宇崎ちゃん、キズナアイ炎上におけるお気持ちヤクザと繊細チンピラ(荻原魚雷)

2020.3.19


公共の場における表現はどこまでがセーフか

「お気持ちヤクザ」といえば、類語かどうかはわからないが「繊細チンピラ」という言葉もある。 2013年にライターの小野ほりでいさんが発案した造語だ。わたしは「繊細チンピラ」という言葉を知り、小野さんの文章を読んだのだけど、ウェブやSNS上のもやもやする微妙なテーマを調理する手腕は見事としかいいようがない。なお、現在小野さんは「繊細チンピラ」の安易なレッテル化に反対する立場だと付記しておく。

この6、7年のあいだ「繊細チンピラ」という言葉を知らずに過ごしてきた人はその健全な暮らしを誇っていいし、すぐ忘れてほしい。

「繊細チンピラ」はSNSなどで他人の幸せな呟きを自慢や嫌味と解釈し、攻撃する人のことを指す。元モーニング娘。の辻希美さんのブログで煮込みハンバーグばかり作ることに文句(やっかみ)を言っている人たも「繊細チンピラ」とカテゴライズされている。

幸せ(そう)な人は不幸な自分を傷つける。自分を傷つける人間は悪である。「お気持ちヤクザ」もそうした論理の飛躍をする面倒くさい人たちとして揶揄されているところがある。当初わたしも「繊細チンピラ」と「お気持ちヤクザ」を混同していた。

『 宇崎ちゃんは遊びたい!』第1巻(KADOKAWA)

ここ数年の「お気持ちヤクザ」に対する様々な意見を見ると、ものを言わぬ絵(萌キャラ)に対し、「乳袋を描くな、ヘソを出すな」と“インネン”をつける行為に呆れているように思える。批判の内容以前に「そんなことよりもっと大事な問題がいくらでもあるだろ?」と。

そこに議論のすれ違いがある。萌え絵の批判者の多くは、個人が趣味でそれを愉しむことまでは否定していない(中には否定している人もいるかもしれないが)。公共の場における表現はどこまでがセーフでどこまでがアウトか。時代と共にその線引きは変わる。萌えキャラの問題もそうした過渡期にある。

漫画やアニメの絵にかぎらず、ひと昔前なら許容範囲だったが、今はNGという表現はいくらでもある。

今のわたしの感覚だと最近炎上した「宇崎ちゃんは遊びたい!」の献血のポスターやVTuberのキズナアイがNHKでニュースの解説をするのはそれほど問題ではないと思っているのだが、5年後10年後にはその感想が変わるかもしれない。

この先、自治体のPR担当は全方位から苦情が来ないような無難なゆるキャラ一択になると予想する。それがいいかどうかはまた別の話だが。




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荻原魚雷

(おぎはら・ぎょらい)1969年三重県鈴鹿市生まれ。1989年からライターとして書評やコラムを執筆。著書に『本と怠け者』(ちくま文庫)、『閑な読書人』(晶文社)、『古書古書話』(本の雑誌社)、編著に『吉行淳之介 ベスト・エッセイ』(ちくま文庫)、梅崎春生『怠惰の美徳』(中公文庫)などがある。毎日新聞..

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