日向坂46のドラマ『DASADA』から、「ダサい」の正体を考える

2020.3.2

写真提供:日本テレビ
文=早川大輝 編集=鈴木 梢


「ダサい」という言葉についてどんな印象を持つだろうか。人に対して抱くにしても、自分自身について思うにしても、あまりよい印象の言葉ではないだろう。

ライター早川大輝の連載「忘れたくない僕のテレビドラマ記録ノート」、今回は日向坂46メンバー総出演のドラマ『DASADA』(日本テレビ)について。同ドラマの中で描かれた、「ダサさ」とは一体なんなのだろうか。その正体を考える。

「ダサい」という言葉によって、他人をジャッジする人々

小学生のとき、埼玉県が他県の人たちから「ださいたま」と呼ばれていることを知った。子ども心に、「なんて理不尽なんだろう」と思ったことを今でも覚えている。

僕自身がそうであったからわかるが、出身が埼玉県というだけで「あ、ださいたま?」と言われつづけてきた埼玉県民は、もはやそのことに口を挟まない。「あ、そうそう」と返す。だからこそ、「ダサいからなんなんだ」という気持ちで育ってきた。

それが、いつからだろうか。まわりの人から「ダサい」と思われることを過剰に意識するようになったのは。ファッションをはじめ、考え方、行動まで、あらゆることが「ダサい」という言葉で他人からジャッジされてしまっているような気がする。

実際にまわりの人たちを見ていても、何か行動するときの基準が、「ダサいか」「ダサくないか」となっている人をよく見る。「自分がどう思うか」をダサさの基準に置いているのなら健全だと思う。ただ、「まわりからどう思われるか」をダサさの基準に置いているのなら、それはどうなんだろう。その姿勢自体をダサいと言う人もいると思うけど、そんな話をしたいのではない。

今の世の中は、人のことを「ダサい」という言葉でジャッジしすぎじゃないか、と思う。

「ダサい」をめぐる物語、日向坂46ドラマ『DASADA』

現在放送されている、日向坂46メンバーがメインキャストを務めるドラマ『DASADA』は、「ダサいとは何か」を描いている。ある日、ストーリーの中心人物である佐田ゆりあ(小坂菜緒)が多額の借金を背負ってしまい、その返済を目指してファッションブランド「DASADA」を立ち上げるというストーリーだ。

小坂菜緒演じる佐田ゆりあ(写真提供:日本テレビ)

舞台となる私立マロニエ女学院の生徒たちは、何かや誰かに対してしきりに「ダサい」と発し、ダサいことを避けようとする。しかし、ダサいことを嫌っているはずの彼女たちも、それぞれどこかダサい部分を持っている。

たとえば佐田ゆりあは、顔がかわいいもののダサく、ブランド名である「DASADA」も「ダサい+佐田」という意味の悪口が元ネタ。雑誌の読者モデルを務め、スクールカーストのトップに君臨する高頭せれな(加藤史帆)は、撮影中は顔がこわばってしまいモデルとしてはパッとしない存在だ。

加藤史帆演じる高頭せれな(写真提供:日本テレビ)

その中でも特に印象的なのが、「DASADA」のデザイナーを務める篠原沙織(渡邉美穂)の存在。進路希望調査に「本物」と書き、「本物にしか興味がない」と切り捨てる彼女は、ことあるごとに心酔するアイドル『FACTORY』のおちょこ(松田好花)の言葉を引用してしゃべる。しかし、おちょこの発言自体が有名ブランドデザイナーの言葉の引用なので、沙織に関しては「引用の引用」というマトリョーシカ構造だ。本物であることを求めるのに他者の引用ばかりしている姿は、果たして「本物」であるのかどうか、そのことに沙織は無自覚だ。

渡邉美穂演じる篠原沙織(写真提供:日本テレビ)

「ダサい」とは一体なんなのか

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