乃木坂46・齋藤飛鳥は既存のアイドル像からの“逃走=闘争”を図った|齋藤飛鳥論 #1 アンダーから選抜へ(2011~2016)

2023.5.18
乃木坂46・齋藤飛鳥は既存のアイドル像からの“逃走=闘争”を図った|齋藤飛鳥論 #1アンダーから選抜へ(2011~2016)

文=私はこーへ 編集=山本大樹


乃木坂46のエースとして11年にわたってグループを支えつづけ、2022年11月に卒業を発表した齋藤飛鳥。彼女の卒業コンサートが、2023年5月17日から東京ドームで2日間開催される。

国民的アイドルグループの中心人物として、またモデルや俳優として活躍するタレントとして、彼女は常に人々を魅了しつづけた。しかし、そのキャラクターは掴みどころがなく、場面によってさまざまな顔を見せる。結局のところ、齋藤飛鳥は何がすごかったのか? 

波瀾万丈のその歩みから、現代における「乃木坂46」というグループの本質と役割を紐解いていく。

#1 乃木坂46齋藤飛鳥は既存のアイドル像からの“逃走=闘争”を図った|アンダーから選抜へ(2011~2016)
#2 “めんどくさい性格”からの成熟と、乃木坂46の大黒柱になるまで|センターからエースへ(2017~2020)
#3 齋藤飛鳥はどのようなアイドルであったか?|#3 エースとして、そして卒業へ(2021~2023)

私はこーへ
1995年生まれ。ポップカルチャーを過激に読み解くツイッタラー。


齋藤飛鳥はいかにして今の地位を獲得したのか? 

齋藤飛鳥が卒業してもう数カ月が経つ。2022年11月4日の公式ブログで、11年もの歳月を共に過ごした乃木坂46から卒業することを発表し、卒業シングルとなる31st『ここにはないもの』では、通算5度目となる表題曲のセンターを務め上げた。

2022年の大晦日に行われた紅白歌合戦では、初めてセンターに抜擢された曲として思い出深い15th「裸足でSummer」を披露し、これを最後のパフォーマンスとして乃木坂46での活動に幕を閉じた。卒業発表から卒業するまでの期間は実質2カ月とほかのメンバーと比べても短く、あっという間にその期間は過ぎ去ってしまった。

乃木坂46と米ドラマ『ユーフォリア』が示す“傷つきやすさ”による連帯の手触り
乃木坂46 31stシングル『ここにはないもの』(2022年)

2023年を迎え、齋藤はすでに卒業しているが、卒業コンサートは未だ行われていなかった。その待望の卒業コンサートが、ついに2023年5月17日から東京ドームで2日間開催されることとなった。最後の1期生となったキャプテンの秋元真夏は、2023年2月26日『乃木坂46 11th YEAR BIRTHDAY LIVE』の最終日に卒業コンサートを開催したため、実質的に齋藤が1期生として最後に卒業コンサートを開催するメンバーとなる。

齋藤は13歳で乃木坂46に1期生最年少メンバーとして加入してから、アイドル一、いや芸能界一“小顔”なことで広く知られるようになった。在籍中には『CUTiE』(宝島社)創刊以来初の専属モデルに選ばれ、現在も『sweet』(宝島社)の専属モデルを務めている。そのほか、映画やCM、ドラマなど、その活躍は目覚ましい。最年少メンバーとして乃木坂46に育てられ、最終的にはエースとして乃木坂46を率いていく。グループが成長し成熟していくにつれて、齋藤も成長し成熟していく──。あまりにでき過ぎなほどの物語をファンは目撃してきた。

乃木坂46・齋藤飛鳥は既存のアイドル像からの“逃走=闘争”を図った|齋藤飛鳥論 #1アンダーから選抜へ(2011~2016)
『CUTiE』2015年2月号表紙

乃木坂46は結成12年目を迎えた今も名実共にトップアイドルとしての地位を維持しつづけており、乃木坂46の今までの活動の集大成として開催された『乃木坂46 10th YEAR BIRTHDAY LIVE』は日産スタジアムで2日間開催され、計14万人を動員した。このライブにおいて齋藤がセンターを任された楽曲数は、2日間全81曲中で26曲にも及んだ。

この曲数は、次にセンターを任された曲数が多い山下美月が8曲であったことからもわかるとおり、圧倒的。齋藤が白石麻衣・西野七瀬らが卒業したあと、エースとして乃木坂46を引っ張ってきたことは間違いない。

本論では卒業コンサートを前に、そんな齋藤の何がすごいのか? いかにして今の地位を獲得したのか?を活動初期から卒業までの功績や歩んできた道筋について振り返り、その上でその魅力を具体的に分析していく。齋藤が乃木坂46として歩んできた道のりを、アンダー(選抜落ち)→選抜(そして初センター)→エースとして3段階に大きく分け、できるだけ時系列順に紹介しながら、そのターニングポイントがどのような“齋藤飛鳥性”によってもたらされたのかを説明していく。

結論を先に言うのであれば、「齋藤飛鳥は既存のアイドル像からの“逃走 = 闘争”を図るアイドルであった」。今もまだ偶像という言葉で“アイドル”が言い表されることは多い。そんななかで、最前線に立ちながらも常に飄々と自然に振る舞うことで、その既存のアイドル像を押し広げた齋藤が、日本のアイドル史に燦然と輝くアイドルの内のひとりであることに疑いの余地はない。

齋藤の強みは、徹底的に自己を客観視できること

今となっては誰もが乃木坂46のエースであったと認める齋藤だが、加入してから数年間は、けっして順風満帆なものではなかった。結成してから4年ほどは、その多くをアンダーメンバーとして過ごし、それ以前に選抜として選ばれた回数は3回(1st、4th、7th)で、いずれも最後列だった。

この期間、齋藤はアイドルとしてどのように振る舞えばいいのか、常に悩んでいた。冠番組である『乃木坂って、どこ?』(テレビ東京)の自己紹介では、ドナルドダックのモノマネを披露するなど、グループ最年少という肩書を活かした妹キャラとして明るく振る舞っていた。2012〜2014年あたりの公式ブログでもその傾向は見られ、自身のことを「あしゅりん」と呼び、今では考えられない、甘い言葉遣いを連発していた。ファンはこの時期の齋藤のことを、「好きな飲み物はいちごミルク」と発言していたことから「いちごミルク時代」と呼んでいる。

このころを齋藤自身は「頑張って自分なりのアイドル像をまっとうしようとしていました」と振り返っており、男兄弟の中で育ったために男勝りな部分があったが、自分の中での理想のアイドル像を表現するために、そんな本来の自分を隠し「プリプリしていた」と述べている(「乃木坂46・齋藤飛鳥、グループ10年目の今「何から何まで初期とは違う」/クラインクイン!!)。

そのなかで、選抜メンバーに選ばれない日々がつづき、挫折を経験したことで、理想とするアイドル像を貫くのは難しいと判断したのだった。

齋藤は「素の部分からかわいらしいメンバーを見るうちに『私が作ったものをぶつけてもかなわない』と思い始めるようになり、だんだんと自分も変わっていきました」と同インタビューで述べているとおり、ほかのメンバーとの差別化をどのように図るかを考え、活路を見出そうとした。そして「アイドルとしてマイナスに働く」という理由から隠していた、自身の暗めでひねくれた性格こそ、自分にしかない強みだと気づいた。

そうやって、ある種の違ったかたちの、素の自分を出し始めたのだった。その結果、バラエティなどで最年少メンバーである齋藤が年上のメンバーに対して正直で過激な発言をすることを「おもしろい」と受け入れるファンが現れ始めた。そんな苦悩の中で生まれ出たのが、毒舌キャラだった。

その後、冠番組である『NOGIBINGO!』(日本テレビ)や『のぎ天』(Rakuten TV)で、その歯に衣着せぬ発言が注目され始め、2014年12月12日に行われたクリスマスライブのMCでは、キュンキュンフレーズを言うコーナーで、ファンに対して「どうせお前らクリスマス過ごす相手いねぇだろ!!」とドS発言をして会場を沸かせた。この一件は、2017年のスニッカーズ「毒舌アイドル」篇のCMでも毒舌ゼリフを披露するほど、齋藤の代表作となった。

こうして齋藤は“いちごみるくが好きなあしゅりん”と同一人物とは思えないほどの変貌ぶりを見せながら、乃木坂46内で自分だけの強みを獲得したのだった。ここで大事なのは、齋藤が理想とする“明るくかわいいアイドル”として振る舞っていたときも、毒舌を披露していたときにも、共通した齊藤なりの哲学があるということだ。

どの時期も、齋藤は俯瞰して自身を見つめ、“乃木坂46の齋藤飛鳥”としていかに振る舞うかを考えている。そして、闘い方が間違っていたと気づくと、すぐに修正し素に近い自分で挑むことを選んだ。ファンの要望に応えるために作り上げたキャラクターよりも、かわいく振舞うことができない素の自分を見せて、その正直さが伝わること。それこそが、理想的なファンとの接し方であると悟ったのだ。このように、齋藤の強みは徹底的に自己を客観視する、その姿勢にある。


自信を獲得したアンダーライブ

齋藤がアイドルとしてどう振舞うかにもがき苦しんでいた2014年当時、乃木坂46全体を見ると、生駒里奈以外にも西野七瀬や白石麻衣がエースとして成長していた。また、次世代メンバーとして生田絵梨花、新加入した2期生からは堀未央奈がセンターを経験し、選抜メンバーの活動は徐々に軌道に乗り始め、公式ライバルであるAKB48の背中が見え始めていた。

しかし、“劇場を持たないアイドル”としてデビューしたために、ライブの場数が圧倒的に少なく、ライブの経験値を重ねる機会はほかのアイドルグループと比べて与えられてこなかった。それも相まって、メディアへの出演も限られる選抜外のメンバーの活動は極端に少なく、“歌って踊る”というアイドル本来の活動すらもままならない状態だった。

そんななか、8th『気付いたら片想い』(2014年4月2日発売)全国握手会後の幕張メッセで、初めて選抜外のメンバーのみで行う“アンダーライブ”が開催された。2014年5月、渋谷TSUTAYA O-EASTで行われた2回目のアンダーライブで、センターを務めた星野みなみが「じゃあ目標は高く、武道館で!」と宣言してから、勢いは加速した。アンダーライブはライブ会場特有の距離の近さや、短期間で多くの公演を行う過酷さからファンとの一体感が生まれ、全体の大規模なライブにも負けない熱量を生んだ。この期間を通して、齋藤は伊藤万理華、井上小百合らと共にパフォーマンス面で頭角を現し始める。

8thシングル『気づいたら片想い』(2014)

特に、『乃木坂46 アンダーライブ セカンド・シーズン』は、2週間で18公演を行い、ファンの間でいまだに“伝説の“という修飾語がつくほどだ。生駒里奈はアンダーライブを観て、

やっぱりこのライブは熱い。パフォーマンスも気持ちも熱い。いつも私も負けられないって闘争心燃やしてくれるそんな大好きなライブです!!

楽しかったクリスマ ス〜(「・ω・)「| 乃木坂46 生駒里奈 公式ブログ

との感想をブログで綴っていた。

このように、この時期のアンダーライブは選抜メンバーがアンダーのパフォーマンスとその熱量について言及していたことからもわかるように、乃木坂46の人気とパフォーマンス意識の底上げに大きく貢献していた。アンダーライブは選抜仕事の代わりに与えられた活動としてスタートしたが、逆に選抜メンバーになると経験することのできない、パフォーマンスを磨く場として機能している。この期間を経て、乃木坂46のアンダーメンバーは、選抜とは違ったかたちのライブアイドルとしての意味を持つようになったのだ。

齋藤は今でも「私は全部が普通で、誰よりもこれができるという分野が見つかってないんです。自信を持てる人の気持ちがわからない」といった趣旨の話をよくするが、この時期を振り返って「アンダーライブセカンドシーズンで公演を重ねていくうちに、「自信のなさを見せるのはよくないな」と思って、堂々としているように振る舞うことができるようになったんです」と語っている(「乃木坂46・伊藤万理華&齋藤飛鳥インタビュー番外編「アンダーライブで培った〝自信〟を今、選抜で」」/ENTAME next)。

インタビューや番組ではネガティブさをまだまだ見せていたが、ことライブでのパフォーマンスに関しては、堂々と振る舞い、自信のなさを見せることは極めて少なくなったように思う。それが、齋藤がこのとき獲得したプロとしての矜持であった。

このように、齋藤はフロントメンバーとして1年の間に約30公演ものアンダーライブを経験したことで、選抜メンバーとして活躍するために必要な心構えを身につけた。のちに23th「Sing Out!」や31st「ここにはないもの」で、センターとしてソロダンスを任されることとなるパフォーマンスに対する自信も、このときに身につけたのだった。

“外側”から発見された大きな武器

2014年末ごろからアンダーライブで自信をつけた齋藤だったが、握手会の完売数という指標から見ると、この時点では3分の1ほども完売はしておらず、乃木坂46全体の中で人気メンバーとはいえない状況であった。しかし、この直後から怒涛の快進撃を見せ、15th『裸足でSummer』(2016年7月27日発売)で初のセンターに大抜擢された。同年11月には初のソロ写真集『齋藤飛鳥ファースト写真集 潮騒』(幻冬舎)が発売され、20万部を超えるヒットを記録し、乃木坂46の次世代エースとして最前線に躍り出ている。

15thシングル『裸足でSummer』(2016)
『齋藤飛鳥ファースト写真集 潮騒』(幻冬舎)表紙

では、2015年に齋藤の身にいったい何が起こったのだろうか。この期間に、齋藤のキャリアにとって大きな転機となった出来事がふたつある。ひとつは、2015年1月に女性ファッション誌『CUTiE』の表紙を単独で飾り、翌2月から同誌初の専属モデルとなったこと。もうひとつは、世界的ファッションブランド・ANNA SUI 2015年秋冬のアジア圏ビジュアルモデルに抜擢されたことだ。

今となっては、乃木坂46はモデルとしても活躍するメンバーが多数在籍するアイドルグループという地位を確立したが、当時の齋藤の『CUTiE』での専属モデルは白石麻衣に次いでふたり目であった。エース・白石の『LARME』専属モデル決定が2012年であることや、齋藤が当時アンダーメンバーであったことから考えても異例のことだ。

それとほぼ同時期に、齋藤と北野日奈子、斉藤優里の3人が、ANNA SUIモデルに選ばれている。日本人としては、女優の杏(2006年)以来の2組目で、当時ファンの内だけでなく外でも大きな話題となった。その後2015年には西野七瀬が『non-no』(集英社)、橋本奈々未と松村沙友理が『CanCam』(小学館)で専属モデルとして立てつづけに起用されるなど、一気に「乃木坂46=モデルもできるアイドル」のイメージが一般に広く認知されるようになる。

これはアイドル界において現在に至るまで乃木坂の個性を決定づけているイメージだ。齋藤のモデル活動としてのグループ全体への貢献は、自身の地位向上にも強く働いた。悩み抜いた末にアイドルとしての振る舞い方とパフォーマンスに自信をつけたあと、さらに大きな武器を乃木坂46の外側から発見してもらったのだ。

この時期の破竹の勢いから見えることは、齋藤は人の思考を喚起させる、ということである。それはつまり、プロデューサー側が役を与えたり、思わず当て書きをしたくなるような思考経験を与える人物であるということだ。

ファッションデザイナーのアナ・スイ氏は、「選抜メンバーであるかないかは一切考慮」せずに、ブランドイメージに合った「無垢なガール感があり、ひとりの中にさまざまなギャップ感があるように見えた」メンバーを選考した、と答えている(「乃木坂46齋藤飛鳥らANNA SUIモデルに異例の抜てき 日本人は杏以来9年ぶり」/ORICON NEWS)。アナ・スイ氏は詳しく彼女のパーソナリティを把握していたわけではないだろう。それでも、理想のアイドルとありのままの自分の間で葛藤していたこの時期の齋藤のギャップを感じていたのかもしれない。

CUTiEやANNA SUIが齋藤のモデルとしての素質を見出したように、その分野で頭角を現わす人物は、その創作物の目指すビジョンと合致することで見出され、そしてその期待に応えてみせることで、時の運を掴む。

齋藤はモデル抜擢の直後の11th『命は美しい』(2015年3月18日)で3度目の選抜メンバーに選ばれて以降、卒業まで21作連続で選抜メンバーとして活動することとなる。それは、いかに齋藤が下積みを経た上で、満を持して選抜メンバーに選ばれ、そこから大きく飛躍したかを物語っている。

#2 “めんどくさい性格”からの成熟と、乃木坂46の大黒柱になるまで|センターからエースへ(2017~2020)につづく


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