岩崎う大「いつ世に出られるんだ」小島よしおがすぐ売れて、残ったふたりでの始まり

岩崎う大

文=てれびのスキマ 撮影=長野竜成 編集=鈴木 梢


90年代半ばのお笑いサークル創世期に誕生した早稲田大学の「WAGE」は、その主要メンバーがプロの芸人として活動を始める。お笑いサークルから、そのままプロへという道を辿った先駆的存在だ。メンバーのひとりだったかもめんたる岩崎う大は、その渦中でどんなことを考えていたのか。また、お笑いサークルでの経験は何をもたらしたのだろうか。


大学時代にNSC入学、他大学の学生芸人たちとの出会い

高校時代をオーストラリアで過ごし、日本のお笑いに飢えていた岩崎う大は、わずかに観ることができたお笑い番組をきっかけに芸人を志した。早稲田大学に入学したう大は、入学式当日に森ハヤシらから誘われ、お笑いサークル「WAGE」に参加。う大は当初からプロ志望だった。

岩崎う大(いわさき・うだい)1978年9月18日生まれ、東京都出身。お笑いコンビかもめんたるのメンバーとして槙尾ユウスケと共に活動しながら、劇団かもめんたるの原作・脚本・演出も手がける。かもめんたるとしては『キングオブコント2013』優勝、劇団かもめんたるとしては2020年と2021年に岸田國士戯曲賞候補に選ばれた

岩崎 当時、コンビ組んでて、ホリプロのネタ見せにも行きました。そのとき、案内してくれたのが流れ星(現:流れ星☆)。瀧上(伸一郎)さんを見て、「すごいきれいな人。この人たち、華あるな」って思ったのを覚えてますね。フォークダンスDE成子坂さんの幕間の映像でイジられてた作家さんが、ネタ見せの講評をやってたんですけど、そこでも箸にも棒にもかからず。それはすごいショックで「お笑い芸人になれないのかもな」って思った瞬間でしたね。「そっか、これでひとつずつ事務所受けてどこにも引っかからなければ、芸人にはなれないんだ」って思って怖くなった。

当時のWAGEには、う大ほどプロ志向の強いメンバーはいなかった。そんな状況のなか、う大は3年生のとき、NSC東京に入学する。同期の6期生には、とにかく明るい安村、ものいい、グランジなどがいた。う大は、グランジの大と一時期「ツユクサ」というコンビを組んでいた。

岩崎 大学のサークルで2年お笑いやってきて、なんか「外で勝負したいな」って思ってたんです。だったら、大学にいるうちに行っちゃったほうがいいかなって。1回やってもしダメだったら、まだ学生だから軌道修正しようっていう打算的な考えもあったかもしれない。どっちにしろ早くやってみたほうがいいと思ってたんだと思います。もしこのまま就職したら絶対後悔する。お笑いを辞めるなら、打ちのめされるくらいまでやって、諦めるきっかけを味わったりしなきゃいけないんじゃないかって。

大学お笑いで先に客前を経験していたのは、NSCで大きなアドバンテージになりましたね。講師の人から、最初のほうはすごい褒められてました。とはいえ……ってレベルでしたけどね。当時はお笑い的にそんなに盛り上がる前。ちょうど『新しい波8』(フジテレビ)がやってたころで、ロバートさんがブレイクするちょっと前です。僕らがNSCを卒業するタイミングでルミネtheよしもとができたんですけど、講師の人から「言っとくけど、お前らルミネなんか出られないからな」と口酸っぱく言われて(笑)。ピラミッドの底辺でその上に何人いるか想像してみろって。

岩崎う大

ちょうどそのころ、アミューズがお笑い部門を立ち上げると言って『ギャグ大学』という大会を始めて、目ぼしい学生芸人を所属させる動きがあったんです。WAGEがそこで結果を残し始めるんですけど、僕はNSCにいたのでそこには出てなくて。でも、アミューズのほうがプロになれる可能性が高いと思って、NSC卒業と同時に吉本を辞めて、4年生でWAGEに戻ったんです。

2001年1月に行われた『ギャグ大学偏差値2000』でWAGEは3位に入賞し、プロへの道が拓かれた。

岩崎 4年生でWAGEに戻って、アミューズに入れるようにがんばってました。ちょうどアミューズのライブがあったから、大学の卒業式には出てないんですよね。だから卒業証書は早稲田に残ってるはず。学生証と交換でもらえるはずなんですけど、1日1日延ばしているうちに、今さら行ってもおかしいなって時期になっちゃって、結局取りに行ってない(笑)。

『ギャグ大学』が始まってから、他大学との交流が始まった感じですね。ザ・ギースの尾関(高文)さんはまさに『ギャグ大学』で出会った人(尾関は明治大学の友人とお笑いのカルチャースクールに通い、『ギャグ大学』に参加し優勝)。当時からおもしろくて、仲がよかったです。

岩崎う大

高佐くんは同じ大学の寄席研だったので、もともと少しは交流がありました。寄席研をちょっとライバル視してたし、自分たちのほうがおもしろいって思ってた。当時の寄席研は、漫才の人が多くて社会風刺とか危険なワードを言うとかが多いというイメージ。高佐くんは、「シルバード」というコンビでやってて、すごいシュールで、いかにも学生芸人な感じであんま冴えなかった(笑)。学生芸人って、「この人は芸人しか向いてないだろうな」って人も就職して辞めちゃうことも多いんですけど、逆に高佐くんは努力芸人っていう感じで、『キン肉マン』のジェロニモみたい(笑)。失礼極まりない言い方だけど、なんか「超人」ではないって印象。それが逆に今、高佐くんの狂気の部分になってておもしろいですけどね。
(ナイツの)塙(宣之)さんがいた創価(大学)の落研の人たちはおもしろかったイメージがあります。カオポイントや、どきどきキャンプとは仲がよかったですね。

WAGEのプロデビューと、う大に生じた違和感


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てれびのスキマ

1978年生まれ。ライター。テレビっ子。著書に『タモリ学』(イースト・プレス)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)、『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』(文藝春秋)など。