ワンカット映画には2種類ある――全編ガチ・ワンカットと疑似ワンカット
ワンカット映画には2種類ある。本当にひとつのショットで成り立っている全編ガチ・ワンカット映画と、巧妙なカットつなぎでそう見せかけた疑似ワンカット映画だ。
前者のガチ・ワンカット映画には、ドイツの『ヴィクトリア』(2015年)がある。夜明け前のベルリンの街で、地元の若者たちと意気投合したスペイン人の女の子が銀行強盗に巻き込まれていくという物語。ストーリー自体は新味に乏しい犯罪劇だが、ワンカット映画の必然的特性であるリアルタイム進行が効果的で、途中のダレ場も含め、登場人物の人生がわずか140分で激変する過程が生々しくエモーショナルに映像化されていた。ノルウェー映画『ウトヤ島、7月22日』(2018年)は、実際に起こった銃乱射事件における“72分間”の凶行の悪夢を観客に疑似体験させるガチ・ワンカット映画だった。
ロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督がサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館を1日借り切って撮り上げた『エルミタージュ幻想』(2002年)は、リアルタイムの時間感覚を重んじた上記2作品とはまったくテイストが違う。なぜか突然、美術館に迷い込んだ主人公=観客は、華麗な舞踏会や演劇、オーケストラの演奏などが行われている館内を漂流するうちに、歴史上の人物と遭遇し、あたかもロシアの栄光と没落を目の当たりにするかのような幻視体験に引き込まれていく。
いわばワンカットのタイムトラベル・ファンタジーだ。ギリシャのテオ・アンゲロプロス、ハンガリーのタル・ベーラらが駆使した特異な長回しショットにも、そこにある現実が緩やかに歪み、時空を超えていくような底知れない魔術性がみなぎっている。
一方、疑似ワンカット映画といえばアルフレッド・ヒッチコックの『ロープ』(1948年)が真っ先に思い浮かぶが、アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督作品『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2014年)の革新性も圧巻だった。スランプ中の元ヒーロー俳優の苦悩を描く内省的なストーリーを、迷路のような劇場のバックステージをめまぐるしく行き来しながらビジュアル化。やがて現実と妄想の垣根が溶け出してもうひとりの自分=バードマンが画面に現れ、怒濤のバトル・シーンまで炸裂する視覚効果は、ワンカット映画の映像表現を新たなレベルに押し上げた。