存在しないことにされている“アロマンティック/アセクシュアル”の作品を読み解く
他人に対して恋愛感情を抱いたり、性的な魅力を感じない人を指す「アロマンティック/アセクシュアル」。近年、こういった呼称とともに、様々なセクシュアリティを持つ登場人物が描かれた作品が増えてきている。
アナキスト/フェミニストの高島鈴が「愛」と呼ばれるものを解体し、万人に開かれた革命を目指すコンテンツ批評「世界転覆望遠鏡」。今回は、この「アロマンティック/アセクシュアル」を題材にした作品をいくつか読み解く。
※この記事は『クイック・ジャパン』vol.159に掲載のコラムを転載したものです。
愛は革命を起こせない
いつから「愛は世界を救う」などという嘘がまかり通るようになったのか、その答えは悲しいかな知らないのだが、ともかく私は愛は革命を起こさないと信じている。いや、正しくはそのようにして起きた変革を革命と呼びたくないと考えている。なにかとなにかの間に生まれる情によって生じた変革は、必ずやそのなにかとなにかの間に入れない者たちを生み出し、閉鎖的な輪として閉ざされるだろう。万人に開かれていないならば革命ではない。よって愛は革命を起こせない。
しかしながらいまだ「愛」なるものは強い、ゆえにわれら(あえてわれらと言わせてもらう、この闘争に巻き込みうるまだ見ぬ隣人に向けて)は愛を分節せねばならない。愛と呼ばれるものの内側を腑分けし、一つひとつの事象として認識し直すのである。あるいはわれら(あえて、以下同)は愛ではないものの価値を見出さねばならない。
大文字の愛によって排除/隠蔽されてきた存在/関係性を取り上げ、それらと愛概念との間になんの優劣もないことを確認せねばならない。よりわかりやすく言うなら、われら(以下同)は明日の天気を心配することとなにかを愛することの間に上下関係がないと断言する必要がある。
※愛の権威に対する抵抗については、筆者が別名義で執筆した「クィアな死者に会いに行く」(『療法としての歴史<知> いまを診る』収録、森話社)も参照
本稿は筆者がアナーカ・フェミニストとして、そしてオタク的感性を備えたコンテンツの観測者として、街角にばら撒くアジビラである。私は巷を流れる作品群を受け止め、現実を決壊させるためのエネルギーを真正面から得たいのだ。全3回の紙幅を使い、これから愛の解体について考えてみたい。どうぞ最後まで、よろしくおつき合いください。
半数以上の当事者が生きることに困難を感じている
人が社会のなかで生きていくうえで、実際にだれかと恋愛関係になるかはともかく、「恋に恋する」という表現があるように、恋愛とまったく無関係に過ごすことは、おそらくはありえないだろう。
『日本歴史』編集委員会編『恋する日本史』3頁
日本史専門の学術誌『日本歴史』の特集から出発した書籍『恋する日本史』(吉川弘文館)は、このように書き出されている。あまりに暴力的である。このわずか一文で、歴史からあるカテゴリの人びとを締め出していることに自覚がないのだ。すなわち、恋愛も性愛も人生に必要としない人びとについて。
愛なるものに強烈に周縁化されている存在、それが他者に恋愛感情を抱かない指向=アロマンティック(以下Aro)と、他者に性的感情を抱かない指向=アセクシュアル(以下Ace)である。家父長制/異性愛規範によって設計された社会において、Aro/Aceはまったく存在しないことにされている。
2020年6月に実施された調査によれば、半数以上の当事者が「Aro/Aceとして生きることに困難を感じる(※)」と回答している。少なくとも今の世の中は、Aro/Aceにとって住み良い場所ではない。
※Aro/Ace調査実行委員会編「アロマンティック/アセクシュアル・スペクトラム調査2020 調査結果報告書」(2021年12月)(最終アクセス2022年1月19日23時)
物語の中の「アロマンティック/アセクシュアル」
そしてAro/Aceをめぐるコンテンツの土壌は、いまだ痩せていると言ってよい。根本的な大問題として、作品数が少ない。また、描かれ方に疑問符がつく場合も少なくない。たとえば鳩川ぬこ『初恋、カタルシス。』(リブレ、2019年)は、恋愛感情は持つが性的欲求は持たないロマンティック・アセクシュアルの青年・一騎を主人公にした稀有なBLマンガだが、物語は一騎が恋人との性的接触に耐え、「慣れる」方向で幕を下ろしてしまう。性的接触をしなくてもよい、という展開にはならないのだ。
それが公式からは「感動を巻き起こした臆病な初恋(※)」と宣伝されているのだから、世界はいまだロマンスとセックスの呪縛に閉ざされている。
※pixivコミック『初恋、カタルシス。』(最終アクセス2022年1月19日23時)
無性愛者(アセクシュアル)のひとはやつぱりつめたい、とあなたもいつか言ふな だありや
川野芽生『Lilith』(書肆侃侃房)144頁
いつ自分がさうだと気づきましたか、と入国審査のやうに問はれつ
川野芽生『Lilith』(書肆侃侃房)144頁
されど世界の転覆が、あちこちで試行錯誤されているのは間違いない。この二首はAro/Aceであることを公表している歌人・川野芽生による詠歌だ。あるときは愛なるものの暴力的な熱に対置され、あるときは詰問の対象として有徴化される。これまで可視化されてこなかった苦難は、丁重な文語体を通してここに曝け出されている。
「わたしにとっては竜の方が恋愛よりはるかに身近なのだった(※)」と語る川野は、歌の世界の恋愛中心主義を幻想によって切り裂き、そこに風穴を開けようと試みているのである。
※川野芽生「夢という刃―「幻想と人間」考」水原紫苑編『女性とジェンダーと短歌』(短歌研究社)、88~89頁
大きな前進といえる『恋せぬふたり』(NHK)
さらに映像コンテンツで言えば、NHKが今年初頭から、Aro/Aceを主題にしたドラマ『恋せぬふたり』を放映しはじめた。恋愛がわからない自分を責めていた会社員・咲子(岸井ゆきの)が、Aro/Aceのスーパーマーケット店員・羽(高橋一生)に出会って自身のセクシュアリティを自覚し、恋愛/性愛関係抜きの「家族」として同居をはじめる物語だ。
ふたりが形成を目指すのが「幸せな家族」である点にはやや規範へ迎合する苦しさを感じるものの、ドラマ自体は既存のラブコメディで「幸せ」とされてきたシーンをAro/Aceの視点から批判的にひっくり返す意図が感じられ、観る価値がある。恋人同士の性的接触(性的接触が描かれる回には事前に注意喚起のテロップが出る! これも画期的)が不自然なライティングとノイズで徹底的に不穏に演出されるシーンなど、当事者から見た異性愛中心主義の世界に対する恐怖を映像作品ならではの演出で見せる手法は白眉であった。
なにより全国ネットでAro/Aceのドラマが作られたことが大きな前進であるのは間違いない。ドラマは全8回、本稿を書いている段階では3回目まで放映されているが、今後の展開が楽しみである。
繰り返すが、Aro/Aceを描く作品はとにかく少ない。まずはその土壌が豊かになるよう祈るばかりである。
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