています。

しかし、あかりのリアルはといえば低調至極。
〈みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる〉んです。でも、〈推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな〉とあかりは信じています。勉強して、バイトして、そのお金で友達と遊んだり買い物をしたりすることで、ほかの人たちは〈そうやって人生を彩り、肉付けることで、より豊かになっていくのだろう。あたしは逆行していた。何かしらの苦行、みたいに自分自身が背骨に集約されていく。余計なものが削ぎ落とされて、背骨だけになってく〉と。

夏休みは推しにつぎこむお金を工面するためにバイトに精を出すのですが、そのバイト先でも失敗ばかり。おまけにファンを殴ったことから炎上騒ぎになってしまった一件の影響もあって、あかりの推しは人気投票で最下位の5番目に。夏の間に極端に痩せたあかりは2学期に入ると保健室にばかりいるようになり、留年が決定し、中退することを決意します。おまけに失敗つづきだったバイトもクビに。母方の祖母の葬儀のため、海外赴任先から一時帰国した父親からは就活を促され、「厳しいことを言うようだけど、ずっと養っているわけにはいかないんだよね、おれらも」と言われてしまいます。話し合いは決裂し、あかりは亡くなった祖母の家にひとりで住むことになり、しばらくの間最低限の生活費をもらうことになるのですが、そんな矢先、推しのグループが解散し、推し自体も芸能界からの引退を宣言するという衝撃に見舞われるのです。

『推し、燃ゆ』宇佐見りん/河出書房新社
『推し、燃ゆ』宇佐見りん/河出書房新社

純文学初〈ガチ勢〉の心理に深く分け入った小説

〈推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。〉という文章からスタートするこの小説は、おそらく純文学の世界で初めて〈ガチ勢〉の心理に深く分け入った小説になっています。
〈世間には、友達とか恋人とか知り合いとか家族とか関係性がたくさんあって、それらは互いに作用しながら日々微細に動いていく。常に平等で相互的な関係を目指している人たちは、そのバランスが崩れた一方的な関係性を不健康だと言う。(中略)見返りを求めているわけでもないのに、勝手にみじめだと言われるとうんざりする。あたしは推しの存在を愛でること自体が幸せなわけで、それはそれで成立するんだからとやかく言わないでほしい。〉というあかりの声に、全世界のガチ勢は烈しく首肯するのではないでしょうか。

〈お互いがお互いを思う関係性を推しと結びたいわけじゃない〉〈携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う〉
推しに妄想を抱いて怖い思いをさせるような不埒な輩とは対極。あかりはファンの鑑のような子だと思わざるを得ません。
〈推しを本気で追いかける。推しを解釈してブログに残す。〉
学校の勉強こそ不出来ですが、推しのことを誠実に〈解釈〉する能力は大変高く、ブログの文章も落ち着いてしっかりしており、実在の人物だったら、わたしはこの連載の担当でもある盟友の編集者アライユキコに「QJWebに書かせたらどうか」と進言したいくらいです。あかりの出来のいい姉が受験勉強に真摯に打ち込むことと、あかりが推しの解釈に血道を上げることは同じくらい尊いと、わたくしは声を大にして言いたいっ!

が、しかし、ところが……そんな尊い熱量で推しを推していたがゆえにこそ、グループの解散が決まって以降のあかりの生活はというと、もう見ていられません。見ていられないのですが、それを描写する作者の筆致が素晴らしくて、読まずにはいられないっ! たとえば、にわか雨が降ったことに気づかず濡れてしまった洗濯物を前にしたこの文章。

たわんだ物干し竿に濡れて色が濃くなった洗濯物がひしめいていて、これって洗い直さなきゃなのかなあ、と思いながらバスタオルをしぼっていると、ばたたと落ちていく水の音が体のなかの空洞にひびきわたる。草の上に落ちる水の重さがそっくりそのまま面倒くささだと思い、ぜんぶ手でしぼってから放置した。そのうち乾くだろうと思った。

『推し、燃ゆ』宇佐見りん/河出書房新社

デビュー作で〈かか語〉なる独特の語りを創出した宇佐見りんは、弱冠21歳とは思えないほどの文体力の持ち主で、全文引き写したくなるほど引用の誘惑に駆られる小説家です。本当はラストの段落も紹介したくてたまらないのですが、これから読む方のためにぐっとこらえます。こらえますから、「小説においては文章表現が大事」と思っている方は是非ご自分の目で確かめてください。そいしたら、おまいはぜってえおどろいて、あたしに「ありがとさんすん」言います(かか語の真似っこ)。
推しを推す。その光と闇、歓びと苦痛、熱と凍(し)みを描きながら、生きにくさを抱えている人間にとっての推しの存在そのものの意味にも肉薄。すべての推す人たちにとっての救いの書であると同時に、絶望の書でもある『推し、燃ゆ』を、わたしは強く強く推す者であります。


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豊崎由美

(とよざき・ゆみ) ライター、書評家。『週刊新潮』『中日(東京)新聞』『DIME』などで書評を多数掲載。主な著書に『勝てる読書』(河出書房新社)、『ニッポンの書評』(光文社新書)、『ガタスタ屋の矜持 場外乱闘篇』(本の雑誌社)、『文学賞メッタ斬り!』シリーズ&『村上春樹「騎士団長殺し」メッタ斬り!』..

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