労働環境と生活基盤を守るために
私の知る範囲でも、カルチャーやエンタテインメント産業はかなり厳しい状況に置かれている。かくいう私も、いくつかの仕事が飛んでしまった。
予約していた公演やライブイベントもいくつも中止となった。その一方で、予定どおり開催されたものもある。どちらのケースにおいても、主催者からは丁寧なアナウンスがあった。その文面からは、いずれも苦渋の決断であることが伝わってきた。まずは、それがどのような結論であったとしても、決断そのものを支持したい。
すでにこの時評(「新型コロナの余波でイベント中止リスクを負うのは誰なのか」)で書いたとおり、イベントが中止となった場合、主催者には経費や会場費、払い戻しといった損害が発生してしまう。しかし、政府の勧告はあくまで自粛の「要請」に留まっており、その損害については未だ補償策が提示されていない(経済産業省が資金繰り支援を打ち出したが、実体は「貸し付け」である)。言うまでもなく、イベントを開催する場合のリスクもとてつもなく大きいわけで、これでは八方塞がりである。
つまり、どんな決断であれ、それは自らの息の根を止めかねない判断となってくるだろう。
世界リスク社会の到来を告げ、2015年に物故した社会学者ウルリッヒ・ベックの著書『世界リスク社会』にこうある。
専門家の手によって指摘されはしたものの、曖昧なものにされてしまったリスクは、専門家を武装解除してしまう。というのは、リスクが、誰にたいしても自分自身で決定をおこなうように強制してくるからである。
ウルリッヒ・ベック『世界リスク社会』
補償の提示によってリスクヘッジすることなく、「要請」という形で個別の事業者に判断を委ねているこの状況は、すでにそれ自体が「未来への大いなるリスク」であることを、政府はどれぐらい理解しているのだろうか。
いずれにせよ、カルチャーやエンタテインメント産業はギリギリの状況下だ。個別のSOSに対し、ドネーションやクラウドファンディングなどの試みもすでになされており、素晴らしいことだと思う。ただ、あらゆる産業がこのパンデミックによる窮状を訴えている以上、横断的な要望を政府に働きかけていく必要もある。
すでに日本俳優連合の理事長・西田敏行が厚生労働省に対して支援要請の要望書を提出したり、日本クラシック音楽事業協会が文部科学大臣と経済産業大臣に対して損害の補償や無利子での融資を含む要望書を提出するといった動きも出てきている。
ここで重要なのは、正面に掲げるべきメッセージは「カルチャーや芸術は素晴らしいものだから守れ」ではない、ということだ。
自らの存在価値を打ち出していく方針では、結局のところ、「では、どこまでが価値があるもので、どこからはそれに値しないのか」という線引きを誰かに委ねることになってしまう。
そうではなく、一番問題なのは、その産業に従事している人たちが「メシが食えなくなること」なのだ。よって「不要不急か/そうでないか」も関係がない。「私たちの労働環境と生活基盤を守れ」というストレートな要求を、政府にわからせる必要がある。
すでに生活を脅かされている人たちも少なくない。このままいけばカルチャーやエンタテインメント産業に関わる企業の倒産は避けられず、従事者は失業し、経済は停滞する。国家単位で見ても、結果的に、当面の補償よりもはるかに大きなダメージが未来にもたらされることになってしまう。
『芸術立国論』の著書もある劇作家・演出家の平田オリザは、劇団などの舞台芸術が直面している現状について、こう語っている。
「10年後、20年後の日本の芸術界全体、あるいは社会全体にとって損失です。『あすの三谷幸喜さん』『あすの野田秀樹さん』が、このためにいなくなってしまうかもしれないわけです」
「劇団の危機 公演中止 資金絶たれ活動断念も」(NHKニュース)