熊本の山奥にある「サイハテ村」に行ってきた「ツラい気持ちなら、その日は何もしなかったりする」生き方を見つけた

2021.12.18


「お好きにどうぞ」が村のモットー

まずはこの村の成り立ちを知るべく、10年前、ここに「サイハテ村」を作ろうと言い出した発起人である工藤シンクさんに話を聞いた。

シンクさん。この村の発起人である
シンクさん。この村の発起人である

「僕が10年前にこの村を作ったときはルールとリーダーっていうものが存在してなくて、合言葉が“お好きにどうぞ”でした。だから村長も、社長も存在しない。今は村人も30人くらいだけど、そのときは10人だった。熊本という土地にしたのも、たまたま知人の縁があったからです」

なぜ、そもそもこの村を作ったのか。

「超簡単に言ったら、世界平和というものを死ぬまでに味わいたいから。僕は本職がクリエイターなんだけど、コンテンツでは世界は変わらないとも思っているの。全米がいくら泣いたって世界は言うほど変わらないし。だから、世界を変えるのではなく、“お好きにどうぞ”という平和な世界をここに作ってみたわけ」

『珍百景』にも出た奇妙な形のドーム

工藤さんが言う“お好きにどうぞ”は「自由意思」だ。

「日本という国家が崩壊してしまったあとにスタンダードになる世界だと思っています。人を殺してはいけない、女性をレイプしてはいけないといった法律があるけど、実際なくしたとしてどうなるのか。いわば、ここは実験場みたいな場所です」

もちろんこの村では殺人もレイプもどちらも村では起こっていない。むしろ2018年に『ナニコレ珍百景』(テレビ朝日)で取り上げられている。「珍百景」として「アースバッグ工法」で建築されたドームが紹介された。

アースバッグ工法で作られた建物。奥は建設途中
アースバッグ工法で作られた建物。奥は建設途中

土を詰めた土嚢袋を、家の形状に積み上げていくアースバッグ工法は、古代中東建築を参考に1990年代ごろ米国で生まれた工法だ。「環境に対しての付加も少なく、資材調達に困らない」「耐震耐火耐久性もあって“シェルター”としても制作可能」(日本アースバッグ協会HPより)といったメリットがある。

「これもお好きにどうぞの精神で、誰かが『これ、造ろう』って言い出して、みんなで造った日本で初めてのアースバッグの建物です。ただ、新しい建築方法だから、日本の建築基準法に載っていなくて、実は違法建築物(笑)。だから、これを今後は防空壕として使いましょうとか、納屋にしましょうとか、そういう文化を今広めているところです」

ちなみに、大麻、宗教、怪しい……といった検索ワードについても聞いたが、「それって、みんなの幻想が検索結果に出ているだけなのね。それはないって、実際に来てみてもらえればわかる」と答えてくれた。

有償のボランティア制度が村を救った

次に話を聞いたのは、村のコミュニティーマネージャーの坂井勇貴さん。取材にあたって事前に筆者が連絡を取った人物だ。「お好きにどうぞ」の精神で集結したサイハテ村だが、実は一度、大きな危機に瀕していたという。

坂井勇貴さん。インタビューはなぜかテントサウナ内で行われた
坂井勇貴さん。インタビューはなぜかテントサウナ内で行われた

「ディズニーランドだったら、工藤はミッキーマウス。でも、ディズニーランドにもアトラクションを管理したり、運営のことを考えたりする人がいるわけで、それが僕です」

坂井さんは丁寧に言葉を選びながら、村の歴史を教えてくれた。

「もちろんサイハテには組織や役割、スケジュール、ノルマもありません。ゴミ捨ても溜まってきたら、気づいた人が捨てています。ずっと“お好きにどうぞ”で、ルールやリーダーを作らずやってきたけど、村にお金が必要だったり、畑仕事しようってなったりしても、誰も手を挙げなくて、徐々に気持ちがバラバラになっていったのね。

ここの住民だけで村を作ろうとしたけど、それだと現実的には進まない部分が見えてきたのが、ここ何年かの状況だった。それで今は、有償ボランティアを募集して、外部の人たちを集めてやってもらっています。稲作や染め物づくりといった案件ベースで興味ある人を募集するサイハテインカムという制度です」

「サイハテインカム」とは、畑作業、鶏やヤギなどの動物のお世話、清掃作業といった住人たちのお手伝いができる有償のボランティア受け入れ制度。費用は2週間〜1カ月で2万円。もちろん有償なのでコチラがお金を支払う。

お金を払って労働?と思うが、意外にも好評だという。村づくりやコミュニティを学びたい学生、人生に迷っている20代、大学留年生、人生の進路に迷っている大人。「12歳から40代の大人まで幅広い人を受け入れている」(坂井さん)そうだ。

“ヒト・モノ・カネ”を集める仕組みづくり

顧客管理の仕事をしていた投資ファンドを退職し、海外放浪しながらフリーでWEB関係の仕事を請け負っていたペーさんは、そんなボランティアスタッフとして村にやってきた。今回で3度目のサイハテだという。

「旅先のインドでサイハテ住民の女性と知り合って、ちょうどコロナで海外の移動が難しくなったこともあり、帰国する決心をしました。贅沢な話ですが、好きなことをするのに飽きて、あえて苦手なことをしてみようと思ったんです」

いざサイハテに来てみたペーさん。「最初、村の看板を見たときは怖くて帰ろうと思った」そうだが、村での生活はどうだったのか?

集会場の中ではライブも開催。冷暖房やWiFi環境も完備している
集会場の中ではライブも開催。冷暖房やWi-Fii環境も完備している

「実際に、苦手だと思っていた人間関係やお金のゴタゴタに巻き込まれてみたわけですが、いやーこれが楽しい(笑)。ずっと嫌いだと思っていたのですが、人間関係があるからこそ生まれる新しい出会いや、そこで得られる考え方が新鮮だったんです」

現在は、エンジニアとしてのスキルを活用し、村のホームページの制作やボランティアスタッフのマネージャーをやっている。しかし、やがてこの村を去るつもりだという。

「ここは共益費として月に2万円を払えばずっと村人でいられます。だから、僕は最初から出ることを見据えて、そのときに何を残していけるかを考えていました。そのひとつが、立ち上げたけど実行できなかった企画を、ネットを通じて、多くの人に知ってもらえる仕組みづくり。よくビジネスには“ヒト・モノ・カネ”が必要と言われますが、それを持っている人に情報を届けようとしているんです」

ホームページには「コンセプト・コンテンツメイキングから企画、プロデュース、村づくり、地域おこしなど個人・企業・行政とのタイアップはじめます」との記載もある。村づくりも意外と難しいのである。

東京からやってきた20代青年の本音

ひとりぼっちの筆者にも優しかったシャーさん
ひとりぼっちの筆者にも優しかったシャーさん

もちろんペーさんのようにビジネス系の人たちばかりではない。筆者にまっさきに声をかけてくれたシャーさんは、東京で20数年暮らしていたが、自然を渇望してやってきたという。田舎暮らしに憧れ、季節労働をしながら全国移動して、行き着いたのがサイハテだった。

「たまたま複数の知人が、それぞれが全然面識ないのに、この村のことを話していたんです。それで興味を持ってやってきました。ゲストハウス代(素泊まり2500円)を払って、食事代は自腹か、自炊で生活していました。近くで海苔の養殖業のアルバイトがあったから、日中はそこで働いて、休みの日はヨガをしたり、買い物に行ったり、釣りに行ったりして1カ月過ごしていました」

現在は別の地域に住んでいるシャーさん、この日は10周年フェスティバルのスタッフとして戻ってきたという。村の魅力を「ほかの村に比べて広い、丘の上にあるので景色がきれい」と語る。

「僕の祖父母の家は九州某県の山の中にあるんです。幼少期、お盆や正月になって、そこに帰るのが一番の楽しみで、ここの生活はそのころを思い出します。いろいろな人がやってくるし、みんなとの距離も近いので初めてでも寂しさはないですね」

そんなシャーさん、休日の過ごし方が独特だった。「自分の心とつながったことだけをやるようにしている」という。

「仕事でもTo Doリストってあると思うんですけど、それを“どこまでやるか”その日の朝に自分の体調や気分をノートに書き出してみて考えるんです。自分がツラい気持ちなら、タスクを減らしたり、その日は何もしなかったりする、と決めています」

世界を本気で変えられるかをずっと考えている

グループになって焚き火をする人々
グループになって焚き火をする人々

白樺派の文豪・武者小路実篤が、大正時代に理想郷を目指して開村した「新しき村」がある。大正、昭和、平成を経て、100年以上の時が経過した令和の時代にも存続している。サイハテは今年10年を迎えたが、今後どうなっていくのだろうか。

「この村を作って住むことをゴールにしているわけではなく、僕も、工藤と同じよう、どうやったら世界を本気で変えられるかをずっと考えています。そのための手段、研究テーマとして村づくりをやってきました」(坂井さん)

社会を変革させるためには、仲間や家族、コミュニティの意思に反する選択も辞さない。そう坂井さんは述べた。

「だから、ここにいる仲間たちのために何かをすることより、まだ知らない誰かのために何かをする選択のほうが、僕にとって大きなことなんです。もちろん、それが今の住人のためにならないかもしれないという葛藤は常にありますが。僕自身はここを使って、どう社会を、世界を変えていくかを考えています」

焚き火のなかからは誰かのスマホ(!)が発掘
焚き火の中からは誰かのスマホ(!)が発掘

本当にこの村から社会が変わるのか。突然の疫病や災害など急に外部の力が必要となることもあるだろう。さまざまな疑問は残る。しかしこの村の歩みが、変わらない現実に何かの答えを提示してくれるかもしれない。50年、100年後のサイハテ村の未来を期待したいと、帰路につく道すがら思ったのだった。

エコビレッジ サイハテ
〒869-3204 熊本県宇城市三角町中村1901-17
三角エコビレッジ サイハテ


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