新生King & Princeについて──アイドルとは【&】のことである。

2023.6.18

2人だからできること【&】2人にしかできないこと

「シンデレラガール」で始まり「シンデレラガール2023」で終わる物語。その最終盤の惜別三部作。

では、2人体制となったKing & Princeは、どんな出発を選んだのか。

King & Prince「なにもの」はSixTONES「こっから」に連なる、ドラマ『だが、情熱はある』(日本テレビ)の主題歌だ。King & Princeの髙橋海人とSixTONESの森本慎太郎が共演。オードリーの若林正恭と南海キャンディーズの山里亮太が特別ユニット「たりないふたり」を組むまでのストーリー。SixTONES楽曲からKing & Prince楽曲へとバトンが渡されていく構成の妙は、相方が別にいる漫才師同士がコンビを組むドラマの設定とリンクしており、破格の重ね合わせだ。

だが、こうした背景をあえて考えずに新生King & Princeの生まれたての曲として捉えると、永瀬廉と髙橋海人のコンビネーションに的が絞られている様がすこぶるビビッドだ。

二分割された画面が合流する模様を、晴れやかな集いの描写(コロナ明けの、健全な喧騒の復活がイメージされる)も交えながら紡いでいくMVの世界観は秀逸。永瀬はスッキリ早起き、髙橋は二度寝で寝坊。それぞれのライフスタイル、サイクル、スピードはまるで違うが、異なる場所・時間を巡り歩くことで、やがて夕暮れに邂逅する。映像を眺めるだけでも、コンセプトの打ち出しは明快で、日常から多幸感をすくい取る様に、誰もが癒やされる。

King & Prince「なにもの」YouTube Edit

この曲には【キミ】も【ボク】もいない。

<なにものでもなくたって夢を描こう>

最初のフレーズに主語はない。対象もない。漠然とした呼びかけだけが、こだましている。

自分をやんわり鼓舞しているともいえるし、誰かを励ましているとも捉えられる。だが、はっきりしたことはなにもない。たぶん、自分の気分をアゲることも、大切な人のそばで並走することも、同じことなのだ。己と他人に境目がない。あなたは私、私はあなた。つまりは、どちらも世界だ。

誰かに優しくするように、自分にも柔らかく接する。そんな平常心が波打っている。

永瀬廉のカジュアルでキュートなダンス。髙橋海人のエリアを少しだけ拡張するようなささやかなステップ。両者の溶け合うようなかけ合いが、対立軸や役割分担を無効化する。ただ、共にいる。

<真っ白なキャンバスに足してゆけば>

国民的グループのメンバーである2人が、自分たちはなにものでもない可能性がある、と歌い、真っ白なキャンバスなんだ、これから色を塗っていけるかもしれない、と、力こぶを感じさせない、聖なる決意表明をしている。平易でフラットな趣。彼らのいる場所から地つづきで、私たちの【これから】にリンクしているように感じられる。そう、誰もが真っ白。真っ白でつながっている。

<ごちゃごちゃだった絵もいつの日か>

主観を据えないということは、つまりこの曲は一種の叙事詩だ。誰か特定の人の物語ではなく、この星に生きるありとあらゆるホモサピエンスの叙事。小さな伝説を紡ぐように。にこやかに。永瀬と髙橋は歌う。ことさらなハーモニーで盛り上げたりはしない。永瀬のコメントによれば、原曲から音を低くし、音数を減らしたのだという。大げさなエモーションに背を向けた、低空飛行の叙事詩。まっさらで、ひたむきな、生命の肯定。

<きっと壮大な風景に変わっていく>

ありきたりのサクセスストーリーではなく、物事を俯瞰からながめているような、冷静な記述。能天気にはしゃぐわけでもなく、下を向きっぱなしでもない。だから。遠くから見れば、友達の何気ない再会も、ひとつの奇蹟になる。

MVのラスト。互いを認識した2人は、手を挙げて、挨拶する。声をかけるのはこれからだ。話を始めるのはこれからだ。彼らは、まだ逢っただけに過ぎない。すべて、これからだ。

髙橋によれば、この曲には、King & Princeらしさもあり、自分たちらしさもあるという。この2つが両立している。継続と再出発が、誰のものでもない目線から紡がれているからだろう。

彼らはまっさらであろうとしているし、実際、まっさらだ。たりないものは、なにもない。多過ぎることも、まるでない。そして、アイドルとしての新機軸が、そこにはあった。

【キミ】と【ボク】。そのストーリーこそ、アイドルが紡ぎ出すべき最良のもの。私は今もそう想っている。新しいKing & Princeは、そこを基点にアングルを変え、ビジョンを一歩進めた。ほんのひとコマかもしれないが、これは新発明であり新発見である。アイドルはラブソングばかりを歌っているわけではない。「なにもの」もラブソングではない。しかし、それもまた愛なのだ。愛はラブソングではないものもラブソングにしてしまう。

アイドルとは何か。

「なにもの」を繰り返して聴いていると、アイドルとは【&】、つまり、接続そのもの、関係性そのものなのではないかと思わせられる。

永瀬廉&髙橋海人の【&】。
you & meの【&】。
そして、King & Princeの【&】。

King & Princeの公式ロゴが、密やかに変わった。書体は5人時代と同じ。だが【&】の上の飾りが王冠からティアラになった。

つまり、王冠&ティアラの【&】。
3&2の【&】。
これまで&これからの【&】。

つなぐ現象としての【&】。
【キミ】と【ボク】をつないでくれる【&】。

家&外の【&】。
午前&午後の【&】。
夜&朝の【&】。

つないでいく。つながっていく。
いつの間にか。気がつけば。

以心伝心。壁をすりぬける【&】。
壁なんて最初からないよと呟く【&】。

5人が2人になった。だけどそれは、デュオではないし、ユニットでもない。やっぱりKing & Princeというグループだ。2人だからできることがある。2人にしかできないことがある。それを気張らず、当たり前にやる。

2という数字は【&】だ。

6月21日、一年で一番日の長い夏至に、シングル『なにもの』はリリースされる。4つの盤があり、それぞれカップリング曲は違う。サンプルトラックを聴く限り、「Magic of Love」には【キミ】や【ボクら】が、「Kiss & Kill」には【my lover】が、「アシタノカタチ」には【ボクら】が、「名もなきエキストラ」には【キミ】が、髙橋海人が作詞作曲を担当した「話をしようよ」には【ボクら】が。

「なにもの」にはなかった主語が含まれている。それらはラブソングの可能性が高い。だが、きっと「なにもの」を通過したあとの新しいラブソングだろう。

数々の候補曲の中から、永瀬廉と髙橋海人は「なにもの」をシングルに選んだ。そのことに新展開を感じるし、幸はもうそこにある。

【&】としてのアイドル、King & Prince。今度は、なにをつないでくれるだろう。
なにかとなにかがつながって、それは初めて愛になる。

主語ではなく、【&】から始めよう。

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相田冬二

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相田冬二

(あいだ・とうじ)ライター、ノベライザー、映画批評家。2020年4月30日、Zoomトークイベント『相田冬二、映画×俳優を語る。』をスタート。国内の稀有な演じ手を毎回ひとりずつ取り上げ、縦横無尽に語っている。ジャズ的な即興による言葉のセッションは6時間以上に及ぶことも。2020年10月、著作『舞台上..

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