『カネコアヤノ TOUR 2020 “燦々”』密着ルポ【後編】ひかりのほうへ

2020.4.2
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取材・文・写真=橋本倫史 編集=森田真規


2019年9月にリリースした4thアルバム『燦々』の全国ツアーとして、2020年1月から3月の間に全国11カ所でライブを行う予定だったシンガーソングライターのカネコアヤノ。

新型コロナウイルス感染拡大の影響で金沢と沖縄での公演が延期になってしまったが、1月の東京から2月の札幌までの全公演、そして金沢での公演予定日に行われたインスタライブまでを間近で観たライターの橋本倫史が、カネコアヤノへのインタビューを交えたツアールポを寄稿。

後編では、バンド形態で行われた札幌でのライブと、ひとりきりの部屋で演奏されたインスタライブについてのルポをお届けします。

2020年2月23日(日)|北海道・札幌Sound lab mole

暖冬とはいえ、札幌の道路には雪が降り積もっていた。すっかり凍ってしまった道を、転ばないように、慎重に。ようやく辿り着いた酒場で、暖を取る。雪が見られてうれしいけど、ここで生活することになれば、「雪が見られてうれしい」とは言っていられなくなるだろう。暑い夏には北海道で、寒い冬には沖縄で暮らしたほうが、穏やかな暮らしになるだろう――シマほっけ焼きをツマミながら、そんなことを話していると、「私はでも、沖縄に4日いたらダメになる気がする」とカネコアヤノが呟いた。

「沖縄は大好きなんだけど、そこで暮らすのはまだ自分には早いかなって気がする。私の原動力は、生活のなかにある嫌なことと楽しいこと、その両方があって初めて音楽をやれてるから。沖縄の知り合いには『なんくるないさー』って精神の人が多くて、それは素晴らしいことだと思うけど、今の私が沖縄に暮らしたら、それに飲み込まれてしまいそうで。悔しいっていう気持ちも音楽をやる原動力にもなってるから、心穏やかにすべてを許せるようになったら、音楽をやめてしまいそうで怖いんです」

遡ること2週間、福岡公演を終えたあと、彼女は「私はそもそも怒りの人間だと思ってる」と語っていた。札幌Sound lab moleのステージに立ち、2曲目の「かみつきたい」を歌いながら、客席に鋭い目を向けるカネコアヤノの姿を見つめながら、その言葉を思い出した。

かみつきたい散らかしたい
君のそういう態度が嫌い
だけど今日は帰らなくちゃ
帰らなきゃいけない
かみつきたい散らかしたい
安いお酒でキスでもしたい
もうだれも裏切れない
裏切りはいけない

夜 街へでる
鼻歌をついつい歌ってしまう

カネコアヤノは、いつだってかみつきそうな気配をまとっている。

あれは名古屋公演のときのこと。アンコールの「アーケード」で、客席の盛り上がりは最高潮に達していた。興奮のあまり、ステージに向けて中指を立てた観客がいた。その姿を認めると、「アーケード」を歌いながら、彼女は獰猛な言葉を叫んだ。

「あのときは頭に血がのぼり過ぎて、パーンと言葉が出ちゃったんです」。彼女はそう振り返る。「最近はああいうのなかったんですけど、ああ、やっぱり自分はこういう人間だったんだなと思いました。自分が理不尽だと感じたり間違いだと思ったりしたことに対して、すぐ『なんで?!』ってなっちゃうんですよ。ずっと穏やかではいられないし、いたくないんだろうなとも思います。でも、あの日はさすがに、言った瞬間に『やっちまった!』と思いました」

大人になれば、分別のある振る舞いが求められる。自制心を持って行動するとき、その瞬間、自分の中に生まれた感情は閉じ込められる。「私はそれが嫌だ」とカネコアヤノは語る。

「怒りをなかったことにすると、たとえばチョウチョのきれいさもわかんなくなる気がするんです。感情がなくなってしまうのはすごく嫌だ。嫌なことがあったときに、『そういう人もいるから、怒っても仕方がない』っていつも諦めて、受け流す人にはなりたくない」

生活のなかで怒りを感じる瞬間を問うと、「小さなことでカリカリしちゃったり、満員電車に乗ってられなかったり、それぐらいのことだから、器が小さいのかもしれないですね」と彼女は笑う。

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札幌のラーメン屋でのひとコマ

東京に暮らしていると、恐怖を覚えることがある。

たとえば通勤ラッシュの時間であれば、歩く速度が均一であることが求められ、和を乱さぬ動作が求められる。駅のホームに立ち止まり、チョウチョに見惚れることは許されないだろう。

「東京だとみんな急いでるから、人とぶつかったりするじゃないですか。私は景色を見ながら歩いてるから、向こうからすれば『どこ見て歩いてんだよ!』ってなるんだろうけど、私からするとまっすぐ前だけを見てる人は突進してくるようで怖いなと思うんですよ。そこでめっちゃ腹が立つけど、私が怒っても何も解決しないから、最近は『こういう人もいるよね』って笑うようにしてるんです。でも、そこで生まれた怒りを全部忘れて許してしまうと、感情がなくなっちゃうから、どうしたらいいんだろう。沖縄にはまだ住めないと思ったのも、それに近いんですよ。執着心がなくなってしまいそうで、すごく怖かったんです。だから、嫌なこともたくさんあるけど、東京に住んでるのが今は合ってるんだろうなって、今こうやって話してて思いました。新宿や渋谷は苦手だけど、いろんな人がいるから刺激的ではありますよね」

北の大地で東京のことを話していると、どこか街を俯瞰しているような心地がする。

「今の段階では、帰る場所は東京でいいと思ってる」

歌を歌って生きていく。それは、自分が暮らす街で歌を作り、知らない街に出かけてそれを披露することの繰り返しでもある。札幌で7曲目に披露された「天使とスーパーカー」には、彼女の歌としては珍しく地名が登場することを思い出す。

目線は同じだから
新宿知らない人たちでも ベイベー
明日の辞書はないから
ドラマチックな人生 かっこいい

馬鹿みたいでもいんだぜ
花束隠しておくよ
夜になったら迎えにいくよ
スーパーカーで

今日の天使は君に決めた
知らない街の雪の日に
心に咲いた白い花

この日、札幌には最大瞬間風速30メートル近い風が吹き、アーケードの中にまで雪が吹き込んでいた。知らない街の雪の日に、歌を歌って、自宅のある東京に引き返す。ライブはその繰り返しだ。

「こうやってツアーに出て、いろんな人が来てくれて、街を見てごはんを食べてると、『こんな暮らし方もあったよね』って思うんですよ。ずっと観察できてうれしい、きらきらしてるものを。景色が違うとこんなに楽しいんだって思うし、これから先、自分は何をしたいんだろうって考えるんですよ。来年はどうなっていたいのかを考えながら、東京に帰りますね」

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札幌Sound lab moleライブ前のワンシーン

彼女が生まれ育ったのは、横浜の郊外にある町だ。新宿や渋谷まで出るには片道2時間近くかかったけれど、高校生のころは放課後になるとライブハウスに出かけた。19歳で音楽を始めたときは、まだ横浜の実家にいたけれど、「ここで作れる歌は書き尽くした」と思うに至り、上京する。彼女にとって、町を出ることは歌を作ることと重なっていた。今も、ずっと東京にいるだけでは歌を作れなくて、こうしてツアーに出る時間があるから曲が書けるのだけれど、今の段階では帰る場所は東京でいいと思っていると、カネコアヤノは語る。

「私は住むところで作る曲がすごく変わるんです。私、引っ越し好きぽくて、2年経ったら引っ越すんですよ。新しい家に行くと、生まれます、曲が。でも、身体に合わない家に住んじゃうと、曲ができなくなる。私は基本的にずーっと家にいるから、家が城なんですよ。こうして札幌に来て、そこで見たものを持ち帰って、思い返す場所はおうちだから。『ああいう人がいたな』とか、『あのときこんな話をしたな』とかって思い出すのはおうちだから、大事なんですよね。そこでは誰にも見られてないから、極端に言えば全裸でいてもいいし、何やってもいいわけじゃないですか。『美味しいものを食べな』とか歌ってるわりに、私は冷蔵庫の前に立ったままパンとか食べちゃうんですよ。でも、私はそれも美味しいと思ってるし、そうしてる時間がすごく好きなんです」

慌ただしい日々のなかで、冷蔵庫の前で簡単に食事を済ませてしまうことは、多くの人が身に覚えがあるだろう。でも、「そうしてる時間がすごく好き」だと彼女は語る。

「たぶん私、ひとりでいるのが好きなんですよ。ひとりでいるときの、誰にも見られてないから許されてる時間が、すごくいいんですよね。素っ裸みたいな感じがするし、『本来私ってこういう人間なんだけどね、ははは』って感じがするのかな。冷蔵庫から何か取って、冷蔵庫の前で食べちゃって、ポイっと捨ててそのまま寝る――それは『靴のかかとを踏んで歩くことが好き』みたいなのと同じで、ついやっちゃうんですよね。いつまでやるんだろうとも思うけど、無性に悲しいときってそういうことをしたくなるんですよ。そうやって無心に食べたりするとスイッチが切り替わるから、やっちゃいますね」

家にひとりでいるのが好きなのは、幼い日の影響もある。両親は共働きだったこともあり、小学校3年生のころから彼女はカギっ子として育った。夜になるまで両親は帰って来なかったから、ひとりで過ごす時間が身体になじんだ。

「あと、小さいときから私、泣いたら止まんなかったんですよ。『ごめんね』と『ありがとう』が言えなくて、怒ったり泣いたり、パーンってなっちゃうタイプだったんです。それがどんな感情なのか、自分でもわかんないけど、泣いちゃうんですよね。怒りとか、恥ずかしいとか、全部泣いちゃう人だったんです。最近になってようやく涙を我慢できるようになったけど、人に何か言われたとき、自分の意見があるんだけど、それを言う前に泣いちゃう。なんで泣くのって聞かれても、『自分だってわかんないんだよ!』って、『こっちだって知らんがな、お前にこの気持ちがわかるかよ!』って、泣きながら怒る子どもでした」

「大人だからって、怒ることも爆笑することもやめたくない」

こうして話を聞かせてもらっているうちに、彼女の語る「私はそもそも怒りの人間だと思ってる」という言葉の意味に、ようやく触れられたような気がした。改めて、「明け方」の歌詞を読み返してみる。

言わなくていいこと たくさんあるね
笑い飛ばしてくれよ くだらない夢の話
君の隠したい秘密をひとつ知るより
今より上手に笑えるようになりたいだけだ

派手なドレス ダイヤと穴開きGパン
好きな時に身に着けなよ 勝手だよ
私は怒る すぐに 忘れちゃいけない
すぐに怒る 悲しいからこそ

言わなくていいこと たくさんあるね
顔を上げてくれよ 慣れてきた毎日も
必ずいつか終わるのさ
それならもっとふざけていてよ
上手に笑えるようになんてなるな

不安なまま朝を迎えてしまった
だからギターを弾くしかないんだ
私は怒る すぐに 忘れちゃいけない
すぐに怒る 愛していたいと

ここで「怒る」という言葉のあとにつづく言葉が、すべてを表している。

「すぐに怒る」のあとに、「悲しいからこそ」と「愛していたいと」がつづく。悲しさと愛おしさが、「怒る」という言葉で結ばれている。

「さっきも少し話しましたけど、怒ることを忘れちゃうと、いろんな感情が薄れちゃう気がするんですよね。っていうか、そもそもなんで怒っちゃいけないんだろうっていう素朴な疑問がある。怒っていいじゃん、だって『間違ってる!』って思うんだから。それに、怒るってやっぱり、対象への愛がなければ生まれないじゃないですか。だから怒ることを忘れたくないし、全然別の感情だけど、がははって爆笑する気持ちも忘れたくない。大人だからって、それをやめたくない、私は。涙を我慢できるようになったことも、自分的には悲しいことだなと思ってますね」

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札幌Sound lab moleでのライブより

彼女の「怒り」は、感情が揺れ動く瞬間と結びついているのだろう。たとえば、札幌で19曲目に披露された「ぼくら花束みたいに寄り添って」に、こんな歌詞がある。

音楽が終わるのと同時に
晴れてた空が曇ってしまって
明るい部屋が翳りゆく

最近悲しいニュースが多いねと呟く君の横顔
失礼だけど可愛すぎて

感動している 些細なことで
間違ってないよと こちらへおいでと手招き
感動している君の眼の奥に今日も宇宙がある

この歌詞に触れたとき、この言葉は同じ時代を生きる誰かによって書かれたものだと強く感じた。

「最近悲しいニュースが多いね」と呟く「君」に「横顔が可愛すぎる」と伝える。それは失礼どころか、不謹慎のそしりを免れないだろう。世界にあふれる悲しい出来事を取り除くために、私たちは正しさについて考える必要がある。その正しさは、誰にも否定されるべきではないものだ。ただ、それと同じように、私たちが抱いた感情もまた、否定されるべきではないはずだ。カネコアヤノの歌に描かれるのは、社会的な怒りではなく、ごく個人的な、浮かんでは消えていくような「怒り」だ。

「私はやっぱり、どんなことがあっても、新しい洋服を買って、その服を着て夏を歩くことを想像してたいなと思うんです」。カネコアヤノは言葉を選びながらそう語る。「たとえば悲しいっていう感情も、ただ『私は悲しいんですよ』って言うんじゃなくて、ちゃんと輝きが見えるようになったらいいなと思ってる。やっぱり、悲しいことがあるから、いいことがあったとき倍楽しいわけじゃないですか。悲しいと思っているときにも、サモエドは笑ってるし、アフリカで象は走ってるし、そう思ったら大丈夫だよ、バーッとやろうや!――そういう気持ちを歌いたいし、悲しいもその一部だったらいいなと思ってる」

こうして話を聞かせてもらったのは、新千歳空港へと向かう高速バスの中だった。

バスが空港に到着すると、機材を運び出し、搭乗手続きを済ませる。慌ただしくお土産を購入して、保安検査場を通過してゆく。皆を見送ったあと、私はひとり、寿司屋に入る。サーモンを平らげていると、今から2日前、新千歳空港に到着してすぐ、皆で空港の寿司屋に入ったことを思い出す。

「寿司は時間との闘いだから。5分が勝負だから」。席に着くなり、カネコアヤノは皆にそう宣言した。

「私は容量が少ないから、ああいうとき嫌になるんですよね」。バスの中で彼女が語ってくれた言葉を反芻する。「胃が弱いからすぐに下すし、すぐにお腹いっぱいになっちゃう。でも、お寿司だったら3秒で『はい、次!』って食べられるから、満腹中枢が働くまでに早くしないと!ってなるんですよ。これはごはんのことだけに限らず、ほんと時間ないなって思いますね。だから、わがままにいられたらと思います」

私たちは皆、限られた時間を生きている。どんなにおいしいものも、永遠に食べていることはできないし、どんなに楽しい時間も永遠にはつづかず、やがて終わりが訪れる。この旅も、弾き語りとバンドセット、それぞれ一度ずつで終わってしまう。だからこそ、今の瞬間を忘れないように、わがままに、カネコアヤノは「怒る」のだろう。そんなことを考えながら寿司を食べているうちに、あっという間に満腹になってしまう。

2020年2月27日(木)|東京・インスタライブ

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橋本倫史

(はしもと・ともふみ)1982年東広島市生まれ。物書き。著書に『ドライブイン探訪』(筑摩書房)と『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』(本の雑誌社)。琉球新報にて「まちぐゎーひと巡り」(第4金曜掲載)、あまから手帖にて「家族のあじ」連載中。

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