ショック!水島新司、漫画家引退「ルールに対する異常なまでの固執からの脱・魔球の功績」徹底討論

2020.12.4

水島新司の功績、“擬音の使い方”と“ギアのこだわり”

ツクイ 野球のスイングやフォーム描写、構図の巧さ、といった点はもちろん秀逸なんですが、それ意外で独特なのは「擬音の使い方」。球聖・岩田鉄五郎が投げる際の「にょほほほほ」とか、普通は考えつかないでしょ。

オグマ 手塚治虫は静寂の擬音「シーン」を生み出したといわれますが、水島新司はその真逆のうるさい擬音を生み出した、ということですね。ともに160キロ以上のストレートを操った藤村甲子園(『男どアホウ甲子園』)や中西球道(『球道くん』)が投げる際に描かれる「うおおぉぉぉ」も、この擬音があるからこそ球が速く見える、というのは確かにある。でも、技巧派の里中智にはそういった声の擬音は使っていない。ちゃんとそのへんは使い分けているんですよね。

ツクイ 現実世界でこんなに叫ぶ投手なんていないにもかかわらず、ほかの野球漫画でも「うおー」を背負って投げる描写が多いのは、全部水島先生の影響ですから。

オグマ 独特な擬音といえば、岩鬼正美の打球音「グワァラゴワガキーン」も外せません。

ツクイ あれはもう発明ですよね。今の若い人だと、とんねるずの石橋貴明さんの持ちネタ、という認識かもしれないけど。あの世代って岩鬼が大好きなんですよね。ただ、僕個人の記憶としてあるのは、松井秀喜がプロ入りしてホームラン打者として開花したとき、その打球に関して「ボールが割れるようだ」という表現がよく使われていた、ということ。その割れるような音の元祖というか、表現手段として、岩鬼の「グワァラゴワガキーン」があるんだろうなと。

オグマ メジャーでも強打者として活躍する松井クラスの存在であることを、「グワァラゴワガキーン」によって描いていた、と。

ツクイ 山田はちゃんと「カキーン」という音を使っているんです。それとは別に、ボールとバットがぶつかった衝撃でボールが割れるんじゃないか!?というメジャーリーグのようなインパクトがあることを、なぜ70年代・80年代にわかっていたのか。当時の日本の野球といえば、三冠王・落合博満さんのように「ボールを乗っける」スイングが主流だった。そういった「飛ばす」「運ぶ」スイングじゃない、「壊すスイング」を描きたかった、ということなんでしょう。

オグマ ちなみに、松井さんも『ドカベン』は大好きで、セカンドがジャンプするような打球がそのままライナーでスタンドインしたとき、「セカンドがジャンプした? まさか、『ドカベン』じゃあるまいし」と語っています。

ツクイ それなんか、まさに岩鬼的。ピッチャーの足元を抜けた打球がセンターバックスクリーンに突き刺さってますから。ただ、そこまで擬音にこだわったのは、野球という競技性をどうすれば表現できるのか……その細部まで突き詰めていたから。そういった細かい視点、という意味では、島本和彦先生の『アオイホノオ』でも、水島新司以降、走者のスパイク裏に刃が描かれるようになった、と指摘されています。こうした“ギアのこだわり”も水島先生の功績のひとつですよね。

ツクイヨシヒサ/野球マンガ評論家、ライター。1975年生まれ。主に書籍、雑誌、WEBなどで活躍。著書に『あだち充は世阿弥である。』(飛鳥新社)、編著に『ラストイニング 勝利の21か条』(小学館)など
ツクイ「野球という競技性をどうすれば表現できるのかを突き詰めた結果、独特な擬音がいくつも生まれた」

オグマ 確かに、水島野球マンガの第1作『エースの条件』でも、1巻の投げるシーンからちゃんとスパイク裏の刃が描かれています。

ツクイ ほかにも、漫画批評家の夏目房之介さんは、ちばてつや先生の『ちかいの魔球』あたりまではマウンドのない野球マンガがたくさんあった、と指摘しています。そういった細部のクオリティを底上げした点でも、水島先生の果たした役割は大きいです。

オグマ 本当はデビュー直後から野球マンガを描きたかったのに、自分が満足できる野球描写ができるようになるまで10年以上我慢しつづけた、といいます。その雌伏の期間も大きな意義を持っているんだと思います。

30作以上ある水島野球マンガのなかでも記念すべき第1作『エースの条件』(原作:花登筐)。1969年に連載開始。全5巻
30作以上ある水島野球マンガの中でも記念すべき第1作『エースの条件』(原作:花登筐)。1969年に連載開始。全5巻

野球へのこだわりが生んだ「ルールへの固執」と「脱・魔球」

オグマ 野球をよく理解していた、という意味では「ルールに対する異常なまでの固執」も外せない要素です。

ツクイ 野球マンガというジャンル内で何ができるか、という追求にも通じることですが、野球のプレー内で何ができるかの可能性にもとことんこだわっている。「ルールブックにこう書かれてあるということはもしかして……」という点を、どこまでもしつこく考え抜いている。いったい、どれだけルールブックや野球協約を読み込んでいたんでしょう。

オグマ 代表的なのが、明訓vs白新の試合で描かれた「ルールブックの盲点」です。

ツクイ のちに『ラストイニング』(原作:神尾龍、作画:中原裕)でも描写され、2012年の甲子園でも実際に起こったことで、あまりにも有名な「ルールブックの盲点」ですが、ほかにも「そんなルールあるの!?」という描写が本当にたくさん登場しますからね。

オグマ 球審と走者が激突したことで球審の予備ボールが散らばってしまい、どれが本物のボールかわからない……という、明訓vs土佐丸のセンバツ決勝の名シーンも、のちに高校野球奈良大会で本当に起きたときにはビックリしました。

ツクイ そういった「野球ルールの理と不条理」の中でドラマを作る。岩鬼みたいな破天荒なキャラがいるとどうしても「マンガ的」な表現や展開に陥りがちなんですが、それをちゃんと野球の中で成立させているのは、野球のルールを知り尽くしているからこそ。こんなことできるんじゃないか、あんなことできるんじゃないか……と発想を重ねていく。ただし、まったくあり得ないことは描かない。

オグマ 強いて言えば、『野球狂の詩』に出てきたゴリラが野球をすることくらいですね、あり得ない描写というと。

ツクイ それだって、2013年に韓国映画でゴリラの野球ドラマは描かれた(『ミスターGO!』)わけで、水島先生の発想力を追いかけている点では一緒なのかなと(笑)。

オグマ もしくは、「現行ルールでは不可能だけど、この一文だけ変えればできる」ということも。『野球狂の詩』における女性初のプロ野球選手、水原勇気がまさにそう。「医学上男子でない者」という野球協約の一文に注目することで、水原勇気というキャラクターを生み出した。そして、その誕生から20年近くたった1992年、現実世界の野球協約が改定され、今では女子もルール上はプロになれる。私が「水島予言」と呼ぶ部分です。

オグマ「現実世界の野球協約が改定され、今では女子もルール上はプロになれる」
オグマ「現実世界が水島作品のあと追いをする。そんな『水島予言』を楽しむことも、水島野球マンガの楽しみ方のひとつ」

ツクイ 明訓vs土佐丸の試合で描かれた「アンダーシャツの長さを調整してリリース位置を惑わせる投法」だって、やってやれないことはない(笑)。ただ、『アストロ球団』(原作:遠崎史朗、作画:中島徳博)みたいに、人間ピラミッドを作れば打球を止められる……という発想にはならない。それはどう解釈しても野球のルールを逸脱しているから。とにかく、どこまでも野球という競技にまじめに向き合っていた結果なんです。

オグマ その意味でも重要なテーマは「脱・魔球」。70年代はまだ主流な表現だった「魔球」を描かなかった点も外せません。

ツクイ 名前のある決め球といえば、水原勇気(『野球狂の詩』)の「ドリームボール」、里中智(『ドカベン』)の「さとるボール」と「スカイフォーク」。新田小次郎(『光の小次郎』)の「光る速球」……あたりが有名でしょうか。

オグマ でも、ドリームボールは「下手投げからのスクリューボール」。さとるボールも「下からのシンカー」。のちに西武・潮崎哲也の決め球を先駆けていた、ということだし、光る速球はストレートの究極系。藤川球児の「火の玉ストレート」を先駆けていた、といった具合にちゃん説明できる。描いた当時はマンガ的なボールだったものが、のちに現実世界が追いついた、というのも実に水島マンガ的というか。これも、水島予言のひとつです。

ツクイ 原理を説明できないことは描かない、ということは水島作品では徹底していたんですよね。あと、水島先生の発明といわれる球に「超遅球」があります。遅い球を突き詰めて投げさせたのも、野球マンガでは初めてのはず。あれも、野球をやっている人の発想なんです。やってない人は、遅い球=打ちやすい、と単純に連想しがちなものだから。

オグマ 野球において緩急がいかに大事か、ということを理解しているからこそ、不知火守(『ドカベン』)、岩田鉄五郎(『野球狂の詩』)、三原心平(『ストッパー』)と、何人ものキャラクターに「超遅球」を投げさせてきました。特に、山田太郎が苦手なんですよね、不知火の超遅球。

ツクイ そこがまたおもしろいところで、大投手の不知火が苦手にしたのは、山田よりも殿馬なんです。多くの試合で、山田も明訓打線も抑えているのに、殿馬ひとりにやられている。エースvs4番の対決で勝つ。エースが投げ勝つ、という話だけじゃなく、たとえ4番が打てなくても、いぶし銀な選手の活躍で勝つことも往々にしてある、というのも野球をやっている人の感覚。あのバランスがあったからこそ『ドカベン』は野球マンガとして、壁をひとつ突き破ったと思います。

試合の「流れ」までも描く、野球への造詣の深さ

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