寺嶋由芙×増子直純(テイチクエンタテインメント):PR

寺嶋由芙が増子直純(怒髪天)に聞く、信念を貫いて生きる術「“やらない”という選択もカッコいいよ」

2022.1.7

文=森 ユースケ 撮影=石垣星児 編集=田島太陽


アイドルの労働環境に声を上げ、自身の生き様を「サバイバル・レディ」という楽曲で歌い、ソロアイドルとしての新しい道を切り開くべく試行錯誤を重ねる寺嶋由芙。

2月26日には浅草公会堂でデビュー8周年記念ライブ『#末広がりのゆっふぃー』、3月16日には大好きなポムポムプリンとのコラボシングル「ラブ*ソング」をリリース予定など、今年も精力的な活動はつづく。

しかし、自分の活動や未来に、不安がないわけではない。

そこで今回は、レーベルメイトであり、約40年間にわたり音楽業界を生き抜いてきたロックバンド・怒髪天の増子直純を招き、「信念を貫いて生きる術」を聞く。「やりたくないことは絶対にやらない」という姿勢で、40歳過ぎまでアルバイトをつづけつつ音楽業界をサバイブしてきた増子は、寺嶋に何を伝えるのか?

みんな「びっくり箱」を作りたがるけど、それはつづかない

寺嶋由芙×増子直純(怒髪天)
寺嶋由芙(左)と怒髪天の増子直純(右)

約10年前、寺嶋さんがグループに所属していた時代にイベントで共演されたご縁があるそうですね。

その節はお世話になりました。

そうそう、台風が来たから絶対に中止だと思ってたら、強行するっていうから狂ってんじゃねえかと思ったよ(笑)。お客さんも選ばれし者のみ来れたっていう大変なイベントでしたね。

巡り巡って今ではレーベルメイトになった寺嶋さんを含め、アイドル業界をどのように見ているのでしょうか。

アイドルといってもピンキリでいっぱいいるから、一概にはいえないけどね。俺的には、“なんでもあり”みたいなのは好きじゃない。バンドでも同じだけど、本業の本筋がしっかりしてこその音楽だから。

もう長いことつづけてる『音流~ONRYU~』(テレビ東京)にアイドルの子たちが来てくれることもあって、ちゃんとやってる子たちはやっぱりある程度は結果がついてくる。結果っていうのは数字だけじゃなくて、自分が納得できるものが残るという意味で。

本筋がしっかりしていれば、どんなジャンルでも一定のリスペクトがあると。

もちろん。あえてジャンルで語るなら、どこにでも弾が届くわけじゃなくて、バンドにしかできないこと、アイドルにしかできないこともあるから。

俺も子供のころ、世代的にはド昭和で、ピンク・レディー、キャンディーズから始まって、アイドルの歌をテレビで聞いて勇気づけられたこともある。人の心の支えになるって立派なことだと思うよ。

寺嶋由芙×増子直純(怒髪天)
増子の話にじっくり聞き入る寺嶋

寺嶋さんも、音楽、パフォーマンスをしっかりつづけてきたひとりだと思います。

世間的な“ゆっふぃー像”はわからないけど、人前に立つ者として品格があるよね。何をやっても一定の“品”を割らない。そこはすごくいい。

逆にいうと、下ネタを言うことが赤裸々だと思ってる女性アーティストがもてはやされることがあるけど、あんなのは動物と同じで非常に安い。パンクバンドでもそうだけど、一定の“品”を保つのは大事なことなんだよ。

うれしいです。「ここからはやらない」と決めることで、おもしろみがない、爆発力がないとマイナスに評価されることもあるんです。バラエティの場でも「爪あとを残すために捨て身にならねば」という風潮が苦手で、ずっと悩んできました。

みんなインパクト重視で下品なことや破壊的なパフォーマンスをやったりして、びっくり箱を作りたがるのよ。でも若いバンドたちにもよく言うんだけど、人間は最初の一回しか驚かないから、それはつづかない。そもそも人を驚かすために音楽をやるわけじゃないから。これはバンドもアイドルも守るべきプライドだと思うんだよね。

今年一番かっこいいものって来年は一番ダサい

寺嶋由芙×増子直純(怒髪天)
増子直純「えげつない内容ほど、ユーモアが大事」

寺嶋さんの「品がある」というイメージは、とても共感を覚えます。著名なミュージシャンたちが寺嶋さんに楽曲提供をするのも、そういったイメージが理由にありそうです。

曲を作る人たちもきっと、フィルターとしておもしろい存在だと思ってるんだよね。自分の曲をこの人が歌ったらどうなるのか見てみたくなる、曲を預けられるひとりだということ。品のよさや今までの経験に裏打ちされた何かがあるんだよ。

怒髪天が寺嶋さんに楽曲提供した「夏’n ON-DO」は、怒髪天がセルフカバーしたバージョンと比べると、まったく違う曲のように感じます。それが“フィルター”としての存在感でしょうか。

そう。音頭が欲しいと言われて書いた曲で、こういうベタな男っぽい曲もゆっふぃーならファンのみんなと楽しめる曲にしてくれるだろうと思ったら、実際にそうなったね。

この曲のおかげで『TOKYO IDOL FESTIVAL』の屋外ステージで、客席に大きな輪ができて、みんなで盆踊りをしたことがあるんです。危険行為は禁止なのでサークルモッシュをするとすぐに警備員さんが止めに来るんですけど、盆踊りは警備員さんも咎めず見てました(笑)。

新しい何かを切り開けた感じがありましたね。盆踊りは私のことを知らない人たちも参加できるので、すごく大きな輪ができたあの夏は、それはそれはとても楽しかったです。

怒髪天のみなさんにとって「ここだけは割らない」というラインはどこにあるのでしょうか。

攻撃のマトを間違えないこと。えげつない内容であればあるほど、ユーモアを交える。これは大事だね。

アルバムボックスの特典として、オリンピック期間中の一件をネタにして歯型のついた金メダルを封入したのも、その一例ですね(笑)。

そうそう。あれは、テイチクがよくやったよね(笑)。わりとしっかりした作りで、予算はほとんどここに使ったんじゃないのっていう。ロックバンドって基本的にアツくてダサいものであるべきだと思ってるんだけど、最近のバンドはカッコいいものに憧れ過ぎてるんじゃないかな。

だって、今年一番かっこいいものって来年は一番ダサいから。時代を意識したかっこよさを更新しつづけるのは無理。人に何を言われようが、俺たちができるのはこれだ、これが最高だと思ったことをやるしかない。世間からいつ評価されるのかはわからないけど、評価されたくてやっているわけじゃないからね。

言いたいことをぶつけたい、炸裂したい何かがある限りは、バイトをしてでもやっていくだけ。バイトをしながらやるってことに対して、恥ずかしいと思って隠すやつもいるけど、絶対に恥ずかしいことなんかじゃないから。

俺はバイトしてでもやりてえんだよって、そんなアツいことないでしょ。でかい事務所に入って、大した活動もしてないのにやっすい給料をもらって飼い殺されて……なんてバンドのほうがよっぽどクソだからね。

怒髪天・増子が「やらない」と決めていたこと

寺嶋由芙×増子直純(怒髪天)
増子直純「音楽だけで食うことが目的じゃなく、いい曲を作るのが矜持」

その点でいえば寺嶋さんも、大学とアルバイト、アイドル活動に奔走していた時期がありました。

アイドルは自分のやりたいことだから、その活動費を捻出するためにバイトをするっていうのは自分にとって自然な考えでした。バイトでいろいろな出会いがあるのもおもしろかったし、勉強して友達に会う学校とアイドル活動をする場所が分かれていたことで、バランスを取れていたんだと思います。

そもそも、なんでアイドルになりたいと思ったの?

モーニング娘。になりたかったんです。なれると信じて疑わなかったから、オーディションで落ちて、どうしよう……というところから始まりました。

アイドルになるのって難しいもんね。バンドはメンバーさえいれば始められるから。

大勢の中から選ばれないとモーニング娘。になれないってことに、気づいてなかったんですよね(笑)。結局、大学1年生のときに、秋葉原で「自称・アイドル」としてカラオケを歌うところから始まりました。

まあ、なんでも自称から始まるからね。

増子さんは過去のインタビューで「音楽だけで食えるようになったのは40歳過ぎ」と語っています。

音楽にかける時間が増えるのは幸せなことだと思うけど、そのために嫌なことまでやるっていう考えはなかったんだよ。音楽だけで食うことを目的にするんじゃなく、いい曲を作って、いいライブをやるのが矜持。それが心の支えだから。

メンバーたちも俺が連れてきちゃった立場だから、責任も少し感じてるし、その点はよかったかなと思う。大金持ちにはなってないけど、なんとかなってよかったよね。

音楽だけで生活できるようになったのは、何か転機があったんですか?

30歳で一度活動休止して、再開したのは33歳。そこから7年かけてライブをつづけたことで、だんだんお客さんが入るようになっただけだよね。

ただまあ、後輩のバンドにも苦労しろとは言わないし、プライドが許す範囲で近道をすればいいとは思うよ。俺らは時間がかかったけど。

そもそも音楽だけで食おうと思って始めたわけじゃないから。最終的には、俺が楽しく生きていくっていうのが一番の太い幹で、そこにバンドがあるだけ。

始めたきっかけも、今は街の不良がヒップホップをやっているのと同じように、当時は悪いヤツが集まるのがパンクだったの。だから音楽でメシを食うどころか、どれだけ世の中を引っ掻き回して、迷惑をかけてやろうかと思ってたくらい。

始めたばかりのころは、暴れるためにライブ会場に行っていたとか。

高校生のころはめちゃくちゃにやればやるほど褒められてさ、びっくりしたんだから。その後も月の半分は仕事して、半分はバンドをやって暮らしていければいい。それが夢だったからね。バンドだけで食おうとすると、やりたくないことまでやらなきゃいけない。

その文脈における、「やりたくないこと」とは?

バンドブームのころは、まわりのバンドから「衣装はこれで」「売れるためにこういう曲を作って」と言われるなんて聞いて、そういうのは絶対にやりたくないな、と。まあ結局、当時は箸にも棒にもかからなかったから、直接言われたことはないんだけどね。

25歳で東京に出てきたときも、当時はメジャーデビューするのがダサいって時代。もともと出てくるつもりもなかったけど、友達がみんな行っちゃうし、まあ行くか、と。

流れでメジャーデビューしたはいいけど、大きなシステムの中でプライオリティがめちゃくちゃ低いから、なんじゃこれと思って、次のアルバムは出さないと言って1年で契約を切った。そのおかげで大変なことになったけど、あのまま変にしがみつくだけにならないでよかったのかもしれないね。

「やりたくないこと」をやらないのはカッコいい

寺嶋由芙×増子直純(怒髪天)
寺嶋由芙「これはやらない、という感覚がだんだんわかってきた」

その当時も、仲間であるTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTやザ・ピロウズたちの評価がうなぎのぼりになっていったことについて、うらやましいという気持ちはなかったんでしょうか。

音楽が好きで音楽だけで食いたいと思ってるヤツらでしょ、だからそれが叶って、よかったな〜と本心で思ってたね。俺はそう思ってなかったし、あいつらに比べたら、俺は何をやっても生きていけるから。多少手を汚そうとも(笑)。

自伝『歩きつづけるかぎり』によれば、30歳で活動休止したころには壮絶なお仕事エピソードもありますね。

そうそう。それで、俺は何をしても食っていけるなと思ってたから。

ただ、結成30周年で日本武道館のライブをやったときは、バンドが自分たちだけのものじゃなくなった、責任を負ったような新しい感覚があったね。それはお客さんに連れてきてもらった武道館だったから。長くやったご褒美をいただいたなと思う。若いバンドが「お前ら、連れてってやるぜ!」なんてよく言うけど、何を言ってるんだと。

やっぱり活動をつづけると、感謝の念が強くなるのは感じるかな。地元のために何かやりたいなんて思う日が来るとは思わなかった。自分で自分に驚くのがおもしろい経験でもあるね。

寺嶋さんも、自分のやりたくないラインを考えながら、アイドルグループや複数の事務所を経てきたわけですよね。

そうですね。曲げたくないこともあるけど、やったほうがスムーズに行くんだろうなと感じることも多いです。私はソロなので意見を聞いてもらいやすいですが、グループだとまた違うはずなので、みんなどうしてるのかなって思います。

でもやりたくないことはやらないっていうのはカッコいいよね。その道を選択した意志が見える。バンドでもアイドルでも、その生き様はパフォーマンスにもにじみ出る。ゆっふぃーオタクのヤツらも、さすがだぜと頼もしく思ってるんじゃないかな。

ありがたいです。こういう言葉をかけてもらえるようにやってきたんだと思います。うれしい……。言語化した掟があるわけじゃないけど、何かを選ぶときに、これはないという感覚がだんだんわかってきた気がするんです。それに賛同してくれる人が少しずつ増えてきたうれしさはあると同時に、効率の悪さも感じています(笑)。

効率は悪いだろうけど、効率をよくするために生きてるわけじゃないから。割っちゃいけないラインを持ってるかどうか、それが見えるかどうかで全然違う。

たとえばタイアップでも、すごい売れるところから話が来たとして、自分らの歌をここで歌ってもらいたいと思えなければ、書かない。曲って自分たちの子供のような大事なものだから、それを預けられる相手じゃないと。

とはいえ、自分のラインがどこにあるか、自覚できてないときもあるんだけど。

そのラインはどんなときに自覚するんですか?

もう10年以上前かな。知り合いのツテで、とある大企業のパーティーで演奏することになって。関係者が怒髪天を好きだということで、すんげえ高額なギャラ。社員や取引先の人たちが「乾杯!」ってやってる席で演奏をした。

俺らに興味がない人たちを前に演奏をして、なんとなく盛り上がりはするんだけど、帰りの機材車の中で「もう二度とやらないでおこうぜ」ってみんなで話したね。呼んでくれた人たちは喜んでくれたけど、こういうことじゃないんだと。自分がこんなに傷つくとは思わなかった。

自分たちの歌を聞きに来たわけじゃない人たちを前に、演奏をすることで、傷ついたんでしょうか。

それは全然いいんだけど、受けとってもらえる環境じゃなかったというか。チケットを買って来てくれた人に演奏するのとは違って、ギャラをもらってただ演奏をすることが違うと思ったのかな。

俺たちって意外とこんなところにプライドがあった、譲れないラインだったんだなって気づいたね。すごくどんよりしちゃって、もらった金は生活になじませるんじゃなくて、無駄遣いしてやろうと思ってオーディオセットをどかっと買ってね。

最初は「ラッキー、そんなにくれんの?」って思ってたんだけどね。長くやっていくと、これはやらなきゃよかったってことが、あると思う。

“売れる”かどうかは、自分ではコントロールできない

寺嶋由芙×増子直純(怒髪天)
寺嶋由芙「うちのオタクが、気長に待ってくれたおかげです」

やらないラインとは逆に、やりたいことの軸についてお聞きします。寺嶋さんは今、どんなことを軸に活動したいと考えているのでしょうか。

私の活動や存在が、新しいことを知ったり、物事の新しい捉え方に気づくきっかけになれたらいいな、と思っています。

「サバイバル・レディ」では、大人になってからアイドル活動をする覚悟についてトミヤマユキコ先生に歌詞を書いていただきました。この曲を同世代の女の子が聞いたとき、仕事をがんばる糧になるかもしれない。アイドルの労働環境に関するお話がきっかけで、自分の仕事環境を見直してみようと思う人がいるかもしれない。

私が勉強したことを表に出していくことで、私についてきてくれるオタクの人も、好きなことが見つかったり、考え方が広がったりと、そんなきっかけになったらいいなと改めて思っています。

「アイドル=歌って踊る」ではなく、なんでも活動にしていきたいと。

音楽も大事だけど、舞台に出る子もいれば、私のようにトークイベントにたくさん出る子もいて、アイドルってなんでも仕事にできるはず。でも、あくまで軸はアイドルで、その活動をする上で、次はこんなことが知りたい、この人とお話しできたらヒントをもらえそうと考えていて。これからも私はいろいろなところに手を伸ばして、私を追いかけてくれる人がいろいろなものを拾える。そういう存在でいれたらいいなと思います。

たとえばアイドルだと、宍戸留美(※)ちゃんは仲がいいんだけど、あらゆることをやってきたよね。いろいろ言われた時期もあっただろうけど、歩いてきた道を見ると自分のやり方を貫いてきた。カッコいいなと思うよね。

※宍戸留美:1990年に歌手デビュー後にアイドルとして活動したのち、所属事務所を退所。フリーランスとなって歌謡曲専門レーベルを立ち上げ、インディーズアイドルとして活動していた、いわば寺嶋由芙らの大先輩的存在。『ご近所物語』の主人公・幸田実果子役や『おジャ魔女どれみ』の瀬川おんぷ役など、声優としても活動。

寺嶋さんは自分の活動の影響を実感はすることはあるのでしょうか。

ラッキーだけでやってきたって感覚は否めないですけど、少しずつこのやり方を評価してくれるオタクやメディアの方が増えてきた実感があって、心強いです。少し前までは、「アイドルなのに関係ないことをやっている人」って思われがちだったので。

実はそれがアイドルの活動にもつながっているんだってことが、時間をかけて少しずつお見せできるようになった気がします。数年前に撒いたタネがようやく芽吹き始めた感覚です。うちのオタクが、気長に待ってくれたおかげです。

ただ、自分はとても楽しく日々暮らしているんですが、自分がやれる範囲がまだとても狭いと感じていて。自分が楽しいだけだと表に出て仕事をする意味がないかなと思うので、起こせる波が届く場をもっと広げていきたいです。

でも自分が楽しく暮らせてるってこと自体が素晴らしい、なかなかできることじゃないから。俺らができるのは、最高の曲を作って、最高のライブをやることだけ。人気が出て売れるとかは、手の触れられる範囲の外のことなんだよね。やればやるほど、本当にそう思うよ。

なぜやるのか、やってはいけないのか。腹を割って話せる環境に

寺嶋由芙×増子直純(怒髪天)
増子に弟子入り志願をした寺嶋

俺はバンドのみんなで仲よくやってきてよかったと思うけど、ソロって全責任が自分にあるでしょう。ソロでやってる人、すげえなと思うよ。

私はスタッフさんと話す機会をたくさん持つようにしていますね。でも信頼するスタッフさんが異動したり会社を離れると、私はその環境を去るしかない……っていう経験があって、人に依存するのはよくないとは思っているんです。

それだよね。バンドメンバーは一蓮托生で、何かあれば全員共倒れになるから物事の捉え方が同じ。たとえばネットで誹謗中傷を受けたとき、同じ立場で傷ついてる人がいないわけでしょう。そうなると、慰めの言葉が慰めの域を出ない。ひとりって難しいだろうと思うよね。

学生時代の友人たちとはつながっていて、それでバランスを取っているのかもしれないです。ほかにも、歌詞を書いていただいたトミヤマ先生やダンスの先生など、これまで出会ってきた恩師たちにヒントをいただくことも多いです。

ではこの対談を機に、増子さんも恩師のひとりに……。

ぜひ弟子入りさせてください!

『スター・ウォーズ』みたいな話だね(笑)。

今のレーベル(テイチクエンタテインメント)にお世話になって約5年経ちますが、スタッフのみなさんが「うちには怒髪天がいるから」って誇らしげな印象があるんです。この人たちに関わる仕事をすることで、自己肯定感が上がる。そんな存在になることを目標にしたい。怒髪天のみなさんを見ていて、そう思います。

テイチクって予算はないけど、人がいいからね(笑)。それは本当に大事だと思う。何年目だったかな、札幌の後輩がとあるレーベルから出すデビューアルバムの予算、当時俺らが作ってたアルバムの10倍だったからね。ひっくり返ったよ。

でも、大きい会社って社内のプライオリティがあって、最初はお金をかけて作っても、大事にはされなかったりもする。結局は、現場で動いてる人間との関係性と熱量が大事なんだよ。自分たちの担当に愛情がないっていうのは一番ガックリくる。たとえアホでも、熱量さえあれば「よしやってやるか」って気になるからね。

その点、寺嶋さんがやりたいことを貫くためには理想的な環境に辿り着いたということですね。

しっかりコミュニケーションができていますし、なぜこれをやるのか、やってはいけないのかなど、腹を割って話せる環境なのがありがたいです。「アイドルはこうだ」っていう型のとおりにやるしかない時期もあったので。

大きな会場でのライブだけが、目標ではないから

寺嶋由芙×増子直純(怒髪天)
寺嶋由芙×増子直純(怒髪天)
ソロで長年がんばりつづける寺嶋に、増子からご褒美の金メダル(メダルは怒髪天の「通販限定スペシャルボックス『ゴールデン玉手箱』」の付録グッズ)

増子さんたちはいろいろとぶつかってきたのに、それでもやりたいことしかやらない姿勢を貫いてきたのはとてもカッコいいと思います。

長年バンドをやってきたことに対して、よく「険しい道だったでしょう」って言われるんだけど、自分では大変だったとは思わない。ほかの人生を歩んだことがないから、比較のしようがないよね。若いころに自衛隊にいたときなんか、同じ班のヤツが遅刻とかすると連帯責任で週に1回の外出がなくなったりするんだよ。……今思い出してもシビれる(笑)。それに比べたら楽なもんだよ。

ここまでお話を聞いてきて、寺嶋さんも今後もこの道を歩きつづけようと思いましたか?

はい。その昔、モーニング娘。のオーディションは年齢制限が17歳までだったので、一番やりたかったことへの道が閉ざされたと絶望していたんです。

でも今はこの活動をつづけたいと思えるし、つづけられる環境をいただいて、おもしろがってくれる人たちも増えてきて。今回、つづけることで楽しいところに到達している先輩とお話しできて本当によかったと思います。

この先にやりたいことってあるの?

たくさんあるんですけど、ひと言で表すのは難しくて。増子さんはどうやって見つけたんですか?

ここ数年、俺たちはずっと「4人で健康に1日でも長くつづけていく」って言ってるね。俺らがやるのは、いい曲を作って、いいライブをやる。このふたつだけだから。人事を尽くして天命を待つっていうけど、人事を尽くさないと天命を待つ資格がないからね。ただ、メンバーに痛風が出るとは思わなかった。ドラムが痛風って、一番なっちゃいけないパートだよ(笑)。

私も1日でも長くアイドルをつづけたいんですけど、それを目標にすると向上心がないように見える気がして。具体的に「武道館でライブをやりたいです」って言えるほうがアイドルっぽいとも思うのですが、それを言えないこの気持ちはなんだろうとモヤモヤしています。

その程度の目標じゃないんだよね、きっと。紅白に出たい、武道館でやりたいと言ってもありきたりだし、それだけがすべてじゃない。

もちろん武道館なども目標なんですけど、グループを卒業、解散など次のステップに進むアイドルが多い中で、ただ辞め時を失った人だと思われるのが嫌なんです。

毎日楽しくやっているし、まだまだやりたいことがあるんですよってことは、もう少しわかりやすく言えたらいいなと思っています。

ほかには、私が先にしたよけいな苦労を、私のあとにアイドルになった子たちにはしてほしくないから、そういった働きかけもしたい。気づいたことを伝えるといったらおこがましいですけど。寺嶋由芙みたいにやっていく道もあるのかって気づいてもらえたら、社会貢献になるかなと思います。

アイドルの概念を広げて、その背中を見せていく、と。

目標のスパンが長いってことだよね。そんな簡単に語れると思うなよってね。

そのためにも、新たな師匠と出会えた対談となったわけですね。

今後ともぜひよろしくお願いします!

いやいや。俺たちはもう戦友なので、できることがあれば、なんでもやりますよ。

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