ポストコロナにおける「新しい生活様式」とは――二極化する「身省」と「身体」文化

2020.7.9

3Dプリンターで人工肉をテレポート?

結局、今進んでいるのは、単なる「細菌恐怖」ではなく、身体恐怖であるが、これは、ロボット、AI、VR、ARといった身体性を省略しようとする《身省》テクノロジーの台頭の延長なのである。我々の中には、どこかで自分の、そして他人の身体を省略してしまいたいという願望と欲求が働いている。生身の身体を介さないでできることの追求は留まることがない。

であるならば、コロナ禍ほどこうした動向を推し進める上で「絶好のチャンス」はない。事実、IT産業やリモートサービスの業界は、チャンス到来の喜びを押し隠すのに苦労している。「コラテラル」な犠牲が出ることは暗黙に了解してはいても、状況が深刻過ぎるからである。

しかし、テクノロジーの世界は、実は、コロナ禍以上に非情である。テレワークとかいっても、対面でやってきたリアリティをヴァーチャルに実現することの難しさがじきにわかり、脱落組が続出するだろう。そもそも今普通の会社で行われているテレワークシステムなどは、とうの昔にメディアアーティストが使い切って捨て去ったものを拾い直したような代物である。

デリバリー流行りで、これまで組織のガンであった中間業者を介さずに「生産者」と「消費者」とが直接結びつくシェアリングエコノミーが力を得そうだが、実際には、デリバリー業のひとり勝ちで、こちらは、その需要の急激な拡大に対応するために「非正規雇用」の職員の手配に苦労しながらも、文句を言われずに「非正規雇用」のギグエコノミーにシフトできるまたとないチャンスを歓迎している。

当面、こうした動きはつづくだろうが、《身省》テクノロジーがさらに進めば、デリバリーは後退せざるを得ない。AI仕かけのデリバリーはじきに一般化するだろうが、その先には、物品をリモートでコピーしてしまうテレポートもある。3Dプリンターは、実は、未来のテレポートのプロトタイプである。テキスト、画像、音、動画をテレポートすることがなんでもないように、いずれは、無機物だけではなく有機物もリモートで合成し、今後10年以内に人工肉(その質は保証しない)ぐらいはテレポートできるようになるはずだ。

2018年の「サウス・バイ・サウスウエスト」で寿司の3Dプリンター試作品をプレゼンする電通社員

Covid-19を「コロナ禍」以外の現象として受け止める

こうして行くと、一方に極度の《身省》文化があり、他方にはマニアックな「身体」文化があるというスキゾ的な現実が普通になる。アムステルダムの「紅灯街」のような場所は、多少の軌道修正はあるとしても残るだろう。が、これまでそこを愛用していた客の半数はヴァーチャルセックスのほうに移るかもしれない。寿司屋の店主もレストランのシェフも言っていたが、「マスクなんかしちゃ、うまいものは作れない」。としても、Covid-19のあとにも控えているであろう疫病(7月4日に警戒レベル3に指定された腺ペストの発症が内モンゴルで発見されたとのこと)への恐れから、板前形式の飲食店はマニアックな者の特殊な場にならざるを得ない。

それがかえってぶっ飛んだ料理を生むのか、それとも単なる昔懐かしの場になってしまうのかはわからないが、今飲食の世界で起こっていることを自分の身体で経験し、その分子レベルに思いを馳せるならば、Covid-19を単なる「コロナ禍」としてだけでなく受け止める方法のひとつになるだろう。

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