なぜ女性の泥酔が「同意」の根拠になってしまうのか
これは個人の感覚に留まる話ではない。この社会ではセクハラや性暴力の事件が日常茶飯事だが、その根底にも同様の問題が関与している。たとえば偉い立場にいる男性が部下や教え子の女性にセクハラで訴えられるケースがよくあるが、彼らはたいてい「恋愛だと思っていた」と口にする。
泥酔した女性をホテルに連れ込み、無抵抗な相手にわいせつな行為を働いた男性の事件も記憶に新しいが、なぜ女性の泥酔が「同意」の根拠になってしまうのか。痴漢で捕まった男性はしばしば「抵抗しなかったので受け入れられたと思った」と述べるが、その感覚はどこから生まれているものなのか。
さらに、そういったニュースでは「男の前で泥酔する女も悪い」「そういう場所に行った女性にも問題がある」「男性側が勘違いするのも無理はない」などと心ないコメントやセカンドレイプの嵐が吹き荒れるのがおなじみの光景だし、性暴力事件の裁判では驚くべきことに、「同意があったとは言えないが、被害女性に最後まで抵抗した形跡が見られない」というむちゃくちゃな理由で無罪判決が出たりもする。
2017年の刑法改正にしたって、「暴行や脅迫があったかどうかを問う」という被害者の実態に沿わない要件を外し、「同意なき性行為の時点で犯罪」という法制度にすべしという議論もあったようだが、そこまでの大幅改正には至らなかった。これらはすべて根っこのところでつながっている。恐ろしいことに、それは俺たち一人ひとりの中にもつながっているものだ。
先に紹介したパンフレットにもあったが、性的同意とはつまるところ「人権」の問題なのだと思う。すべての個人は不可侵な存在であり、誰もその人の権利を踏みにじることはできない。性的なコミュニケーションが互いの境界線を融解させ、個と個を混ぜ合わせる性格を持つ行為である以上、そこには人権侵害のリスクが常につきまとう。だからこそ自分の要望をきちんと伝え、言葉で互いの意思を確認した上で、相手の反応を見ながら事を進めていく。そしてどちらかが少しでも違和感を抱いたら即時ストップする──。この大原則の理解こそ、俺たちに課せられた急務だと私は考えている。
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