ナインティナインの<復活>と<涙>「笑ってくれた仲間のおかげ」

ナインティナイン ロングインタビュー

2020年で結成30周年を迎えたナインティナイン。およそ10年ぶりに、矢部浩之・岡村隆史ふたりそろってのロングインタビューを行った。

ナイナイが改めて語る、休養と復帰からの日々、『27時間テレビ』での涙。そして「第七世代」や千鳥のブレイクなど、“テレビ”の変化をふたりはどう見ているのか?

※取材は岡村隆史結婚発表前の10月中旬に行いました。


この10年で意識したのは「声を張ること」

左:矢部浩之(やべ・ひろゆき)1971年10月23日生まれ、大阪府出身。右:岡村隆史(おかむら・たかし)1970年7月3日生まれ、大阪府出身。

──おふたりそろってのインタビューはいつ以来ですか?

矢部 あー、覚えてないですねぇ。がっつり時間を取って聞いてもらうのは、オールナイトの本(『ナインティナインのオールナイトニッ本』)のときが最後ちゃうかな。

岡村 あれは? 薄毛のCMのとき。

矢部 ああ、動画はたまにあったね。でもこういう雑誌やWEBのインタビューは、20周年のとき以来とちゃう?

──20周年の翌年に雑誌でのインタビューがありましたね。

矢部 そうですね。それがラジオ本と同じくらいのころかな

岡村 だから10年ぶりくらいかも。

──やりにくさみたいなものは、ありますか?

矢部 やりにくさ……でもひとりでインタビュー受けるのとはまた違うかな。

岡村 こういう機会があまりなかったから、ちょっと小っ恥ずかしい感じもあるっちゃありますね。

矢部 ひとりでいるときの相方の話と、ふたりでいるときの相方の話は表現が変わってきますよね。そういう違いはあるかな。

──20周年のときはちょうど岡村さんが休養されていました。その後の10年間は、コンビとしてどのように評価していますか。

岡村の休養時の周囲の反応について「チャンスと思う気持ちも、同世代を思う気持ちもわかる」

矢部 休養して戻ってきて……お笑いという意味では「どうやって笑いに持っていくか」みたいなことは難しいなと思ってましたね。もちろん『めちゃイケ』の力も借りたりしましたけど。でも、その当時のことを笑えるようになってよかったなと思います。

岡村 僕もすごく悩んでたんですよね。「これ笑いにくくなるやろな」って思ってたし。でもいろんな番組の人たちや相方が、みんなで「笑っていいんだよ」っていうふうに変換していってくれた。間近で見ていた相方もいたし、やっぱり笑ってくれる仲間がいたことが一番助かった部分ではあるんですけどね。そのぶん「この子、またどっかで“パッカーン”になるんちゃうか」と思われないようにがんばらなあかんって気持ちもありました。

休んでたときは、がんばるっていうことがすごい嫌やった時期なんですよ。でも復帰してからは「がんばらんでええねんよ」って言われて、逆に「がんばらな!」と思って、目の前にあるすべての仕事をやってましたね。

それがいいのか悪いのかはわからないですけど、ポンコツになったぶん、うまいことそのポンコツ感を見せながら「岡村はもう大丈夫やな」って思われるぐらいのことをやらなあかんって思ってました。ちょっとだけ意識してたのは、今までの声よりも、もうちょっと張ること。うん、声を張ってきましたね、この10年間(笑)。いつもより声を大きめにって、ずっと心がけてたような気がします。

矢部 でも「パッカーン」っていうのはナイスワードでしたよね。みんなそれで「笑ってええんや」ってなるし。そのとき、すごい印象的な出来事があったんです。当時、キングコングの西野(亮廣)が、岡村さんが体壊したって聞いて「チャンスやな!」って言ったんですって。それ聞いてたFUJIWARAの原西(孝幸)さんがめっちゃキレたらしい。僕、それ聞いて感動して。原西さんやからなんか説得力あるというか……。

あえて多くを語らない人なので、そんなんでスイッチ入んねや、優しい人なんやなと思って。西野はびっくりしたやろうけど(笑)。若手でこれからがんばらなっていう彼の考えもわかるし、原西さんみたいに同世代の芸人さんを大事に思う気持ちもわかる。どっちも間違ってないとは思うんですけどね。

岡村 原西さんは今でもがっつり友達なんです。釣り仲間でもある。車の中で全然しゃべらんでもなんも苦じゃないです。ゴルフ行ったり釣り行ったり、そんな感じですね。フジモンとは行かない(笑)。別に嫌いなわけではなくて、原西さんは一緒にいて心地いいんです。

まだ見せたことのない矢部の涙「時間の問題かも」

2011年の『27時間テレビ』について「最後まで笑顔でやるつもりやったのに」

──『めちゃイケ』総合演出の片岡飛鳥さんが、矢部さんのことを「どんなときでも絶対に泣かないのがすごい」とおっしゃっていたのですが、岡村さんは矢部さんが泣いているところを見たことありますか?

岡村 ないですね。耐えてるであろうというような場面はあったとしても、泣いてるところは見たことないですね。

矢部 本当にないかもね。高校サッカー部の最後の試合くらい……? それもねぇ?

岡村 先に僕が泣いたんですよ。

一同 (笑)

矢部 引退する生徒より泣いてましたからね(笑)。でもそのときは僕も泣きましたね。終わりかーっていう爽やかな涙ですけどね。

──逆に岡村さんは最近もけっこう泣かれていますが、それを見て矢部さんはどう感じていますか。

矢部 僕からしたら、それはもともと知ってた相方の姿なんですよ。

岡村 高校時代からバレてて。ラグビー部の試合観に行っても泣いてるやんけみたいな。実は泣き虫やねんな。

矢部 こういうお笑いの仕事に就いて、どんなときでも泣いたらあかんってお互いに思いながらやってたんで。最初は泣かなかったけど、ライン超えてあふれ出てきたんやなと。

──ラインを超えたのは、あの『27時間テレビ』(2011年『FNS27時間テレビ めちゃ²デジッてるッ! 笑顔になれなきゃテレビじゃないじゃ〜ん!!』)のときですよね。

岡村 10年ぐらい前ですね。

──当時のインタビューを見返すと、岡村さんは「あれはハメられた」とおっしゃっていましたね。

岡村 そうですね。あれはもう、笑顔で27時間やるんだっていう思いだったんですけど、あのVTR(※岡村の休養について、自分が芸能界に誘ったことに罪悪感も抱いたなどと語った矢部のインタビュー映像)を流したのは片岡飛鳥の確信犯。僕は笑顔で完走しますって言うてんのを、絶対に泣かしてやるっていう作りになってた。あれは思いもよらずブワッとこみ上げてきて、やばいと思って。

矢部 後半は、飛鳥さんと僕が“組んでた”のはどっかにありますよね。あんなインタビュー撮りながら趣旨はわかってましたから。

岡村 これ観せたら絶対泣くやろって飛鳥さん思ってたと思いますけど(笑)。

矢部 サッカー部時代をちょっと思い出させるみたいなね。あと、僕が結婚するときの発表とかね。でも僕も今、番組で感動VTRとか、子供や家族のことを流されたらわかんないですね(笑)。どこであふれるか、時間の問題じゃないですか。それは自分でも楽しみですね。

矢部と岡村、40周年に向けた「やりたいこと」


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てれびのスキマ

1978年生まれ。ライター。テレビっ子。著書に『タモリ学』(イースト・プレス)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)、『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』(文藝春秋)など。

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