オークラ、天才芸人たちと理想を追い求めた20年。『自意識とコメディの日々』インタビュー
バナナマン、バカリズム、おぎやはぎ、東京03……名だたる天才コント師たちと共に、理想のコントライブを追い求めてきた放送作家・オークラ。90年代に幕を開けたその青春の歩みは、そのまま東京のコントシーンの歴史と重なっている。 「うまくいかなかったことのほうが圧倒的に多い」と、オークラは自身の半生を振り返る。
『クイック・ジャパン』で連載されていた、オークラ初のお笑い自伝『自意識とコメディの日々』が12月3日(金)に発売されたのを記念し、インタビューを行った。
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自分の世界観を笑いに昇華できる、天才芸人たちとの出会い
──今回の本では、オークラさんがお笑いコンビ「細雪」として活動していた時代の挫折も書かれています。23歳という早いタイミングで芸人としての活動に見切りをつけたことに未練はなかったのでしょうか?
オークラ 当時ライブで一緒にやっていたバナナマンや仲のよかったザキヤマ(アンタッチャブル山崎弘也)と比べて、自分の力量が劣っているなというのはずっと感じていて。今は彼らも国民的な人気者ですけど、当時は全員売れていない芸人だったんで。そういうやつらの中でも劣っているっていうことは、自分はダメなんじゃないかと感じていたんですよね。決定的だったのは、自分で書いたコントを自分でやるよりも日村さんがやったほうがおもしろいっていうことに気づいたときで。そこで、もう無理かなって。
──そこからコントを書くほうにシフトしていった。
オークラ そうです、書くことのほうが楽しくなっちゃって。今となってはこうやって歳を重ねてもずっとお笑いに携われてますし、若い世代の芸人さんとも一緒に組めますし、こっちを選んでよかったなと思います。
──先ほど名前が挙がったバナナマンやアンタッチャブルのほかにも、おぎやはぎやバカリズム、東京03など、当時のオークラさんのまわりには今でも第一線で活躍している芸人さんが大勢いました。当時、彼らがここまで売れていくと想像していましたか?
オークラ 彼らはみんな力があるから最終的には世に出るだろうとは思ってましたけど、ここまで売れるかはわからなかったですね。ただ、僕は自分が好きなネタをやっている芸人さんにしか興味がなかったし、彼らは圧倒的にネタがおもしろいから絶対に何かしらのムーブメントが起きるだろうなとは思ってました。
──オークラさんが好きなネタというのは、どんなネタですか?
オークラ 自分たちが「これがおもしろい」と思っていることを、ちゃんとお客さんの前で笑いに昇華できている人たちですね。「こうすればウケるだろう」と思ってウケるネタを作るのももちろんすごいことですけど、自分たちがおもしろいと思っていることをそのままネタにしてウケるのってすごく難しいんですよ。
僕が好きなのは、自分たちがおもしろいと思える確固たる世界観があって、それをネタにできる人たちなんです。僕が当時すごいと思った人たちはそういう意味では共通していますね。ネタの完成度でいえば、特にバナナマンは当時から別格でした。
──この本の中でも、オークラさんは一貫して「カッコいいコントライブがやりたい」という思いを書いていますよね。そこに才能ある芸人さんたちが自然と集まっていったような印象を受けました。
オークラ いろんなカルチャーを融合させた「シティボーイズライブ」みたいなコントライブがやりたい、っていうのが僕らの共通認識としてあったんですよね。同じカルチャーが好き、っていうだけですぐに話が合うことってあるじゃないですか。当時の僕ら世代の芸人にとって、その記号がシティボーイズだったんです。もちろん同じことをやっても仕方ないから、そういう意識がベースにある上で、自分たちはどう新しいものを作っていくのか……芸人たちとそういう話をずっとしていましたね。
僕は飲みにいくのが好きだったんで、そういう場でもよく「こんなことをやりたい」ってしゃべってました。気恥ずかしいですけど、言いつづけてると「じゃあこうしたほうがいい」って意見交換が生まれたりして、だんだん夢がリアルになってくる。それが少しずつ形になって、今があるんだと思います。
自分たちの手でシーンを作り上げた、もうひとつのお笑い史
──『自意識とコメディの日々』では、吉本の芸人さんが中心のお笑い史とはまた別の歴史が書かれていますよね。今のライブシーンにもつながる、東京のコント史というか……。
オークラ 90年代の中頃は吉本が東京に進出してきたばかりで、今と違って事務所間の交流もほとんどなかったんです。ちょうどそのころにバナナマンのライブが話題になって、吉本から「ライブの演出をしてくれないか?」って頼まれてお手伝いしたこともあったんですけど、やっぱり対抗意識はありましたね。当時の吉本の芸人さんの間では、バナナマンとかラーメンズみたいなコントをやっていると「カッコつけてるの?」ってイジるような雰囲気もあったんで。
──だからこそ、自分たちでシーンを作ることにこだわっていた。
オークラ そうですね。特に自分は作家だったから、一緒にやっていた芸人たちよりもひと足早くテレビの世界に入れたんです。だからまずは僕がお笑い番組を作ってバナナマンやおぎやはぎを売れさせるんだ、っていう気持ちはすごく強かった。そのうち彼らもテレビで売れ始めて文句も言われなくなったし、ラーメンズは独自の道を切り拓いていきました。
──そうしてライブやテレビで活動の場を少しずつ広げていった今、オークラさんが目標としていることはありますか?
オークラ コントライブとシットコム(シチュエーションコメディ)の番組はずっとやりたいと思っているんですけど、それ以外だったら映画のコメディを作りたいです。ただ映画館だけで公開する作品というよりも、ライブなのかYouTubeなのかはわからないですけど、いろんなプラットフォームを連動させたコメディが作りたいですね。
たとえば格闘家の朝倉未来がYouTubeをやってますけど、そのまわりにはオンラインサロンがあったりファッションがあったり格闘技の試合があったりして、全部が連動して楽しめるようになってるじゃないですか。それと同じではないですけど、そういうことをコメディでもできないかっていうのは考えてますね。
──お笑いに限らず、ミュージシャンやアイドルの方とも積極的に関わってきたオークラさんのキャリアともつながっているような気がします。
オークラ バナナマンが好きな人は星野源の音楽も好きなはずだ、みたいな感じでいろんなカルチャーが融合していくのが好きなんですよね。そういう意味ではずっと一貫していると思います。
オークラ「やりたいことが明確にあったから」微調整とシフトチェンジの繰り返し
──今回の本の執筆を通じて、自身の半生を振り返ってどう感じましたか?
オークラ 無謀な部分も多々ありましたけど、やりたいことが明確にあったから、うまくいかないことは微調整したりシフトチェンジしたりを繰り返しながらやってきたなと思います。でも、そういう柔軟性があってよかったですね。うまくいかなかったことのほうが圧倒的に多かったんで。
──うまくいかなかったことというのは、芸人時代の挫折とか……。
オークラ それもそうですし、今はバナナマンと東京03のライブをずっとやれていますけど、せっかく『ライヴ!!君の席』(※2002年に開催されたバナナマン、ラーメンズ、おぎやはぎによる伝説のコントライブ)みたいなコントライブを作っても、長くつづけることはできなかった。『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)みたいな伝説のコント番組も作りたかったけど、そこまでは届かなかった。
そのたびに微調整を繰り返しながら、なんとか理想を目指してきた感じでした。それでもいろんなところに自分がやりたいことのタネを撒いたおかげで『ゴッドタン』(テレビ東京)みたいに深夜で観てもらえるようなお笑い番組ができたし、「オークラさんってこういうジャンルが好きなんだね」と思ってもらえるような個性もできました。それが20年この仕事をやってきて、すごくよかったことだと思いますね。
オークラ
1973年生まれ。群馬県出身。脚本家、放送作家。バナナマン、東京03の単独公演の初期から現在まで関わりつづける。主な担当番組は『ゴッドタン』(テレビ東京)『バナナサンド』(TBS)『バナナマンのバナナムーンGOLD』(TBSラジオ)など多数。近年は日曜劇場『ドラゴン桜2』(TBS)の脚本のほか、乃木坂46のカップスターWEB CMの脚本監督など仕事が多岐に広がっている。
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