環境に助けられて、ハマる場所に辿り着いた
お笑いはもちろん、子育ての経験を生かした教育番組や朝の情報番組、大好きな邦楽ロックの魅力を伝えるラジオ番組、トイレや掃除の知識を生かした情報バラエティ、すっかり大ファンになった日向坂46の番組まで、サトミツが携わる番組にはどれも自身の趣味や経験がひっそりと添えられている。「まわりの環境に助けられて、運よくハマる場所に行き着いた」と彼は言う。しかし、芸人/作家とそれぞれ立場は違えど“好きなものの魅力を伝える”という意味では、若林に映画のコメントを褒められた当時から彼のスタンスはずっと変わっていない。
「芸人は芸人、作家は作家」というように、かつては芸能界の表と裏を隔ててきた壁が確かにあった。サトミツの20年のキャリアはもしかすると、その壁を切り崩してきた歩みだったのかもしれない。「放送作家の仕事を、あと何年やれるかはわからないですけど」と前置きした上で、次の夢を語ってくれた。
「現在、Eテレで子供番組の脚本を書かせてもらっているのですが、いずれそこでご一緒しているみなさんと、舞台ができないかなと思っているんです。声優さんと人形操演さんのことを尊敬しているので、舞台の形でも何かできないかなと勝手に考えています。あとは毎年開催している『劇、佐藤満春』という作・演出している舞台を、地方でも開催したいですね」
そんな抱負があるのも、かつて「1ミリも求められていない」と感じていた若手時代の苦労があったからこそだ。
「10年ほど前に、ファミレスで苦しみながら、どこに出すわけでもなく書きつづけていた物語のプロットのかけらが、自由に頭を使っていい場所を見つけられたことでようやく形になっています。その喜びったらないですよ」
当時からつづけている“考える練習”が今、情報番組の構成にも役立っているのだと言う。そしてもちろん、ラジオへの愛も忘れていない。
「ラジオの現場に足を運び始めたことで、あらゆる方との出会いと愛とご縁で手にした番組がたくさんあります。構成でもDJでも、自分が関わっている番組はずっとつづいてほしいです。特に、邦楽ロックの音楽番組はずっとつづくといいなと思っています。好きなラジオで好きなものの話ができるのは、この上ない喜びですから」
無個性と言われた先に見えた、個性のようなもの
サトミツは最後に、まだメディアでは話したことがないという、こんな野望も明かしてくれた。
「実は、これから10年くらいかけて、掃除や洗剤開発をする会社を始めようと思っています。掃除の研究を始めてから、ご家庭で掃除に困っている方がたくさんいるという事実を目にして、きっと自分ができることがありそうだなと思うようになったんです。作家としても芸人としても、依頼があるうちはやらせてもらおうと思っていますが、いつまでオファーをもらえるかはわからないじゃないですか。でも掃除に関しては、自分で会社を作ってどこかの現場に掃除をしに行く……っていう将来像がバッチリ見えるんですよね」
彼の視線は、すでにそう遠くない未来を見据えている。
「今はもう『掃除業者をやりながら芸人、構成作家をやる』と言っても、違和感がない時代にもなりましたし。おもしろいことはおもしろいことで、別で作ればいいかなと。無個性だと言われた僕がいろいろなものを諦めた先に見えたのが、個性のような形をしたそれらしきもの。それを今後も大事にしたいと思います。お声がかかれば、お手伝いできることがあれば、どこでもどんな現場でも行かせていただきます、という精神ですね」
サトミツが語った次のキャリアは、これからも派手に注目を集めたり、大きな話題を呼んだりするような挑戦ではないかもしれない。でも、きっと彼の経験や知識を必要とする人にそっと寄り添うものになるはずだ。彼が芸人として、作家として、求められている場所に自然と辿り着いてきたように。