コロナ禍と舞台表現のこれから──親密さをいかにしてつくるのか?
本作は全編を通して、“コロナ禍であること”を強く反映させたもの。出演者は舞台上でマスクを着用して踊り、“ソーシャルディスタンス”も意図的に取り入れられた。現実と完全に地つづきである。この作風や演出に関して、わたるさん自身かなり悩んでいたらしい。
「自分が手がける作品としては、これが自粛生活からの復帰第1作目だったので、私たちを取り巻く社会環境をどこまで舞台上に反映させることができるのか知りたかったというのがあります。僕自身として、舞台は“虚構”であり、現実とかけ離れているものであってほしいと思ってはいます。けれども現在、そうも言っていられない状況でもある。本作はワークショップを起点とした公演なので、集まっていただいた方々にもそれぞれの環境があります。だからこそ日常のように、舞台上でのマスク着用は必要だと決めました」
「それに稽古を進めていくうちに、シーンの中でマスクを外す演出を提案したら、少し空気が変わったのを察知しました。その時点で、“舞台上でマスクをする”ということが完全に定着していたわけです。なので舞台上という虚構世界であっても、マスク着用で踊るということが、皆さんの身体に染みついているのだと気がつきました。この大前提がお客さんに伝わるのであれば、マスク着用をはじめとする私たちの日常生活を、身体表現や演出の一部として取り入れるのはありなのではないかと思ったんです」と、わたるさん。
そんなわたるさんは本番直前に、「踊ることとは、起きることなのではないか」と口にした。「起きる」とは「目覚める」ことを指している。もちろん起き方は人それぞれだ。つまり、それは個性だとも言える。本公演は最初にエディット・ピアフの「水に流して」が流れた。原題の訳は、“私は決して後悔しない”。人間の見る“夢の多層世界”を描いたクリストファー・ノーラン監督による『インセプション』(2010年)において、主人公たちが“目覚めるとき”にこの楽曲が使用されていたことは広く知られているだろう。
この楽曲をどういった意図でわたるさんが使用したのかは確かめていない。しかし、いち参加者として、本ワークショップが“前を向く”、“目覚める機会”になったのは間違いない。それを舞台上で感じたのはもちろんのこと、客席からRチームを観ていて、周囲の観客と共にも感じた。
どのようにして「起きる」のか、いかにして「密な空間」ではなく「親密な空間」を生み出すのかは、それぞれの表現者たちによって異なるだろう。これがこの環境下において共同クリエーションを行う上で、とても重要なものだと感じる。つまりそれは、今まで以上に「個」を尊重し合うということなのではないだろうか。
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