トータルテンボス「お客さんは7人」「当時は口だけだった」……『M-1』優勝より難しい“笑いの本質”を考える
芸歴24年を数えるトータルテンボス。2006年スタートの47都道府県ツアー以来、昨年コロナ禍で休止を余儀なくされるまで、毎年全国ツアーを行っていた。11月に単独ライブ『背広の合う二人』を控えるふたりは今、漫才にどのように向き合っているのか。全国ツアーを始めたころの思い出と共に、ネタへの取り組み方の変化も語ってもらった。
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笑い飯がきっかけで始めた全国ツアー
——トータルテンボスのおふたりは10年以上もの間、単独ライブで全国を回ってこられました。毎年のように全国ツアーをつづけることのできる漫才師は、けっして多くないと思いますが。
藤田 僕らがツアーで全国をまわるようになったきっかけは、笑い飯さんなんですよ。もともとは『M-1グランプリ』で優勝するために、武者修行的な意味合いで始めたことで。
大村 2004年に初めて『M-1』決勝に行けたけど、翌年は決勝に選ばれず。「何がいけなかったんだろう、笑い飯さんはなんで毎年行けるんだろう」と思ったら、その年、笑い飯さんは全国14カ所を回られてたんですよ。じゃあ僕らもそれをやったら、また決勝に行けるんじゃないかと。
藤田 全国を回ればスキルアップできるんだ、と。
大村 そういう単純な発想から会社にお願いしたら、当時のマネージャーが「どうせなら47都道府県行っちゃうか」と言ってくれて。「ぜひやらせてください!」とツアーが決まったとたんマネージャーが変わって、次のマネージャーが「本当にやるんすか?」。
——えっ?
藤田 はしごを外されそうになってね。
大村 「えー、できないっすよ」とマジで嫌がられて。
藤田 それを乗り越えて、なんとか47都道府県を回れることになって……。いろいろありましたよ。たとえば宮崎県って、『M-1』が放送されていなかったんですよ。
大村 だから宮崎の人たちは『M-1』に一度出た程度の僕らのことを知らなくて。お客さん、何人だったっけ?
藤田 7人。
大村 そもそも全員入っても100人いかないくらいの小さなライブハウスを借りていたのに、10人も来なかった。だから苦し紛れで急遽、結婚式くらいの円卓テーブルを借りてきて並べて。
藤田 会場が狭いから7人限定でやってるんですよ、という感じにして。あとは長崎で、テレビ局のロビーみたいなところにお客さんを入れてやったこともあります。ちょっと小上がりを作って舞台みたいにして。学園祭のほうがまだ立派なくらい。
大村 学芸会だな。
藤田 照明もないからマネージャーが電気を消すんですよ。「はいどーもー!」と出て行ったら「パチパチパチ」と電気のスイッチの音がして、タイムラグがあってちょっとずつ明るくなる。音響設備もないからラジカセで出囃子を流してね。
大村 本当に手作りのライブから始めたんですよね。
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