あるのは、血のつながった者同士ゆえの避け難き因果――映画『ひとよ』
一夜(ひとよ)にして運命が激変してしまった家族の物語、映画『ひとよ』。家族が自由に生きていくため自らの夫に手をかけた母親と、自由な人生を手にしたはずの3人の子どもたち。
“家族の絆”は、はたしてどんな形でも尊いと言えるのだろうか。映画評論家の轟夕起夫さんが、俳優陣の演技も含め丁寧に本作を解説する。
※本記事は、2019年10月25日に発売された『クイック・ジャパン』vol.146掲載のコラムを転載したものです。
スリリングな一夜からはじまる家族の愛憎劇
本作のフライヤーにはこう記してある。
「あの夜、母は父を、殺した。子どもたちの幸せと信じて――15年後、母が、帰って来た。」
これで今年、劇場公開作は『麻雀放浪記2020』『凪待ち』に続いて3本目を数える白石和彌監督の『ひとよ』。そのタイトルの意味するところは「One night」、一夜の出来事を指す。
小さなタクシー会社を営んでいる“稲村家”の母・こはるが、DV夫に手を掛けたのだ。土砂降りの雨の中、自ら運転するタクシーで事務所兼自宅まで乗せ、下車した直後、急バックをしてドスンと一挙に撥ねて!
彼女は自首する前、3人の子どもに向かって力強く言う。「もう誰もあんたたちを殴ったりしない。これからは好きなように暮らせる。自由に生きていける。なににだってなれる。だからお母さん、今、すごく誇らしいんだ!」
なんともガツンと来る電撃的展開だが、ここまではほんの序の口、イントロダクションに過ぎない。それでもどんな感触の映画か、少しは伝わったのではないか。
第一、この「こはる」という母親が明らかに、ぶっ飛んだ人だとわかったと思う。演じているのは田中裕子。日本屈指のアクトレスによって血肉を与えられた“グレートマザー”の存在が、映画の根幹をスリリングにする。
つまり、彼女は大きな愛の力で子どもたちを慈しむ一方、下手をすれば過剰な思いで押さえつけ、飲み込み、破滅させてしまうモンスター的な側面も有しているのだ。
そんな母が出所し、家へと戻ってきて、3兄妹の止まっていた時間が動き出す。ここに鈴木亮平、佐藤健、そして松岡茉優といった(これまた最高の)アクター陣がキャスティングされており、大先達の田中裕子を加えての“セッション”が素晴らしい!
そこから浮かび上がってくるのは、3兄妹の今。確かに虐待の日々からは逃れられた。だが、“母親の罪”によって好きなように暮らせなどしなかったし、自由にも生きられず、なににだってなれるわけでもなかった。一夜で、人生がすっかり狂っちまった三人三様の愛憎のドラマが開示され、痛々しくも胸を打つ。
家族の絆とやらを盲信するなかれ。あるのは、血のつながった者同士ゆえの避け難き因果。それが再び、忘れ得ぬ“ひとよ”を招来させてゆくさまをこの映画は描き上げてみせる。
ベースとなったのは、「劇団KAKUTA」の同名舞台。そのキャッチコピーを借りて本作を端的に表すならば、「ひとは、ひとよでかたちをかえる。」――これである。